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3F/長期滞在者&more

死なないためのユーモア

長期滞在者

1960年代後半、オノ・ヨーコはジョン・レノンとの蜜月の日々の中で、印象的な前衛パフォーマンスを発表した。レコードのジャケットに全裸になって登場したり、「ベッド・イン」と称したパフォーマンスを告知してマスコミ陣に公開セックスをすると勘違いさせつつ、ホテルのベッドに二人で入って平和について語ったり。
こうした活動は、今も「常軌を逸した」「凡人には理解できない」というようによく紹介されている。たしかにそれらはエキセントリックかもしれない。ただ、僕はこうした紹介のされ方にどこか引っかかるものを感じていて、その時に「愛し合っている渦中の恋人同士の行動は、そもそも他人には理解され得ないし、それを必要としない」という論評を見かけて、妙に腑に落ちたことがある。平和活動の一環とか、芸術という大義はあるけれど、二人だけが理解できる奇行は、愛が姿を変えたものなのかもしれない。

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爪切男『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)

爪切男さんの『死にたい夜にかぎって』を読んだ。奇行と愛で埋め尽されていた。
2011年4月、東日本大震災の余震の中で6年付き合った彼女・アスカに別れを告げられた爪さん。本の中ではその日々の思い出や、これまでに出会った女性たちの記憶が綴られていく。
エピソードはどれも強烈だ。まず6年付き合ったアスカからして、はじめて会った時は新宿で変態に唾を売って生活していた。彼女は唾を売ったお金で、音楽家として成功する日を夢見て日夜曲を作っていた。

「アスカちゃんのことを格好いいと思う」
「バカにしてる?」
「本心から言ってる。自分の夢のためにそこまでやれる君を尊敬する」
「そんなこと初めて言われた」
「どんな音楽作ってるのか、今度聴かせてくれないかな?」
「聴かせるの恥ずかしい」
「変態に唾売ってるくせに何が恥ずかしいんだよ」
「唾を売ってることをどれだけ馬鹿にされても平気だけど、自分の曲を馬鹿にされたら生きていけないよ」

はじめて会った日、叙々苑で焼き肉を食べながらそんな会話をしたあと、爪さんはアスカに告白する。二人は付き合うことになり、すぐに同棲をはじめる。
二人の日々はいいことばかりではないけど、いつも幸せそうだ。たとえば、同棲直後にアスカはうつ病になり、増え続ける精神薬に悩み、断薬を試みるが、禁断症状で時々爪さんの首を締め上げるようになってしまう。でも、爪さんはそのハードな現実を大喜利のように捌いて、首を絞められるたびにスタンプが貯まるポイントカードを作ったりする。生きのびるためのユーモア。爪さんのユーモアが発揮されるたび、笑いながら泣きそうになってしまう。限りなくふざけているみたいに見えて、どの瞬間も切実に生きようとしている。

一人の人を必死で愛しつづけることは、むやみな増築を重ねた家のようだ。不格好で、思想や主義を守っている余裕なんてないまま、でこぼこと膨らんでいく。他人からすれば、なんだこれは、と思うような奇妙な愛し方かもしれない。そこまでしなくても、と思うようないびつな関係かもしれない。でも、大なり小なり、愛し合う人たちはいびつさを抱えているものだと思う。本当は気にしなくていいのだ。それを乗り越えていけるなら。爪さんはそのことを、本の中でさらけ出している。

*

『死にたい夜にかぎって』は、そんなアスカとの物語を軸としながら、爪さんがこれまでに出会った女性たちの話がサイドストーリーのように織り込まれている。「君の笑った顔、虫の裏側に似てるよね」と言い放った女の子、初恋の女の子が自分の自転車を盗んでいる場に遭遇してしまい、協力しながら自分で自分の自転車を盗む話、初めて付き合った女性が家族で新興宗教にはまっていた話……。インパクトがすごい。だけどその中に、不思議と自分がこれまでに関わった人の面影を見ることがある。僕にとって際立って強烈な印象を残したのは、車いすのミキさんだった。

