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3F/長期滞在者&more

11月 / 微動

長期滞在者

激動とは程遠かった、この1ヶ月を振り返ることにする。

先月、私が海外出張中していた頃から同居人の機嫌が悪くなり、
出張から帰宅しても居心地が悪く、家に居づらい期間が続いた。

そのせいもあり、仕事以外の時間は本、映画、音楽に大半の時間を費やした。備忘録として振り返っておきたい。

長期滞在者浅井さんの「家日記」のような、すぐに情景が浮かび上がるような文章も書けないので(よく日記の中で、酔っ払ってシェアハウスに帰ってくると書かれている、純君や昴君の隠れファンであります。)、対極として固有名詞に頼った振り返りとなってますが。

 

今月は本をよく読んだ。とはいえ、読むスピードはあまり早くないので、計8冊くらいか。

その中で最も面喰らった本はナボコフの『ロリータ』。
タイトルがタイトルだけに、読む前からある程度内容は察しがついていたし、「”当時としては”センセーショナルな内容で話題になった本やろうなぁ」という軽い気持ちで読み進めていったところ、衝撃を受けた。

学生時代に最初の30ページほど読んでみたが、導入部分が特殊な構造をしていることもあり、なぜかのめり込めなくて「翻訳が悪いんちゃうか」と(失礼にも)勝手に決め込んで、途中で断念していた。結果的に再読してみて、若島正先生のソリッドで武骨な翻訳は大変すばらしかった!

恋愛小説にまったく興味が沸かない私としては、主人公ハンバート・ハンバートとロリータの間の感情については正直どうでもよかったが、それよりも2人の逃避行の様子はロードムービーを見ているかのように生々しく、更にあとがきで知るところによると、ナボコフは無類の蝶好きで、奥さんと蝶の採取のためにドライブしたルート/景色をそのままこの逃避行の描写に反映させてると知り、ゾッとした。

そして、何より私にとってこの小説の最大の魅力は、主人公ハンバートに代弁させる形で、ナボコフが実際に社会でイラつく事象や人間に対して、悪態をつきまくっているところだ。一見子どもみたいなやり口だが、ここまであからさまな描写だと、もう清々しい。コメディ小説とも読めるところが素晴らしい。

『ロリータ』を読みながら思い出したのが、雑誌『映画芸術』の中で編集長の荒井晴彦氏がある映画作品に対してコメントしていた「性描写が描かれていないのが理解できない」という言葉だ。

『映画芸術』(の特に年間ランキング)は身内に偏った評価を雑誌上で載せているので、こちらもそういうもんだという理解の上で微笑ましく読んでいるが、先のコメントはなぜかずっと引っかかっていた。特に人間ドラマを描くのであれば、(もちろん人にはよるが、)過ごしている日常の時間の数%は性に纏わる出来事/妄想が存在するはずで、それが人間描写を中心とした映画の中で一度も描かれない作品には違和感を持つという言及は腑に落ちた。性描写を一切排除した作品を作為的だと感じるようにもなった。

『ナボコフ』に続いては、プーシキンの『オネーギン』を読む。ページ数が少ないというただそれだけの理由で調布図書館で借りた。裏表のない”純”な小説だと思い込んでいたが、これまたコメディ小説とも読めるくらい、主人公の性格がひん曲がっている。こじらせ型の主人公が自ら失った愛を取り戻そうとする様は、一見滑稽にも思えるが、無駄な描写がなく、あっという間に読ませる。

ただそれよりも、私が読んだ『オネーギン』岩波文庫版の場合は、巻末のあとがきが白眉であった。

「なぜ私が翻訳界の食わせ物であるかと言うと、ここ二、三年来、翻訳が嫌でたまらなくなりながら、
やっぱりお金の為に翻訳をしているからである。こんな仕事はもう止めるぞ!と誓って見ながら、やっぱり襖の向うにお袋の寝息を聞くと、今さら沖沖士もできず、砂を噛む思いで夜ふけまで原稿紙を埋めてゆくのである。人は私を我がままな贅沢者と言うのだろうか。…」と、一見青臭い文章だが、覚悟を持った熱のある池田健太郎先生のあとがき。巻末に附属してある、プーシキン作品の収集家鳴海氏に寄せた『偉大なる書痴・鳴海完造』も小説以上に素晴らしかった。

 

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この『ロリータ』と『オネーギン』を集中的に読んだのは、静岡の掛川で行われた音楽フェスFrueに向かう鈍行列車の道中だった。Joujoukaを筆頭にこれまでぶっ飛んだアーティストを呼んできたイベントで、尚且つロケーションが素晴らしく、また人があまり多くない(笑)という要素が揃っていて、いつか行きたいなと思いつつ、でもチケット代がもうちょい安かったらなーと思っていた最中、「ドラマーのBilly Martinが枯れた笹を用いて演奏したがっているので、誰か枯れた笹を現地まで持って来れる人いないか」という主催者の投稿をTwitterで発見。

