かつて自分を祝福し、遠くまで走らせてくれた言葉が、気付くと足かせになっている。進んで手にした役割だったはずが、いつの間にか呪いのように自分を苦しめている、そんなことがある。
言葉や肩書きはぼやけた自分にフレームを与えてくれるものだけど、そのフレームの居心地がよすぎると、「自分」は本当は流動的なものだということを忘れてしまう。そのことに息苦しさを覚える時にはすでに、フレームは簡単に壊せないほど固まってしまっている。
詩人の文月悠光さんのエッセイ『臆病な詩人、街へ出る。』も、そんな流動的な自分自身とフレームをめぐる話だと思う。文月さんは高校3年生の時に上梓した詩集『適切な世界の適切ならざる私』で、中原中也賞を史上最年少で受賞。「早熟」「天才」と世間を騒がせた。文月さんはそこで得た「JK詩人」「学生詩人」の肩書きに翻弄され持て余しながらも、時には世界と自分の隔たりを正当化する鎧として使いながら、学生時代を送る。しかし時は過ぎ、大学を卒業する日がやってくる。「学生詩人」の重い鎧を脱いだ時、そこにいたのは何もできない「ないない」尽くしの冴えない自分だった。最初のエピソード「JK詩人はもういない」で、文月さんはこんな本音を吐露する。
”私は現実と向き合うのが怖いのだ。現実からずれてしまうことも、現実にあっさりと適応し、自分の平凡さを自覚してしまうことも……。”
「言葉の繭の中に住んでる」と文月さんを表したのは、彼女の最初のエッセイ集『洗礼ダイアリー』の帯文を書いた漫画家の瀧波ユカリさんだ。この中で、文月さんはその繭を抜け出て、こわごわと羽を伸ばしてみせる。恐る恐る出かけた打ち合わせで、編集者のNさんの言葉に導かれ、「街へ出る」決意をする。それから綴られるのは、詩人としてではなく、一人の人間としての文月さんの挑戦だ。
文月さんははじめての初詣で悶々とし、八百屋で怯え、エステサロンでうろたえる。その姿は同じように臆病で、何もできない人の共感を誘う。読みながらイライラする人もいると思うのだけど、「これは自分の物語だ」と思う人も、同じくらいいるんじゃないか。そしてそういう風に読んでいる人ほど、真意を突かれてどきりとする場面も多いだろう。
中でも強烈なのが、ボディペイントアーティストのチョーヒカルさんと過ごした異国での日々を綴った「フィンランドで愛のムチ」。チョーさんはアクティブで、快活で、何でも受け身の文月さんとは正反対の性格だ。臆することなく現地の人と積極的にコミュニケーションを重ね、自分のパフォーマンスを最善の状況でできるように務める姿に圧倒され、自分の至らなさに焦りを覚える。
”判断を人任せにして、場の空気に流されてばかりの私は、自分の人生の舵も握れていない。責任から逃れ続け、言い訳を重ねていると、次第にそんな自分にも嫌気がさして、自分自身を信用できなくなっていく。”(「フィンランドで愛のムチ<前篇>」より)
さらに、チョーさんは文月さんとの会話の中でも、臆病の功罪を鋭く浮かび上がらせる。最終日に二人がレストランで食事をする場面では、文月さんが受け身ゆえに人から利用されていると感じた体験を話すと、チョーさんは「受身の人に『搾取』されてるんじゃないか、と思うことがある」と話す。
”「受身の人は、人任せの振る舞いを許されてきたのか、『何もしなくても誰かがやってくれる』『私を楽しませてくれる』という態度の人が多くて。こっちが与え続けることになって、すごく疲れるんですよね」
「そうだよね。ごめん……」
「いや、ふづきさんのことを言ったわけではないですよ。……でも、ふづきさんの受身な態度を見ていると、そういう人のことを思い出すことがあります」”
”自分には、そもそも「人を楽しませたい」という欲が薄い。代わりに「相手を不快にさせたくない、怒らせたくない」という「恐れ」が行動の指標になっているようだ。
「思い通りの反応が返ってくるとは限らないと思うと、怖くて口を開けないんだよね。楽しませる以前に、相手を怒らせない無難な回答を考えちゃうな……」
(中略)
「それって、周りを気遣っているようでいて、すごく利己的な気がします」
(中略)
「結局、自分が傷つきたくないだけなんですよ」”(「フィンランドで愛のムチ<後篇>」より)
チョーさんの言葉はそれまでの文月さんの自己内省よりもずっと深く踏み込んできて、そこにある甘えを暴いていく。だけどチョーさんは厳しいだけでなく、温かいフォローを入れながら、辛抱強く文月さんの欠点に向き合ってくれた。そのことは、文月さんの「臆病」との向き合い方を大きく変える。結果的に、文月さんは臆病さを全肯定も全否定もせず、丁寧に自分の欠点と向き合えるようになっていく。
そのあとも、テレビ出演、アイドルオーディション、ストリップ鑑賞と、文月さんは様々な場所に飛び込んでいく。臆病なのは変わらないが、こうした体験を通じて自分を見つめ続けることで、少しずつ変化が起きる。それは、臆病さを「克服する」ことではなくて「受け入れる」ことだった。
自己嫌悪や劣等感を呼び起こすような短所を自分自身として引き受けた時、それは呪いから祝福に変わるのだと思う。「JK詩人」「学生詩人」が他者から押し付けられたフレームだとすれば、「臆病」は文月さんが自分で自分を押し込んだ檻だった。凝り固まったセルフイメージに血液がめぐっていくように、文月さんは自分の臆病さを受け入れていく。臆病でありながら、臆病であることから自由になる。
文月さんの冒険は、同じように臆病な人たちの道行を明るく照らすだろう。でも、その道を歩いていくのはその人自身だということは忘れてはならない。自分で歩いて、見て、聞いて、感じることが、人生を前に進めるのだということを、この本は教えてくれる。
文月悠光『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)