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3F/長期滞在者&more

外に出ていくが

長期滞在者

コロナ禍で遠出することが無く外出する頻度は確実に減ったが、ここ1-2ヶ月は遠出することが増えた。

<出張>

職場で様々な地域に入り込む案件が増える中、国内を出張する機会が増えた。

免許を持っているものの、学生時代に取得してから一度も運転していないためレンタカーを使うこともできず、コロナ禍ではあるが電車で移動せざるを得ない。

(満員電車や地下鉄を除き)基本的に電車に乗ることが好きだが、それは小さい頃からそうであったようだ。わざわざ神戸から新大阪に行き、入場券だけ買って、新幹線が往来するのを眺めているときが一番幸せそうな顔をしていたよう。

小学校に入りサッカーに夢中になり電車への興味を一切失い、また家族で遠出する際はほぼ車であったため、新幹線を目にする機会はなかなか無かった。

そして、中学、高校になると親と遠出することも無くなり、また金もなく一人でどこかに出向くにしても新幹線を使うことは無かった。

その後、久しぶりに新幹線を使ったのは浪人の時に大学受験で東京に行く際であった。車窓を眺める余裕もなくただ参考書を開いているだけの味気ない乗車であったが、初めて平日に乗車したこともあってか、スーツ姿の人達のあまりの多さに驚いた。

大学時代になると、仲間との旅行や一人旅で遠出する機会が多くなったが、新幹線を使う金銭的余裕もなく、夜行バスや青春十八切符を使った鈍行列車が主な移動手段となった。

大学を卒業後に入社した会社では、客先に向かうために新幹線に乗る機会が一気に増えた。ただ、仕事で利用する際は新幹線という存在に対して心躍る瞬間が無くなった。新幹線に乗るときは乗車の30分前には改札の近くに到着し駅弁を買ったりと乗車までの時間をブラブラと待つことが、新幹線に乗るためのある種の『礼儀』のように思ってきたが、仕事が絡むとそんな悠長なことは言ってられない。

会社が東京駅の目の前にあったこともあり、新幹線に乗る直前まで仕事をし、その後新幹線のホームまでダッシュすることが基本となった。窓の外の景色を見る余裕もなく、”新幹線”=”ほとんど揺られることも無く座ったまま時間通りに目的地まで運んでくれる乗り物”というイメージになっていた。蕎麦好きな先輩と外出する際は、発車までのわずかな10分の時間を利用して八重洲地下の二八蕎麦の店で一枚かけ込んで電車に飛び乗るのが常だった。蕎麦代として千円札が5分で飛んだ。

新潟県内にある地下階段

そして、今。少しは車窓を眺める余裕も持ちながら出張できている。ただ、乗っている間に、仕事で移動しているのか旅で移動しているのか体内のリズムがごちゃ混ぜになってしまう。頭の解像度がぼやけたまま新幹線を降りるが、改札に向かって階段を降りていく際にこれじゃいかんと、無理やりにでも仕事で追い込まれていた7-8年前の頃のことを思い返し、”あの頃を思えばなんぼのもんじゃい”と言い聞かせ、頭のネジを巻いてようやく仕事モードにスイッチを入れ替える。出張族の人達はそれぞれ独自のネジ巻き方法を持っているんやろうか。

<家族旅行>

親父が昨年還暦を迎え、母親も今年還暦を迎えたため、Go Toトラベルを使って家族全員で金沢を訪れた。家族旅行は10年ぶりか。

親父と私は東京駅で待ち合わせて金沢へ向かい、母と妹は新大阪から金沢へ向かい、ちょうど同じ時刻に金沢で待ち合わせをした。

その後、駅前のANAホテルに荷物を預け、外を歩いた。

あんなに元気だった母は数年前から病気を患っており徒歩での長時間の移動は出来ないかと思ったが、長年自転車で最寄駅まで猛スピードで移動していたおかげか、体力はまだまだ残っているようで金沢市内も基本は徒歩で移動できたた。

夜は親父が拘りに拘ってカニ専門の店を予約していたので、昼はサクッといこうと話して歩いていると、よさげなラーメン屋を発見。偶然入ったその店は、化学調味料を一切使わないこだわりの店で大変美味かった。

