見慣れた光景が普段と違う表情になるのを見るのが好きだ。たとえば年末年始の東京の都心部はきわめて無表情になり、わたしはその数日間だけ、無条件に東京のことが大好きだと言えるようになる。
12月も29日くらいになると、街や電車には目立って人が少なくなり、いつもはたくさんの人の波にもまれて辟易する通勤なんかも、すいすいと楽にこなせるようになる。日々の東京を染める殺伐とした空気がふっとゆるみ、妙に手持ちぶさたな、間延びした雰囲気に満ちてくる。
さわがしい忘年会シーズンもけばけばしい年末商戦も終わり、目の回るような年の瀬のせわしなさも影を潜め、人の気配の希薄な東京の街は、その落差もあって、ひときわ無表情に見える。ついさっきまで人の暮らしていた気配をそこかしこに感じる巨大な廃墟を歩くように、わたしは東京の街を闊歩する。あの緊張感に欠ける関東の冬の陽が街を照らし、見慣れた光景はやさしく脱色される。
普段の日常と変わらずに大学に通って、極端に人が少なく、しんと静まりかえった研究室でお仕事を進めるのも悪くない。「年末年始の秘密プロジェクト」なんて名前を勝手につけて、毎日の雑事のなかではなかなか着手できなかった問題に、まとまった時間をつかってたっぷり取り組む。休憩時間にはあたたかいコーヒーを入れて、窓の外の木々を眺めたり、ほこりっぽい陽の光の下で丸くなって動かない鳩をしばし観察したりする。ここにゆったり流れる時間は、わたしだけのもの。
年末年始であっても、いごこちの良い日常のなかに、ぬくぬくと埋まっていたい。日常がベースにあって、特別な行事がこちらに入り込んでくるのは歓迎だけれども、ひっぱり出されて特別な行事のなかにぽつんと置きざりにされるのは、どうにもごめんこうむりたい。息継ぎをするように、友人とごはんを食べたり、年始の挨拶にちょっとだけ顔をだしたりしては、無表情な東京に再びとぷんと潜っていく。
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その年の年末年始は、とある北欧の国で過ごしていた。実験を習いにしばらく滞在しており、クリスマス休暇からずっと家を空ける現地の研究者の住まいを、家賃を私が払うかわりに使わせてもらっていた。
この家の西側は、「荒野」に面していた。荒野というのは、わたしとR (同じくこちらの大学で仕事をしていた) のあいだでいつのまにか呼びならわされることになった愛称で、実際は泥炭性の低湿地である。幅10 km・奥行き3 kmくらいの広大な湿った平原が、マンションの4階の大きな二重ガラスの窓から、遠くむこうのほうまで見渡せた。荒野の端には低い林が広がり、海を挟んで、そのむこうには街が広がっている。林からわずかに顔を出した建物の群れが、地平線(?)に消えていく。
冬の北欧の日照時間は短くて、やっと明るくなるのは朝8時半頃で、午後15時半には日が暮れる。日中は、土地の起伏やまばらな林、散歩道を歩く小さな人影が見えたりするけれど、夜間は、地平線のほうにぽつりぽつりと街の明かりが見えるだけで、荒野の部分は黒々としてひとすじの光も見えない。荒野があるはずのところには何も存在しないかのようですらある。
もちろん何も存在していないわけではなくて、荒野を散歩するのはとても楽しい。半分水に浸った湿地の内部には遊歩道が整備されていて、その上を歩くと、寒々とした灌木、放牧されているヒツジ、遠くのほうをゆったり動くシカの群れ、大群で飛びきて餌をついばみはじめる鳥たちなどが観察できる。どちらを向いても絵になりそうで、しかしとらえどころがなく、道に迷うとそれきり出られなくなってしまいそうな、そんなすさまじさも感じる風景が広がっていた。
実際、朝まだ暗いさなかや、日没後の夕闇が迫る時間帯に荒野を走ると、本当に背筋がぞくぞくしてくる。がらんと大きな空の下で、びょうびょうと風が吹き、歩道の脇には冷たい水に浸された泥炭が広がり、行けども行けども道には終わりが見えない。街灯もない暗闇で感覚が鋭敏になり、正体のよくわからない恐れだけが増幅されていく。かすかな太陽に照らされて空の一部が白んでいるのが、唯一の救いのように思える。
そんな荒野を見おろす住まいで、わたしとRは年末を迎えていた。こちらの人びとの生活はもともとゆったりしているけれど、仕事が休みになり、国に帰省する人も多いため、年末にはさらにおだやかな毎日がつづく。わたしたちも、リビングでデスクワークをし、近くのショッピングセンターに食材の買い出しにでかけ、オーブンで料理をつくり、ろうそくに火をともして、ワインと一緒に夕飯にした。
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大晦日の夜、荒野のむこうの街では、唐突に花火があがりはじめる。地平線のほうに、赤や黄色の火が小さく見え、ポンポンという小気味良い音が風にのって届いてくる。花火は断続的につづき、しかも、0時に近づくにつれて、あがる場所が次々に増えていく。19時の時点で、家の西側では9ヶ所、東側では11ヶ所を確認した。
ポンポン、シューという音は絶え間なくつづくようになり、家の比較的近くでも花火があがりはじめる。夕飯を食べながら、真っ黒な荒野のむこうの端に吹き上がる小さな花火を見て、イソギンチャクが触手をしゅっと伸ばすようすを想像する。冷たい水に浸された黒い海の底で、イソギンチャクの触手だけが鮮やかである。
わたしたちはその後、街の中心部に出かけ、パーティ終わりの人びとなんかが、かなりカジュアルに、本当に繁華街のなかで、けっこう大きな花火を打ち上げているのを目にすることになる。歩行者天国になった街中には人があふれ、さらに破裂音がうるさく、年越しの瞬間なんかには花火の煙で目がちくちくするくらいだった。
年が変わっても花火は相変わらずつづき、家に戻ってきてもポンポンシューシューする音が聞こえていた。遠くに見える小さな花火の足元には、きっと同じようにたくさんの人があふれているけれど、荒野はあいかわらず真っ黒で、そこに荒野があることすらわからなくなってしまいそう。ヒツジやシカや鳥たちは、今も静かに眠っているのだろうか……そんなことを想像しながら、冷えた体をシャワーで温め、コーヒーを飲み、Rとともに布団に入った。
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翌日、街中には年越しの花火やセロファン紙吹雪の残骸が散らばっていた。年越しの瞬間の街はやはり、ふだんとは異なる昂揚した表情をしていて、今となってはこうした残骸からしか、その事実を思い出せない。
対して荒野は表情を変えることもなく、大晦日の夜も変わらずそこにあった。黒々と、底知れないすさまじさをたたえて。そして翌朝にはまた明るい景色となる。荒野のことを思いながら眠った年明けの朝、そこで見た夢を、わたしは思いだせない。