ミキさんは爪さんの初体験の相手となった女性だ。爪さんが童貞を捨てようと出会い系の掲示板にメッセージを続けざまに投稿していた時に知り合った。出会うまでのやりとりや、初体験のテンパった感じ、「虹が何色でもいいように乳首の色なんてどうでもいい」という名言も捨てがたいのだけど、ことを終えたあとの帰りのタクシーでの一場面に惹きつけられた。

「私と付き合ってよ! お願い! 付き合ってよ!」ミキさんはそう言っていきなり抱きついてくる。爪さんは反射的に断ってしまい、車内に重苦しい空気が流れる。
その場面を読んで、ざらっとした感情がよみがえってきた。同じ好意を向けられたことがある、と思う。屈託のなさを装いながら、緊張が漏れているような声の抑揚、軽い笑顔を作りながら、目の奥に真剣さを宿した表情。愛を諦めながら忘れていない、そんな人を、自分は見てきている。

個人的な話なのだけど、僕はゲイで、今の恋人と出会う前はよく出会い系アプリを利用していた。一番頻繁に使っていたのは大学生のころで、会うのは年上が多かった。メッセージを送り、1時間後に、あるいは週末に会う。

彼らは愛されたいというより、誰かを愛したいという気持ちを持て余しているように見えた。僕は人のことを拒むのが苦手で、愛想笑いをしているうちに「この人は愛情を注がせてくれる」と思わせてしまうことがよくあった。単に好意を寄せられていたのが気持ちよかったこともある。そうして何度かあったはずの意思確認を限りなくイエスに見える態度で保留して、結果的に一番ひどいところでノーを突きつけていた。
歯切れの悪い言葉で断った時、彼らは傷ついていることよりも傷ついて見えることを気にしているみたいにした。ただ気まずかったせいもあるだろうし、なんでもないみたいに振る舞えば、なんでもないことになるからでもあるだろう。場数を踏んでも一向にうまくならない役者の演技みたいだと思いながら、いつも見ていた。感情移入する方が残酷なのだとわかっていても、後ろ髪を引かれた。僕も一向にうまくならない役者の一人で、中途半端な気遣いで迫真の演技を台無しにした。

ミキさんについての文章を読んで、もう会うことはない彼らのことを思い出した。
今さらそれを悔いるのは自己満足でダサいし、相手だってもう忘れているかもしれない。終わったことは取り返しがつかない。美化するのも、過剰に悲観的になるのも言い訳だ。「うまくできなかった」という重さを胸に感じ続けることしかできない。

6年付き合った人に振られても、ろくでもなかった昔のことを悔いても、毎日は続く。幸福だった思い出も、人と向き合えなかった記憶も、すべて携えて生きていくしかないから、時々死にたくなる。だけどそんな時こそ、ユーモアが武器になるのだろう。思いつめていると忘れがちな、死なないためのユーモア。それは問題と自分自身を切り離して、主導権を取り戻す手段だ。救いようのない気分の時にも道が残されていることを、この本は教えてくれる。

小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

Reviewed by
中田 幸乃

「放っておいてとも思わないの/わかってくれとも思わないよ/好かれても嫌われても人と人とのことだもの/いつか赤い屋根の温泉行きたいの」

柴田聡子さんの歌を、添えたくなった。
「あなたはあなた」という名前のこの歌を聴くと、必ず、思い出す友人がいるのだけど、小沼さんの文章を読んだら、彼と一緒に京都の山を登って、街を見下ろしながら聞いてもらったわたしの話と、山を下りながら聞いた彼の話を交互に思い出したのだ。

その話のことを、ここで書こうと思ったけれど、やめた。
書くのを悩むことにも、やめたことにも、違和感がのこる。

小沼さんの書く文章を読むと、わたしはいつも誰かのことを思い出す。
あのとき、寂しい顔をした彼や彼女に、言いたくて、言えなかった言葉を考え直す。
「大なり小なり、愛し合う人たちはいびつさを抱えているものだと思う。本当は気にしなくていいのだ。それを乗り越えていけるなら」
こんな言葉を、言えたらよかった。

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