ちょうど私が週に1回通っている農園の裏が竹林になっており、枯れた笹なら山ほどあったと思い、早速主催者に「持っていけますよ」とメッセージを送る。

そして翌日、農作業の後に裏山で大量の笹をゲットし、電車で乗客に怪訝そうな顔されながら無事持ち帰り、家で笹をギターケースに入れ替えて、週末鈍行列車で掛川へ向かった。

笹を主催者に引き渡した後、会場に入らせてもらう。

想像通り、いや想像以上にとても緩い空気が流れる、誰も急いでないし、思い思いに楽しんでいる。
以前IKEAで4,000円で買ったもののそのまま放置していたテントをいざ設営してみると、
入り口が吹き抜けになった作りになっており、11月にテント泊するにはとにかく寒かった。
しかしこのくらい整っていない環境の方が、非日常な感じがしてワクワクする。

出演者のJoana QueirozやLaraajiも会場内をブラブラして音楽を楽しんでいる。
Joana Queirozの後ろ髪は、襟足を△の形で剃り上げていた。
そして剃り上げた△の中に=のような二本線の髪を少し残してある。
「身体の中にユーモアを!」と主張しているように感じた。

Frueの今年の目玉は何といってもTom Ze。
あまりにも熱いステージで言葉にするのもおこがましく感じる。
Tom Ze、驚異の82歳!

下の動画を見ても感じるが、「生活の中にユーモアを!」という主張をしかと受け止める。

いまの混沌としたブラジルの政治状況だからこそ、
スクリーンに映し出されたTom Zeのアイロニックな歌詞が突き刺さる。

Tom Zeが終わり、キャンプサイトに戻ってる最中、
「寝てたらTom Ze終わってた泣」と嘆いているおばさんがいて、
こういう緩さ含めて本当にフェスやなと微笑ましくなった。

 

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Frueから2週間後の土曜日に御茶ノ水のアテネフランセでネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の映画を3本連続で見る。そう、Tom ZeやJoana Queirozから影響を受けて、ブラジルに対する熱が高まりまくっていたのだ。

その前の週に、仕事終わりに早稲田松竹のレイトショーで『リトアニアへの旅の追憶』を見たのだが、
上映前に吉野家の牛丼を食べて上手く消化できなかったのか、終盤のいいところで腹痛に耐えられず、トイレに立った。

私の腹の弱さは誰にも負けない自信があるのだが、健康診断で診察してくれた医師から教わったガードコーワを飲み初めてから、劇的に状況が変化した。その結果、今では映画3本連続見ても、お腹の心配をする必要もなくなった。魔法の薬、ガードコーワ。ビオフェルミンに比べて飲むとき苦いけど。

そして、私がアテネフランセに出向いた日はネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督特集の最終日であり、満員に近いお客さんが訪れていた。

この日は、初期の『リオ40度』、『乾いた人生』、『オグンのお守り』の初期三部作が上映されていた。

アテネフランセの空調が効いていなかったのか『リオ40度』のときは、場内の熱気もあり、頭がクラクラし、映画の中のリオデジャネイロの世界とシンクロしていた。なぜか観客から独特な(臭い一歩手前の)匂いもし、脳内トリップを起こしそうなバイブスを解き放っていた。

さすがに次の回の『乾いた人生』からは空調も復活。

論理的にあり得ないことが当たり前のように起こる世界が描かれる、南米特有のマジックリアリズムな世界観。何より映画の登場人物たちが、あり得ない出来事に対して一切驚く素振りを見せないところが最高。
「無駄な説明など要らないのだ!」

そして、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督と双璧をなすグラウベル・ローシャ監督のDVDボックスセット(代表作から迷作まで5作品も入ってる!)を大人買いしようといま模索し始める。2日に1回、ヤフオクをウォッチし続けており、1万円切ったものが出てきたら即入札しようと目論見中。

ブラジル熱は更に拍車がかかり、同居人が契約しているNetflixを使って「ブラジル-消えゆく民衆-」を見る。民衆から愛されるルーラと、カメラに中指を立てる(まだ一議員だった頃の)ボルソナーロが対照的に映し出されていた。

熱は止まらず、パトリシオ・グスマン監督の『チリの闘い』を中古で購入し、見る。

チリのアジェンデやブラジルのルーラに対する民衆、労働者からの熱狂を垣間見ると同時に、
行き過ぎた熱狂は反動を生み、中道を進む難しさを痛感。

そう思うと、現在の大国における中道路線としては、何度も国内外の危機を乗り越えながらギリギリのバランス感覚で約15年間率いているメルケル首相の存在がとてつもなく大きく、また貴重だと感じる。後継者へのバトンの引き渡しが上手くいけばいいなぁ。

と、調布のチェーン店で文章を書いていると、隣の席で若い父親が子どもの頭を何度も叩いている。
親と子の関係は中々アンタッチャブルだが、見ていて悲しくなってまうなぁ。

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