わたしにとっては、その年はじめて茄子を食べた日から、夏が始まる。旬の茄子を手にとって眺めてみてほしい。太陽の強い光がぎゅっと濃縮して、それでかえって漆黒になってしまったかのような、つやつやとした紫色をしている。光にちらちら当ててみると、深い水の底をのぞきこんだときのように、紫色に深みを感じることができる。キュッと曲がった形をしていて、切りづらかったりもするのだけれど、その型にはまらない感じすら愛らしい。
袋から茄子を取り出すときには注意されたし。ヘタのところにトゲがついており、ビニール袋につっこんだ指先を刺されることがある。注意したはずなのにトゲに刺され、痛っ! と茄子を取り出そうとした手をひっこめて、「この茄子はまだ噛みついてくるくらいに元気がいい……」と、台所でひとり、にやにやしたりもする。
ところで、それでは茄子を食べた最後の日が夏の終わりになるかというと、残念ながら、そんな気分はしないようである。どちらかというと、その年はじめて梨を食べた日に夏が終わるような気がする。でもまあこれはまた別の話。ここでは深入りしないでおきましょう。
——
京都に住んでいたときは、茄子天国だった。関東から越してきたわたしにとってはあまり馴染みのなかった、ソフトボール大の賀茂茄子やころころした水茄子を、はじめて食べたときの衝撃は、よくおぼえている。
インターネットで調べたレシピを参考に、賀茂茄子は2 cmくらいの厚さに切って、切り口にごま油やオリーブオイルを塗り、アルミホイルで上下を覆って、トースターで焼く。焼き上がる前に上面のホイルを外し、だしに溶いた味噌を塗ってみたり、バジルペーストを塗ってチーズをこんもりとまぶしてみたり。できあがった茄子は熱いうちに切り分けて、とろとろになったひとくちをハフハフしながら頬ばるのであった。
これが野菜!? ととまどうほどの風味と食感。最初に食べたとき以来、とりこになってしまって、スーパーに行くたびに、安売りの美味しそうなのがないか目をきょろきょろさせている。1個全部は食べずに、ソフトボール大の半分は冷蔵庫のなかに大事に取っておいて、また明日のごはんに楽しむのだ。そうそう、以前、居酒屋で5 cmくらいに切ったとろとろの賀茂茄子を食べたことがあったのだけれど、あんなに厚いのにどうやって火を通すのだろう……。
水茄子もおいしい。茄子を生で食べられるなんて、最初は信じられなかったけれど、ヘタのほうに4回くらい包丁を入れて、縦に裂いて、塩水に浸して水をきり、鰹節をかけてわさび醤油でいただく。シャキシャキでもコリコリでもなく、野菜としては今までに味わったことのない魅力的な食感と、きれいな水のような、ほのかな茄子の香り。夜になっても暑さの逃げない真夏の京都で、晩ごはんに水茄子を食べていると、なんだか食卓のまわりだけ涼しいような、さわやかな気持ちになる。
そうした特別な茄子ばかりでなく、近所のスーパーには大袋の安売り茄子も売っていた。ビニール袋いっぱいに10個は入って、400円くらい。大袋をふたつ買って帰って、冷蔵庫いっぱいに茄子を詰め込んで、朝昼晩、飽きもせずに食べていた。万願寺とうがらしも手に入ったときには煮浸し、ちょっと変化がほしいときには麻婆茄子、豚肉の細切れとめんつゆで素麺にしたり、あるいは幾多のバリエーションをそなえた、特に名前のない茄子の炒めもの。
茄子を調理する経験が重なると、ヘタを切り落とすときのちょうどよいラインを見極める眼力もそなわってくる。あまりにも本体にくいこんだラインで切り落とすと、せっかく食べられる部分まで捨ててしまうことになってもったいない。しかし、あまりヘタ側を切り詰めすぎると、今度は本体にヘタのキワのびろびろしたところが残り、あまりうれしくない。経験を重ねれば、納得できるラインが一度でわかるようになってくる。
——
子供の頃を思い返すと、しかし茄子は、椎茸と並ぶ、大嫌いな食材だった。焼いた茄子からは錆びた鉄のような匂いがして、口に入れてもどうしても飲みこめず、思いだすだけで吐き気がするほどだった。茹でたり揚げたりしたものであっても、それを見ると焼き茄子の匂いが鼻腔に充満するような気がして、舌が勝手に拒絶した。
それがいつのまにか食べられるようになっていたばかりか、今では、焼き茄子は大好きな食べ物のひとつになっている。椎茸に関しては、苦手意識を克服したときのことを明確におぼえているのだけれど (わたしはそのとき大学生で、大学近くの居酒屋で友人とお酒を飲んでいるときに、こんがり炭火焼きにして、ポン酢とかつおぶしをかけた椎茸の串焼きを食べ、椎茸ってこんなにおいしいものだったのか、と味覚が変わっているのに気づいた)、茄子に関しては記憶がない。気がつけば、夏には茄子ばかり食べている。
最近は、油をほとんど使わずに茄子をしんなりとろとろにする調理法を知って、日々が楽しい。皮に切れ込みを入れて縦に切って、皮の側を押しつけるようにして、薄く油をひいたフライパンで焼く。中火で、多少こげそうなくらいまで。皮がきれいな薄紫色になって、全体がしんなりしてきたら、内側のスポンジ状の側面も焼いていく。こちらは焼け目がつくくらいまで。そうして焼きあがった茄子は、とろとろでありながらしゃきっとしており、そのまま煮浸しにしても、炒めものに加えても、汁物にしてもよろしい。
秋も終わる頃には、茄子はスーパーの売り場からだんだん姿を消していく。毎回、これが今年最後の茄子になるだろうか……と、しんみりした気分になりながら、秋茄子を袋から取りだすのであった。