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3F/長期滞在者&more

同僚たち

長期滞在者

今年も残すところ1週間、今回がもちろん今年最後の投稿。

今年最後は、これまで出会った同僚たちについて書いていきたい。

偶然同じ会社に入社した人や、アルバイト現場で出くわした同僚たちの中には、直ぐに意気投合できるような人から心の中が解せない人まで様々な人達が混ざり合っている。

が、趣味や感覚も異なるからこそ、共に過ごす中でとても愛すべき瞬間もやってきた。

こうした偶然出くわした同僚たちについて振り返ってみたいと思う。

<レンタルショップ店>

人生で初めてのアルバイトが渋谷スクランブル交差点のレンタルビデオショップだった。

系列店の中で最も在庫数が多い店舗であったためか、大変厳しい管理がなされている店舗で、覚えることが山ほどあったし、アルバイトに対しても定期的なテストや抜き打ちチェックがあった。オペレーションに関することだけでなく、商品知識に関してもそうでった。

たとえば、『フレンチカンカン』はどの棚(ジャンル)に陳列されているか? なんていう試験が定期的にバイトに対しても実施されていた。

そこで働く人たちは、当時の私からそう年は離れていないはずであったが、みな大人に見えた。

アクション映画、フランス映画、Vシネマなど、バイトでも自分の棚を任され、店内の商品のPOPも書くことが出来る点が魅力的であった。その中で私が最も憧れたのが、アダルトコーナーの商品配置が全て頭にインプットされて”神”と崇められていたNさんではなく、主にクラシック映画担当のAさんだった。

その店舗は渋谷という土地柄、半額キャンペーンの日は言わずもがな、日に数回はトラブルが起こる現場ではあったが、Aさんはトラブルに慌てる素振りも見せずいつも冷静に対処していた。

「こっちはちょっとのトラブルで心臓飛び出そうになるのに、どうすればこんな冷静な対応できるんやろう」と思っていた私にとっては、大学の授業よりもアルバイトでAさんから学ぶ方が重要であった。

ある日、大学の映画論の授業で紹介されていた映画が、高田馬場の早稲田松竹で上映されることを知り、土曜日の一番早い朝の回の上映を見に行った。2本立ての映画であったが、次に予定があったため1本目が終了したところで席を出たところ、映画館の外の喫煙所でAさんが煙草を吸っていた。「うわぁ、Aさん、やっぱり休日も映画に囲まれた生活されてはるんや」とどこか納得感というか信頼感というか、落ち着いた気分になった。そしてAさんの隣には、同じバイト先の女性スタッフが煙草を吸っており、仲睦ましいように見えた。いつか飲み会の席などで「早稲田松竹の前で2人でいるところ見かけましたよ」と言いたかったが、伝える前に私は辞めてしまった。

<クリームパン屋>

レンタルビデオ店の後、いくつかのアルバイトを経験したが、特に印象に残っているのが、クリームパン屋でのバイトだ。

クリームパン屋といっても常設店があるわけでは無く、JRの駅構内に仮設店舗を構えたり、百貨店に期間限定で出店したりと、場所も様々であった。

このクリームパンが少し変わっていて、(宣伝文句のようだが、、)シュークリーム感覚で食べる冷たいクリームパンで、毎朝地方の工場で作られたものが都内に運ばれていき、その日に売らないと廃棄になってしまう。

そのため、在庫管理はとてもシビアで、仮に夕方の段階で○駅前店の売れ行きがいまいちであったら、●駅前店まで電車に乗ってダンボールに入ったクリームパンを持っていき、●店で在庫を全て売り切るといったようなことを行っていた。翌日に持ち越せずその日1日が勝負の現場であったので、それはそれでとても達成感を憶える現場であった。

その中で、とても端正な顔たちで寡黙な男性スタッフBさんがいた。おそらくモデルか俳優業もしていたのだろうか。バイトスタッフも販売の際に決まった制服と帽子を被らないといけないのだが、仕事終わりに帽子を脱いでもBさんの髪はまったく乱れていなかった。

ある日、特に忙しい現場である●店のシフトに入った際にBさんもいたのだが、いつも同様に誰よりもクリームパンの陳列が上手く(潰さないように素早くクリームパンを並べるのは至難の技であった)、口数は少ないがマダムに好かれる接客に見とれながら1日が終わろうとしたときにそれが起こった。私がバックヤードで事務作業をしていた際、「ウォー」というBさんの怒号が聞こえた。