美術館などの施設を観光する際、母は身障者料金になるのが不思議な感じがした。

私の家族はもともとあまり値の張るお店で外食をしたことが無く、その影響もあり私もまったくそういう店とは無縁だが、この日ばかしは違う。

カニ好きの親父は非常に張り切り、数日前からカニ2杯を予約していたよう。

終始お会計いくらになるんやろーと家族で言い合いながら、カニをつついた。実際なかなかの額であったが、それに見合う美味さであった。

11月の金沢はあまりに素敵な景色、空気だった。

川の向こうに見える山々がよかった

親父は金沢を非常に気に入り、ウィークリーマンションを借りよかなと頻りに言っていた。

泊まったホテルでGoToチケットが渡されたので使い道を探すが、市内で電子クーポンを使える店が限られており、結局ユニクロで使うことになった。翌日の昼は、ユニクロが入っていた香林坊というモール内のサイゼリアで食べた。親父はせっかくの金沢なのにサイゼリアかと嘆いていたが、女性陣の方が力が強いので、拒否権は無かった。私は普段とは違う気分を味わいたいと思い、普段サイゼリアで頼まないイカスミスパゲティとエスカルゴにした。

店を出ると、母親が「向かいが映画館になってるやん」というので、見るとシネモンドだった。7-8年前に私は金沢に来たことがあったが、それはシネモンドでカサヴェテスの特集を見るためだった。そのときはたしか3本連続で見たが、その中のオープニングナイトという作品があまりに素晴らしく震えたことを憶えている。あの緊張感溢れる作品とシネモンドの空間がとてもマッチしていた。

当初雨予報だった2日目も無事に晴れて素晴らしい天気の中、とても平和な時間を過ごすことが出来た。

晴れ渡った秋の日

母親と妹が20分ほど先の電車で大阪に帰るため、親父と二人で金沢の駅前の広場に腰掛ける。会話は当り障りのないものだったけれど、なんかよかった。

<フェリー>

横浜の久里浜から千葉の房総半島までフェリーを使って行けるということを耳にし、Go Toトラベルを使って出かけてみた。翌日には千葉県内でアポが入っていたのでちょうどよかった。

事前に調べていた通り、久里浜のフェリー乗り場の近くには何も無く、空いているか閉まっているか分からないパチンコ屋があるだけであった。フェリーに乗り遅れた人が時間潰しに遊びに行くのだろうか。

フェリーの出航まで時間があったので立ち寄ったペリー公園では、地元の子ども達がボール遊びをしていた。ペリー公園に鎮座している記念碑の周りでは、三輪車から自転車に切り替わったばかりであろう小さな子どもが小さな自転車を一目散に漕いで何周もしていた。よく目が回らないもんやなと感心する。

フェリーに乗っている時間は40分ほどであったが、出発の時点から対岸は見えており、乗客が少しでもフェリーに乗ってくつろげるようにと、あえてゆっくり進んでいるような印象を受けた。

神奈川から千葉に渡るのに東京湾フェリーという名前なのが面白く、レトロな感じがする。実際にレトロ感満載の時間の過ごし方が出来た。

完全にノープランであったが、到着した金谷港の近くに鋸山が近くにあったので登ってみることにした。ロープウェーもあったが、せっかくの山なので登らないと損だと思い登る。途中、人の多さに驚く。

大量の汗をかいて下山をし、外房線で館山駅へ。前日にBooking.comで予約したホテルは館山駅の近くだと思い込んでいたが、実際は駅からバスで30分以上かかる場所にあった。

バス停からさらに海に向かって歩いてようやく到着したホテルはホームページに掲載されていた写真とだいぶ異なった草臥れた様子であったが、それは裏側だけで、正面玄関から見ると立派に見えた。実際、少しうらぶれていた方が落ち着く。

荷物を置いて早々に向かった野島崎から見た日の入りは、10年前にインド最南端のカニャークマリで見た景色に似ていた。

日本のカニャークマリ

夕食は、何年ぶりかのバイキングだった。何でも好きなだけ取っていいという環境があるだけでテンションがあがる。二人で食材を取り過ぎ、磯焼きが名物やからと調子に乗って網にエビや栄螺やらを色々乗せて焼くが、気持ちが緩んでいたのか食べるときに手で貝を触ってしまい、あまりの熱さに親指を火傷する。店員さんに氷持ってきてもらった氷が特盛であったため、腕を大怪我してもうた人みたいになる。

レコードも楽器も缶ビールもお土産も同じ空間にあり素晴らしかった。

房総半島では、水産業や飲食関係で利用されていた建物ががそのまま空きになってるところが目立ち、吹きさらしの風とコンクリートのイメージが強く残っている。

<山手~本牧>

密集空間を避けるために、人がまだ往来に出ていない時間を活用して散歩するようになった。

地元の神戸のサイズ感が身の丈に合っていたため、今年の初めに引っ越して市民になったとはいえ、横浜の街を歩いていてもよそ者感が拭えなかったが、歩き廻るにつれて徐々に街の様子が見えてき、親近感も湧くようになった。

