先々月まで書いていたようにいろいろ面倒くさい問題が山積して気が晴れないので、いつものパターンで、憂さ晴らしに自転車で長距離を走ってきた。
半年前に加太まで180km(90km×2)走ってきたのが今までの最長距離だったので、今回は200km走る、という距離だけを目標にした。200km走れればどこでもいいのである。
家(尼崎)から西明石まで片道50kmというのは前から知っており(走ったことがある)、その倍のところまで走ろうと地図を見れば、姫路市西端の網干駅あたりでちょうど100kmであることがわかった。
別に網干に用はないのだが網干へ行こう。用もなく距離だけで目的地にするのはその土地へ失礼にあたるような気がしないでもないが、そこは許してほしい網干。僕の心身が距離を欲しているのだ。
国道2号線をただただ西走する。起伏もほぼなく、ただ片道100kmという距離だけがそこにある。漕げば着き、漕がねば着かん。それだけだ。
前回の加太行きや、その前の宇陀行きのように山道に苦しめられるということもない。ただの平地、起伏のない走りやすい国道2号線を行く。国道2号、土地の人間は「2国(にこく)」と略す。2国という名のラーメンチェーンもある。
道の名を略したりするのは本来は嫌いだ。171号を「イナイチ」などと略すが、「いちなないち」でいいじゃないかと思っている。しかし「にこく」は、なぜか好きだ。「にこく」という響きも「2国」という字面もいい。
そんな2国をただただ西へ。距離だけを目的に走るのである。
父母が交互に入院したり、その介護の手続きに奔走したり、特に父の姿に30年後の自分を重ねてしまって色々滅入っている。弱っていく父に、これから弱っていくであろう自分の姿を見てしまうのである。
30年経たなくても、今でさえいろいろと自分の衰えが気になっている。気がつけば58歳。まじか。老眼は進むし、疲れやすくなったり、腰痛や腱膜炎に悩まされたり、記憶力も加速がついて減衰する。
これから何か、今までの自分を超えて良くなるようなことなんてあるのだろうか。そう考えたときに、今まで乗った長距離自転車の、距離を更新することくらいしか思いつかなかったのである。何か一つでも下降線に抗いたい。単純でいいのだ。網干に失礼でもいいのだ。弱り目の今はとにかく200km漕ぐことに意味があるのだ。数字が大事。今はね。
朝6時半頃に出発。2国は路側帯も広く、自転車乗りには優しい道路だ。
西明石までは前に漕いだことがあり、知った道である。そこから西は自転車では初めてだが、播磨町、加古川市、高砂市とただただ平坦な道なので特に苦労もなく駆け抜け、11時過ぎに姫路市内に達した。ここまで約80km。順調である。
「ビリヤニランチ」の看板に惹かれて飛び込んだインド料理屋で、熱々の鉄板ビリヤニを食べながら残りの道を考えた。
よく考えれば片道100kmならばどこでもいいわけだし、途中で目的地を変更しても何の問題もない。スマホの地図を見ながら考える。網干(姫路の南西端)へ行くには2国を外れて海側に向かわねばならない。このまま2国を走れば姫路の先はたつの市である。
たつの市? 昔は龍野市だったがいつからか平仮名の市になったんだな。
龍野なら、実は関わりのある土地である。
父の出身高校が龍野高校だったのを思い出したのだ。龍野の北西30kmにある佐用郡の生まれだが、姫新線で1時間、龍野の高校に通っていた。
何のゆかりもない土地より、何らか引っかかりのある場所の方が良い気がした。父はここの高校を卒業し、就職で大阪に出てきた。成績は優秀だったらしいが、当時5人兄弟の長男を大学に進学させる資力も習慣もなかったのだろう。僕が昔大学を中退したとき、父は「俺は行きたくても行けなかった」と僕をなじった。心情は理解するが、申し訳ないがそれとこれとは別問題である。僕は僕なりの真剣な選択をしたわけだし。
とにかく、行先はたつの市に変更しよう。たつの市のどこでも、メーターがちょうど100kmを指した時点で折り返すことにする。距離だけで選んだ網干より、なんとなく意味がある感じでいいじゃないか。
そういうわけでそのまま2国を行き、太子町を経てたつの市に入り、「餃子の王将 たつの店」の前で折り返してきた。
あとから調べればそこから龍野高校へは1.5kmの道のりだった。うーん、行けばよかったな。そこに思い至らなかったことがちょっと悔やまれる。なんで王将でやめるかな(疲れていたんだろう)。**

帰路、ひたすら今度は2国を東に戻る。
太子町を走っていると、往路では気にしていなかったが「斑鳩/鵤(いかるが)」という地名が目に入った。
イカルガでタイシなら、これは聖徳太子のことであろう。なぜ兵庫県の西に聖徳太子のゆかりの地名があるのだ?
ただの「距離」の問題に、はじめて土地の顔が浮かび上がった。今走っている場所を単純に「距離」に換算していることへのうしろめたさのようなものを感じ、2国そのものより2国の下の地面の顔を、やっとまじまじ見たような気がする。あとから調べたところここに厩戸皇子(聖徳太子)の領地があったらしい。思いもよらぬ場所で思いもよらぬ人のゆかりの名前を見る不思議。奈良の斑鳩との距離129km、徒歩30時間とGoogle Mapは教える。意外と近いな。
皇子もここに来たのだろうか。僕らの世代で厩戸皇子といえば山岸涼子の『日出処の天子』である。余談だけど、あの山岸涼子の厩戸皇子って、吉田秋生『BANANA FISH』の月龍(ユエルン)の造形に影響及ぼしてるよね、絶対。
イカルガを出て姫路を抜け、高砂あたりを走る。
途中で挫けたりしないように、200km行の要所要所でinstagramのストーリーズに経過を発信しながら漕いでいたのだが、それを見た写真仲間のmotokicksさんが「加古川まだ越えてないなら高砂市にカマウチさんの好きそうな珈琲店ありますよ」とわざわざ教えてくれた。彼女はカフェ巡りの猛者である。ファミマの珈琲で休憩を入れた直後だったが、彼女がわざわざ教えてくれるのだから間違いないだろうと店を探すことにした。
で、まぁ詳細は省くが、かなりかっこいい店で、店主の「好き」が爆発して店内に満ち満ちているような空間であった。長く休むと帰路自転車を漕ぐ気力がなくなりそうだったので(まだ75km漕がねばならない)泣く泣く短時間で店を後にしたが、短時間で店を出ること自体が罪のような、本来ならばもっとその空間を堪能すべき場所であった。20分で出てごめんなさい。心の中で店主に謝りながら会計を済ます。
珈琲店に後ろ髪をひかれて残りの75kmを漕ぎながら、頭の中では「距離が目的、みたいな自転車の乗り方はもういいかな」と思っている。父の通った高校も、聖徳太子も、素晴らしい珈琲店も、すべて通過だけするような、距離だけを競うような乗り方は今回で終わりでいい。
どうやらこのまま200kmは完走できそうである。昨日まで溜まっていた鬱憤も、ある程度この自転車行で晴れるだろう。頑張れば一日で200kmは漕げる、今回はそれがわかっただけで良いのだ。まぁ、一回走ってみたかったんだよ、200km。
次は高砂のその珈琲店だけを目的に自転車で来てもいいな。いろいろ考えた200kmだった。








**註)後日、父に確かめると、父の卒業したのは龍野高校ではなく龍野実業高校であった。龍野実業高校は2011年に他校と統合されて今は存在しない。無駄に別の高校の前で感慨に耽るところだった。