わたしの調子の良くないときに限り、妹のなんとなくモヤッと暗い電話が掛かってきます。お化け屋敷でこんにちは。 いつも良い反射が出来るわけではないので、今回は、キズバンを貼るのに失敗しました。良い反射ができるときは、会話の中で何かがほぐれるのですが、魔法使いでもないので毎回そうはいきません。つれない態度になってしまい、敵対は良くないという学習まではできているので、電話はあっという間に切れました。
母にお手本を求めたいが、かつての学習に拠れば、彼女の躓いたところは強引に記憶抹消されているっぽいのです。母のパターンは安請け合いです。それから、器用なので相手に代わってこなしてしまう。これで上手く行っているように感じられた時間のもうなんと遠いことか。妹が、結果的に全身でこれを破壊してくれたので、何でも良いから違う答えを探さないといけません。でも、なかなか見つからないというか、無難な方へ逃げたい気持ちも残っています。
妹の作ってくれた新展開は、娘というものは、母とは違うまちがいをするべきなんです。
バレンタインのチョコレート言えば、母は既製品を軽蔑し、なかなか売っていない製菓用チョコレート2種類(砂糖が入っていないミルクチョコレート、ブラックチョコレート)をわざわざ買ってこさせ作りました。他にはスミレの砂糖漬け、香り付けのためのリキュールを何種類か。お使いをしたのを高校生のわたしです。何でも本格的になります。こういうところが母の魅力だと思いますが、既製品でも気にしない、妹の簡便さが我慢ならないようでした。黙って使いを果たすわたしと違い、妹は、若い娘さんらしく、なにより流行が大事でした。ひとのやっていることは一通り全部マネしたいわけです。間違っていても正しくても。痛かったら気持ちのまま泣く。
妹がそうしていると、母は、いちいち軽蔑を口にせずにはいられません。最初の攻撃は「太るよ」。妹はつまみ食いが好きです。次の攻撃は「軽薄」だったかも。妹は欲しいモノが欲しいのです。三番目の攻撃は「甘えすぎ」だったかしら。でも、妹は、わりとへっちゃらで、厚かましくも人のやった宿題を写させてもらうところがありました。一方で、車にはねられて怪我した犬を保護して、飼い主を見つけるなんてところもありました。いきなりこれが出来たのではありません。最初は、可愛いからと捨て猫を拾ってきて親が飼い主を探し、次回は、自宅で子猫飼いたくて貰ってきて死なせてしまったといういきさつがあります。彼女は悔恨の大泣きをしました。力強い涙。口を開けっぴろげてウォーンと吠えるように泣く。その頃、いっしょの部屋に寝ていたので、人はこれだけ泣けるのかと言うほど泣けることに感心しました。そして、涙は、受け止めて貰えるからこそ流せるものですね。
母は、この悔恨の大泣きが面倒くさいので、いろいろ画策をしていた節があります。つまり、子どもだったわたしが、実感して泣き出す手前にリクツや自らの技量をササッと並べて、ぱかっと蓋をするのが上手かった。なかなか失敗をさせてくれません。手伝って、母の素晴らしさの証明になってしまう。あれらが、魔法(幻惑されて)に見えたこともあったのでした。父は、じぶんの感情が第一なので、結局母娘間で何が起こっているか分かりません。母に促されて、怒りの雷を落とすときも、余裕がなさずぎて切れて見せるだけの怪獣。起こったことを受け止めきれず、あるべき姿の提示、過剰な叱責というループを巡るばかりでは、こころ(主に怒りの)のコントロールがままならない。そうだったのだろうなと想像するのは、最後の決まり文句が、「怒らせるのが悪い」「怒ると疲れる」だったからです。姉妹間では、叱責する相手にそれを訴えるのは変じゃないかと、話し合ったこともありましたっけ。
わたしが、ずっと妹を羨ましかったところは、いい加減で弱くてずるいところもあるところです。それを隠すのがヘタ。たくさん泣いて立ち上がれるのです。母は、これを無駄な時間と断定していたから、わたしは長いこと恐ろしくて死んだふりをしていました。死んだふりというのは、無意識で母のご機嫌取りに徹したのです。これは、良いことではないので、若い方には特にお母さんと一度はしっかり揉める(たたかう)コトを推奨します。揉めて、お互いの程度が【周囲にバレた】方が、だんだんと諦めがつくからです。わが母は固いバリアを被って、わたしに協力を求めていたのですが、妹が切欠になって「ちがうのだ」と言えるようになりました。
何も触れずに我慢すると、美徳のようですが、じぶんの元気を八割方失います。諦めるというのは、淋しいようでもありますが、敵対的共依存関係を薄めるチャンスです。母にもいつかもっと笑っていいのだということを教えてあげたい。
今年のバレンタインデーに、姪へ新しいブックカバーをかけて、星新一作品をマンガ化した本をプレゼントしました。お正月に会った時約束していたので。電話口の弾んだ声は、ぴかぴかと嬉しそうで、嬉しさって感染するんだと分かりました。胸のところに、小さなヒナギクを届けてくれるような、明るい声。だから、妹が、母とは違うタイプの母であることは、豊かなことだと受け止めたい。がんばっていることがあり、出来ないこともあり、間に挟まる感情あります。振り返ると、ヒナギクがあったり、ポタポタ落ちる涙が点々とつづきます。
母は、効率を上げて、とてもたくさんのことを成し遂げたと思います。しかし、感情を全部抜いてしまったら、生きていく日常がとてつもなく怠い。
*「新アップルパイの冒険」は、今回をもちまして終わりになります。長い間、読んで下さって本当にありがとうございました。(画像は母の好きな童話「幸福の王子」、布人形とブローチ)