みなとみらいに対するハーバーランド、それぞれの中華街(規模は天と地の差だが)、元町という地名など横浜と神戸の共通点はとても多い。違いは神戸が誇るモトコーというJRの沿線の高架下に広がる戦後の名残のごった煮の店の並びくらいか。(ちなみに改築によってモトコーが潰されると聞いたが真偽のほどはどうなのであろう。。)

私の実家の隣駅から徒歩30分ほど山を登って行った場所に六麓荘という高級邸宅が並ぶエリアがある。駅から徒歩で行くには遠い場所で、住人以外は六甲山に登山するときくらいしか通る機会はない。六麓荘にはお抱え運転手がいるような財界の方達が住んでいる。

横浜における六麓荘は山手町のエリアだろうと思い、ぜひその様子を見てみたいと、まだ喫茶店のモーニングもオープンしていない時間に元町・中華街駅から坂道を登っていく。

坂を上っていくと、フェリスや雙葉などお嬢様学校がある。朝が早いためか人通りは少なくたまに外車が通っていく。ときどきランニング姿のおじちゃんとすれ違う。一人の散歩中のおじいちゃんが「おはようございます」と挨拶をしてくれた。山手を少し好きになる。

横浜近代文学館の前を通るとネコが何匹も集まっていた。その内の最も大きい一匹は目から涙を流していた。寝起きなのか何か他の原因なのか。

目に涙を溜めていたネコはとても人懐っこく、パシャパシャとスマホで撮影した。和んだ気分で歩くと、その隣には領事館があり早朝から厳しい警備体制が敷かれていた。隣の建物の前でネコをパシャパシャ撮っていただけだが、なぜか少し後ろめたい気分になり、顔を下げながら足早に通り過ぎていく。

涙浮かべている顔の部分がちょうど逆光

道なりに進んでいくと、下り坂になった。この坂はワシン坂というらしい。なんかワシン坂という名前が妙に気に入って、ワシン坂を時間をかけて歩いた。ワシン坂を下っていると家々の雰囲気が突然変わってくる。下り坂進行方向右側の丘側と左側ではまったく異なる建物が並んでいた。

ワシン坂の名前の由来は分からない

ワシン坂の交差点をさらに突き進んでいくと、そこはもう山手ではなく本牧というエリアであった。本牧にはニュータウンのような同時期に一気に建てられたような高層マンション群が建ち並び、その周囲には作られた緑が拡がっていた。造られた自然とは人工的な響きだが、人が落ち着けるようまた気分転換しやすいように散歩道が整備されているこうした空間も大好きだ。自然の中に入り込んでいくというより生活空間と隣り合わせになって半自然のような場所。

「本牧、めっちゃええとこやなぁ」と思いながら歩いていると、本牧ゆあそび館というスーパー銭湯を発見する。ますます本牧が好きになる。

そのまま大通りに出てみると、昔ながらの店が建ち並ぶレトロな通りに出る。さらに本牧が好きになる。

本牧の周りには電車の駅が無いのでスタート地点の元町まで戻ろうと再び丘を登る。と、黒人の男の子と女の子が自転車に乗っていた。様々な国籍の人達が住むエリアに羨ましさを感じる。

高級住宅街の電柱は一味違う

元町駅に戻ると駅前のスターバックスがもう開店していた。天気のよかった日であったためか、既にテラス席は満席になっていた。ようやく街も1日をスタートし始めたようだ。

私もコーヒーを飲みたくなったが、家に帰ってから淹れたらえっかと思い、駅へ向かう。電車が来るまで10分ほどあったのでスマホを開くと、その日の読売新聞の朝刊に、高校時代の友人がチェコの作家クンデラの著作に関する書評を寄せていることを知る。人生で一度も読売新聞を買ったことはなかったが、駅前のコンビニで初めて購入した。

早速読もうと思ったが、家に帰ってコーヒーを飲みながらゆっくり読むことにした。

とても清々しい休日の朝で、最寄り駅に着くとこれから電車に乗って出かけようとしている着飾った人たちが駅に向かって歩いていた。

駅から家へ戻る途中、澄み渡った空の鶴見川沿いを歩き、河川敷にテントを張り始めている人達を眺めながら、何か一仕事を終えたような充実感を覚える。『あぁスタートダッシュに成功した完璧な1日やな』と思いちょっと横になると、そのまま長時間眠ってしまい、結局その日はこれといって何もしない一日となった。

キタムラ レオナ

キタムラ レオナ

1988年兵庫生まれ

Reviewed by
小峰 隆寛

止まっていては決して出会えない’何か’をもたらしてくれるのが、移動そのものの醍醐味だと再確認した。移動は、きっとそのどれもが、もっとキラキラしていていいよなぁと思わせてくれる文章であった。

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