”最近のアメリカは、すべてがリアルタイムで起きるリアリティテレビのようだ。リアリティテレビのスターを大統領にしたわけだから当たり前か”
アメリカから東京に向かう飛行機の中で、大学生くらいの女の子が「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」を視聴している。「バカバカしい」と評されるような、セレブ一家を追ったリアリティ番組だ。もともとはバカにしていたが、ある時から時折見るようになった。シリアスなニュースばかりが飛び交う日常のなかで、”バカバカしくてくだらないもの”を求めたのだ。番組を見ながら、リアリティテレビというものを考える。そして冒頭の一節のような実感に至る。
これはニューヨークで20年以上生活するライター・佐久間裕美子さんの日記のワンシーンだ。この日記は佐久間さんのサイト上で公開されていたもので、加筆修正して書籍として刊行されたものが『My Little New York Times』だ。収録されているのは、2017年7月5日から2018年7月4日まで、ちょうど1年分。この日記で、佐久間さんは登場人物の一人としてニューヨークの日々を生きる。”リアリティテレビのよう”にドラスティックなできごとに揺さぶられながら、同時に世界を写すカメラとして、そこにある現実と、信念に従って生きようとする人たちの姿を切り取る。
佐久間裕美子『My Little New York Times』(NUMABOOKS)
日記として個人の生活を舞台にしてはいるけれど、プライベートで内省的なトーンは濃くない。というより、個人的なことと社会的なこと、政治的なことが密接につながっている。ある意味、サブプライム危機以降のアメリカで起こった価値観の変革をまとめた佐久間さんの著書『ヒップな生活革命』の実践編として読むこともできるのだと思う。
『ヒップな生活革命』は「安価な大量消費」から「少量で、高価でも価値があること」を意識して、改めて消費や経済活動を捉え直すアメリカのムーブメントを紹介したものだ。こうした価値観は、この本が出版された2014年から日本でも紹介されていたが、”それらがどういう社会的な背景から登場して、人々がどういうメッセージを発信しているかという視点は、その過程で抜け落ちてしまうことが多い”とも書かれていた。
2019年の今、当時よりもこういった思想や価値観は新しいものではない(=きちんと浸透してきた)と感じる。しかし『My Little New York Times』の日々はその延長線上にあり、より実践的だ。系統立てて紹介するのではなく、一人の人間の生活を通して日々どのようなことを考え、モノを手に取っているのか、行動を選択しているのかを知ることができるのは、リアルに刺激を受ける。
キーワードは、「ヴィーガン」「#metoo」「エンパシー」「ドラッグ(マリファナ)」「白人至上主義」「ミレニアル」「シングルライフ」「大切な人を亡くすこと」などなど。
1年の間でももちろんうつろいがあり、たとえばヴィーガンに関してはいつの間にか話題にのぼらなくなったなと思ったら”日本に帰ってきた時ときにあまりに面倒くさくてやめてしまった”と書かれている(日本には肉を食べない人がいるという発想がほぼないため、ヴィーガンであるのが難しいそう)し、「共感」「他者の痛みへの想像力」を指すエンパシーという概念は本の中盤以降に重要性を増していく。「#metoo」は2017年10月のその始まりから記録され、トピックがあるごとに取り上げている。巻末にはこの日記のキーワード集が収録されているが、その中でも「#metoo」は再頻出だ。そんな風に、その人の価値観の変遷が浮かび上がるのは日記の魅力だし、常に変化するニューヨークという街を反映しているようにも感じられる。
この1年間だけでも、とにかくいろんなニュースがもたらされる。問題は次々に起きるけれどリソースは限られていて、人それぞれ立場も違う。読んでいると、改めて複雑だなと思い知らされる。凡庸な感想だけれど、その複雑さを受け入れることがはじまりだとも思う。世界の単純化は総じてマジョリティの特権であり、排他的な思想の温床だからだ。
複雑な社会で、魔法のようにすべての問題を取り去る方法はないが、諦めるのでもなく、バランス感覚を失わずに議論を重ねていくしかない。そのためのワザのようなものも、日記の中で書かれている。
”トランプ政権1年目、ソーシャル界隈には、怒りの塊のようになっている友人がいる。正しいことを言っていても、それを理解できない人に強い言葉を吐く姿を見るのはちょびっとつらい。(中略)怒りにはグレーの人を遠ざけてしまうリスクがある。怒るとしたら、社会が集合体として怒れる状況を作らないと、前には進まないのだと思う。(中略)カギは「相手の言うことを聞きながら、原則的な主義主張をまげないこと」だそうだ”
(ダイバーシティをうたうメディアが成長していることについて)”もちろんそこにはビジネス戦略もある。(中略)けれど政治に期待できることが少ない今、ビジネスの世界から出て来る「進歩」が頼もしい”
”こうやって日々、政治で腹の立つことが起きて、それについて毎日、怒りを共有することに、みんなもだんだん疲れてきたのか。ただ友の顔を見て、ご飯を食べたいだけの日があってもいい”
慎重であること、事実と現実に基づき冷静であること、信頼できる人間関係を築いてなるべく機嫌良くいること。そんなことを学ばされる。佐久間さんはあとがきで”読み返してみて、自分は偏っているとの認識を新たにしたのも、苦笑いポイントだった”と書いているけれど、個人的には偏りよりも筋が通っているという印象を強く受けた。
同じくあとがきでは誤字脱字を「味」としてそのまま残していることも示されている。本になるときは誤字脱字は徹底的に潰されることが多いけれど、それは筆跡のようなもので、著者の思考が垣間見えることもある。日記という人柄があらわれる形式では、誤字脱字も近しく感じさせるエッセンスだ。こうした本への革新的なアプローチは、内沼晋太郎さん(NUMABOOKS)ならではという感じ。この日記は現在も佐久間さんのサイトで継続しているのだが、それを示唆するように最終日の文章のあとに余白がとられていること、タイトル通り新聞を思わせるざらっとした紙質と3段組のレイアウトなど、プロダクトとしてのこだわりも光る。
日記の最後に参考文献がついていて、QRコードで飛べるのも良かった。ただでさえ1ページあたりの文字量が多いのに加え、参考文献もチェックしているとなかなか読み進められないのだが、社会にアンテナを張り、パワフルに生きている人が見てきた1年を駆け足で知ろうなんてナンセンスだろう。アメリカのこと、日本のこと、政治や社会のこと、個人のこと。いろんなことに思いを巡らせながら、じっくり向き合って読んでほしい一冊。