入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

富士山

長期滞在者

家から川沿いに100mほど歩いた場所にちょうど富士山が見えるスポットがある。夕暮れの時間にはそこからスマホで写真を撮る人をたまに見かける。

家から富士山までは遠く離れているので、大きさに圧倒されることはないが、ドッシリとそびえ立つ様は見てとることができる。私も安心感を憶えたいときにときどき富士山を眺めていた。

ある日、富士山をどうしても近場で見たくなり、小田原に出かけたことがあった。

昭和の私小説を芋づる式に読み広げていた時期があり、特に川崎長太郎が小田原での暮らしについて書いていた作品が気に入っていた。東京から都落ちして生活をする場所として小田原が描かれており、富士山に加えて私小説の舞台と雰囲気を味わえるのも楽しみに現地に向かった。

時間に追われる必要のない休日であったので、新幹線やロマンスカーも使わずに、鈍行でゆっくりと向かう。平塚を過ぎた辺りから、進行方向左手に綺麗な海が見え、右手には早速富士山が大きく見える。

旨い立ち食い蕎麦のスタンドがホームにありそうな駅をいくつか超えて小田原に近付いていく。せっかくここまで来たなら、小田原だけでなく周辺の駅にも立ち寄ってみようと思い、小田原を通り越してそのまま真鶴駅で下車する。

真鶴には最近移住者が増えていると何かの記事で読んだことがあり、一度訪れてみたいと思っていた。駅から渦巻くように道が続いており、ぐるりと回りながら徐々に海へと近づいていく。渦巻きの先に海があるのはあまりに理想郷に近いような気もしたが、のどかな雰囲気が広がっており1日ボーっと過ごしたくなるような場所だ。海では釣りをしている人がいた。どこかで似たような景色を見た気がするなと思ったら、10年近く前に見た気仙沼の海辺だった。渦巻きを逆に進んで駅に戻る途中に立ち寄った喫茶店で黒カレーを注文した。とても不思議な味のカレーが出てきた。

2時間ほどの滞在で真鶴を後にして、その後小田原へ向かった。各線との乗り換えに使われる巨大な出口ではなく、人通りの少ない改札口の方に降りてみた。途中、小さな神社に立ち寄りそのまま住宅街を歩いていると、高い塀で囲まれた建物があった。小田原少年院だった。隣には拘置所があり、ゲートには「面会希望の方はこちら」と書かれていた。一瞬、映画のセットの中に入り込んだような気がした。少年院と拘置所の鼻の先には喫茶店があった。喫煙できる喫茶店であって欲しいと思った。

1時間ほど小田原駅周辺を歩いていると、川崎長太郎の私小説の中で何度も出てきた”だるま”という日本料理屋があった。氏の作品の中では、毎日決まった時間にここで安い天丼を頬張っていたと綴られていた。今は一杯どのくらいの価格で食べられるんやろうと調べてみると、天丼(えび1本・魚・いか・なす・ししとう)が一杯1,700円だった。当時、我々が現在てんやの天丼を食べる感覚で川崎長太郎は通っていたのだろうか。伝統の力の大きさを感じた。

駅前は雑居ビルも多くごちゃごちゃしていたので、落ち着いた場所から富士山を眺めようと海のある方向に向かう。しばらく歩くと、扉の開いた防潮堤が視界に入ってきた。扉の先に海があるのだが、扉を越えたらタイムワープしてしまうように思えるシチュエーションだった。

防波堤の扉の向こうに海が広がる

扉を越えて海へ向かうと、決して若くはない女性が派手なコスプレ姿で海をバックに撮影していた。その女性以外、遠くに犬の散歩をしているおっちゃんがいるだけで、地元住民だけに知られたプライベートな海辺のような感じがした。

今回の目的である富士山も薄っすらと見ることができた。家の近くから見る姿よりもどこか台形型に思えたが、近くで見るとどっしりさが増すのだろうと思った。夕暮れ時にまた訪れようと思い、扉に引き返していくとき、コンビニの袋に氷結のロング缶を詰めたおそらく東南アジア出身であろう若者2人とすれ違った。少し一緒に飲みたかった。

