いくつかの作品を引き取るために、先日 レジェンドと呼んでも差し支えない作家さんのご自宅へ行ってきました。今はご遺族がプリントと原版の管理をされているが、アトリエを処分してしまったので、自宅のマンションに棚をたくさん入れて、50年分の写真のことを全部収納してるということで、実際行ってみたら、自宅の一角どころか、自宅の大半がその作家さんが残した作品などで、むしろ塊の中で暮らしているようにも見えました。
創作活動とは、形を作り、そして残していくものだと聞かされてきたし、実際そう思っていたし、信じていました。
玄関から部屋の奥の奥まで、床すれすれから、天井近くまでもうこれ以上入る余地はない、というくらいの大量のフィルムと、プリント原稿、過去の展示で使われたパネルや、マッティング済みの作品などが隙間なく収まっている様子を見てしまうと、形を残す、という言葉の重みがぼくに向かって殴りかかってくるような気がしました。
思索と試行を繰り返しながら、積もらせてきた時間の流れが、そのまま形になって積み上がっている。膨大な資料本に埋もれるような仕事場というのは、何度も見たことがある。もちろん今までも数多くの作家さんのアトリエや自宅へお邪魔して山のようなワークプリントの量に驚いたこともあったけれど、今回のはちょっと違った。ひとつのことに邁進する人間の凄まじさを目の当たりにして今も適切な言葉が見つからない。