どうやらクリームパンを買いに来たお客さんとの間でトラブルがあったらしく、私が表に出た時には、お客さんが「なんやその態度は、やるんかこらぁ」とキレている状態であった。急いで社員が出てきて平謝りし、Bさんには「今日はもう家に帰って、しっかり休養とって」と伝えBさんは早退した。その後、単にシフトが被らなかっただけか分からないが、現場でBさんと会うことは無かった。

<新卒で入社した企業>

諸々あり、大学を6年かけて卒業した後、入社した企業。そこにいたKさんは私の隣のチームだったが座席が近く、また齢も3-4つしか離れておらず、私にとって話しやすい先輩であった。

よく他の先輩たちと共に仕事後に焼肉を連れて行ってくれ、ビールやレモンサワーを飲みながら、たらふく肉を食い、最後にはジャンケンをして負けた人が全額払うという遊びをしていた。私にとっては平日に気軽に焼肉に行くこと自体が、どこかマッチョなことで豪快なことに感じられた。

ある日、Kさん含めて新橋に飲みに行き、カラオケに行った。その日は社内の上層部の先輩も同席していたのだが、Kさんにはそういうことはまったく関係なかった。1次会で結構飲んでいたのか、Kさんはカラオケルームに着くとすぐに、デンモクでXジャパンの紅を入れ、イントロ部分を早送りで飛ばしながら服を脱ぎ、下はイチモツに靴下を被せた格好でテレビ画面にかじりついて熱唱した。「うわぁ、レッチリや」と思い、「レッチリスタイル、おはこなんですか?」と聞いたが、Kさんはレッチリのことは知らず、自然とそうなったようだ。

そして、一人で飲み過ぎたKさんは帰り際に突如いなくなり、どうしたもんかとみなで待っていたところ、エレベーターが開き、体育座りをして寝ているKさんをそこに見つけた。呼んでも起きず、そのままエレベーターは上に行ってしまい、また1階に降りてきたときに扉が開いたが、そこにはまだ体育座りで寝ているKさんがいた。

そんなKさんが珍しく浮かない顔をしていた。

話を聞くと出張中に仲良くなった女性が実は既婚者で、その女性の旦那さんからKさんのもとに金銭要求の連絡が来ているのだという。「多分夫婦ぐるみでハメられたなぁ。弁護士立てないとあかんかな」と意気消沈してその後、数週間過ごしていた。

ほどなくして私は職場を辞めたため、続きがどうなったのか知らないままだ。

<現在働く会社>

現在の会社に勤めて3年が経った。日本と東南アジアに拠点があるのだが、昨年度から急に日本拠点のメンバーも増えた。

前職と異なり研究の要素も強く、8割は修士/博士課程を出た理系出身のメンバーで、前の職場のように終電を気にせず無限大に酒を呑むメンバーも少ない。

ただ、これまでの職場と比べて、とても個性的なメンバーが多い。

オーストラリアでゴミ箱漁りをして生活するヒッピー生活を経験した女性社員やアフリカ大陸を自転車で横断した男性社員など、冒険心に溢れている。

その中で昨年、Mさんという男性社員が入社した。

Mさんは南米の音楽が好きであったりと多趣味な方であるが、無類のネコ好きでもあり、ついつい語尾に自然と”にゃん”とついてしまう癖がある。

夕方、徐々に人が少なくなるオフィスでぼそっと「お腹すいたにゃん」という小声が聞こえてくることがある。

その声を聞くと、どこかオフィス空間の中で落ち着く気分になるのだが、こちらが大変忙しくしていている時は「にゃんにゃん何を言っとるんや」と変に意識してしまうときがある。

なかなかコロナ禍において、オフィスで「にゃん」を聞く機会が減ってしまったが、Mさんから発せられる「にゃん」の声が、自分の心の余裕を測定する一種のリトマス試験紙の役割を果たしていることに気付いた。

来年度、また新たにどのような人達と働くことができるか楽しみである。

キタムラ レオナ

キタムラ レオナ

1988年兵庫生まれ

Reviewed by
小峰 隆寛

同僚という切り口の出会いの数々。それらは物語としての次章やオチに辿り着くことなく、スパッと終わってしまう。初めてジャズのアルバムを通して聞いた時にようで、きっと考え甲斐があるに違いない。

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