人も少なく穏やかな海岸であった

防波堤の前にある空き地に石碑があることに気付いた。よく読むと、川崎長太郎がこの地で暮らしていたことを示す石碑であった。氏が住んでいたバラック小屋はもちろんもう無いが、近くに小さな物置小屋はあった。広い小田原の中で、図らずしてこの石碑に出くわしたことに何か奇跡のようなものを感じる。

川崎長太郎がこの地で暮らしていたことが記された石碑

グーグルマップを開くと、少し離れた場所に見晴らしのよさそうな広い海岸があることが分かったので、コンビニで缶ビールを買ってその海岸に向かった。先の防潮堤のスポットよりは人手が多く、高校生のカップルもいた。堤防に座ってゆっくりと富士山を眺めながら夕陽が沈むのを待つ。せっかくなので完全に太陽が沈み切るまでその場にいようと思ったが、急激に寒くなったので、途中で引き上げた。

小田原駅へ戻る中、国道を横切る際に後ろを振り返るとそこからも富士山が見えた。

やはり家から見るよりもその姿が台形型に見え、遠近法の所以なのかと思った。国道を横切る交差点の近くに、薬を薬箪笥で保管しているとても由緒ある風情の薬局があった。

ちょうど店じまいの片付けをしていた年老いた優しそうな店主に
「御免ください。いつも富士山って今日のように綺麗に見えるんですか?」
と尋ねると、
「いや、残念ながら小田原からは富士山は見えないですけども。。」
と返事が返ってきた。

国道から見える台形型の山

それからしばらくして、本物の富士山を猛烈に見たくなった。

せっかくであれば遠慮することなくお膝元で眺めようと富士駅へ鈍行で向かった。朝自宅を出発すると晴れ渡っており、これは期待できそう。途中、車窓からも富士山が見えるはずであったが、あえて反対側に座って見ないようにした。

富士駅の1つ前の駅に到着する際、「吉原駅から岳南鉄道が出ているので、ご利用の方は乗り換えください」とのアナウンスが聞こえる。特に富士駅に急ぐ必要もないので、吉原駅で下車し、2両編成の小さな鉄道に乗り換える。ホームは中学生のサッカーチームで溢れかえっていた。車内に乗り込むと、車掌さんがサッカーチームの引率の先生に「事前に切符は全員分集めて、降りる際はまとめてお渡しください」と伝えていた。

その後、商店街が伸びていそうな駅で降りて、散策する。まだ時間帯が早いせいかあまり店は開いてなかったが、地元の人で賑わっていた肉屋に入り、メンチカツを買う。隣にセブンイレブンがあったので100円のホットコーヒーを買う。朝から何も口にしていなかった中、いきなりのメンチカツとコーヒーは少し胃に刺激が強すぎた。

商店街を奥まで突き進んでいくと、小さなバスターミナルがあった。行先を見ていると、このターミナルから富士駅までバスで行けることが分かった。富士駅行きバスの到着まで20分ほどあったので、ターミナルの周辺を散策する。

ターミナルの近くにはアラビア風の建物があり、その裏には小さな呑み屋が並び、その通路は寺院に繋がっていた。あまりに情報量が多い空間に出くわして、思わず写真を撮った。夜はどんな感じなのだろう。

突如現れたアラビアンな建物
通路の先は寺院へと繋がっていた

富士駅まではバスで20分ほどだった。車窓から外を眺めていると、途中の道にはチェーン店が多く建ち並んでいた。

富士駅前は、一部シャッターが閉じたままの店が多くあり、少し寂しい様子であった。肝心の富士山はどこにも見えなかった。

ちょっと駅を変えてみようかと、富士駅から富士宮駅に移動した。

富士宮駅に降り立っても富士山は見えなかった。眺める角度の問題なのかと思い、とにかく歩いて廻った。途中、浅間大社に立ち寄る。駅から浅間大社まで距離はあるが、途中からアーケードのついた通りが伸びており、参道になっていた。富士宮の神社は富士山を眺められる場所に構えているだろうと思い、期待を胸に詣でたが、富士山を見ることはできなかった。

ただ、浅間大社を囲むように富士山からの湧水による鏡池があったが、あまりに綺麗に透き通っており救われた気持ちになった(後で調べてみると、富士山を神格化した火山神=浅間神に対する信仰の神社を浅間神社と呼び、全国1,000以上ある浅間神社の総本山が富士宮駅にある浅間大社であった)。

その後、境内を後にして浅間大社の裏通りを歩いている際、ついに富士山の中腹までを目にすることができた。とてもなだらかな勾配の富士山の一部を眺めることができたが、残念ながらその先は雲で覆われていた。

富士宮駅までの帰り道、富士山が世界遺産に登録された記念で建てられた富士山世界遺産センターという周囲と一線を画す巨大な建物があった。せっかくなので入場料300円を払い、中に入ってみる。有料ゾーンに入り真っ暗な中を螺旋状に登っていく。壁には登山者の視点の映像が映し出されており、まるで本当に富士山を登っているように、見える植生や景色が登っていくにつれて変わっていくというものであった。

この富士登山の疑似体験がとても心地よく感じられ、いまだ富士山を拝められていないその日の状況を幾分か和らげてくれた気がした。

今日は天候が悪かったから日を改めようとそのまま旅路を後にして家に戻ることも考えたが、さすがに悔しさが残るので、富士宮から富士駅へ戻り、富士駅近くの宿で1泊することにした。

その日の夜は、宿の裏にある食鮮館タイヨーで寿司とタコの刺身と総菜を買って、宿の屋上で食べた。屋上には足湯があり、富士山を眺めながら落ち着けるスペースになっていた。もちろん、その夜は富士山を眺めることはできなかったが、屋上で飯を食べるという開放感を満喫し、”明日は富士山と日の出のコラボレーションを目にできるかもしれへん”と淡い期待を抱く。

足湯がおかれた宿の屋上

翌朝、日の出の時間にしっかり目が覚める。急いで屋上に行く。昨日より天気はよさそうだが、雲に覆われて頂上はまったく見えなかった。

翌朝も中腹から頂上までは雲に覆われていた

諦めてもう家に帰ろうと思い、部屋の鍵を宿のチェックアウトボックスに入れて、宿の外に出る。宿の外では現場仕事の出張で宿泊していたであろう、作業着姿の男性達が喫煙スペースで朝の一服をしていた。

富士駅まで歩き、家に戻ろうと電車に乗った。1駅が過ぎ、向かいの車窓を見ていると雲が少なくなってきている気がした。これはもしやと思い、2駅目で電車を降り、反対側のホームに歩き、富士駅まで戻った。せっかくここまで来たのだからもう少し粘ることにした。

富士駅の改札前にチェーン店のパン屋があり、そこでサンドイッチとコーヒーのセットの朝食をとった。サイフォンでコーヒーを淹れてくれる。五臓六腑に染み渡り、一気に目が覚める。

1時間粘った後に駅の広場から眺めてみても、やはりまだ雲がかかっている。

スマホで検索すると、朝早くから空いているスーパー銭湯があったので、サウナに入って時間を潰して、雲がどこかに行ってしまうことを待つことにした。

開店10分前に着いて、外の駐車場で待つ。既に10名ほどの人達が開店前の扉の前に並んでいた。

開店から1時間は水風呂を3℃低い設定にしているようで、サウナ後の水風呂はギンギンだった。外気浴用のスペースも広く、とても素晴らしいスーパー銭湯であった。

壁には訪問回数ランキングが紹介されており、1位の方は1ヶ月に36回このスーパー銭湯に通っていた。この常連さんはサウナ後にはいつもからカレー(から揚げカレー)を食べると書かれてあった。

早起きとコーヒーとサウナという満ち足りた朝の時間を過ごしてスーパー銭湯を出ると、ついに富士山をはっきりと眺めることが出来た。

ようやく頂上を眺めることができた

スーパー銭湯のそばには大きな工場地帯が広がっていたが、工場と富士山の組み合わせもこれまたとてもよかった。

長くそこに留まるわけではなく、頂上を拝めたことに満足して帰路に着いた。

その日の夕暮れ時に、自宅から河川敷に出て、朝よりもだいぶミニチュアサイズに見える富士山を眺めた。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る