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3F/長期滞在者&more

久しぶりの海外で

長期滞在者

久々の海外出張でタイのバンコクに数日間滞在した。

コロナ禍では国外に行けていなかったので、3年ぶりの海外か。

航空券を買って、到着空港がドンムアン空港かスワンナプーム空港かを確認するだけで懐かしさがこみあげてくる。「円をいくら両替していこうか」なんて考えるのもなんかいい。

出張が決まってから実際に出発するまでに2週間はあったはずなのに、気付いたら出張とは関係の無い業務に追われて、当日もぎりぎりに成田空港に着く。これから数時間後には国を超えているとは想像も出来ない。

空港で同僚と合流して、まずSIMカードを現地で買わないとですねと話をしていたら、「楽天モバイルだと自動的に海外で数GBは無料で使える」と聞き、安堵する。SIMやアプリなど苦手な自分にとっては有難い。が、海外の案件に携わるにはこうした当たり前のことを当たり前に情報収集して面倒がらずにこなす必要があるという当たり前のことを考える。

スワンナプーム空港に夜22時頃に着いて、タクシーに乗ってホテルへ向かう。

タクシーの中で、同僚と話しているとき、「我々最近仕事の話しかしてないですよね」と話す。

たしかに同僚に子どもが産まれてから仕事終わりにふらっと飲みに行くことが無くなった。コロナ禍でそもそも行けなかったこともあるが。

タクシーの中で気付いたら、普段は誰にも話したこと無いような話を半ば相談に近い形で同僚にしていた。

そして振り返ると、この空港からホテルまでのタクシーの中での会話が今回のタイ滞在の中で一つのハイライトであったと思う。なのでその話は自分の中だけに留める。

その日は、ぬるくて湿り気のある風に吹かれながら、屋外のプラスチックのテーブルでグラスに氷をたっぷり入れて、シンハービールを1瓶だけ同僚と分けて飲んだ。

翌日、同僚と共にホテルの周りを歩き、朝飯にローカルなものを食べようと偶然入ったヌードル屋が最高に美味しかった。あまりに美味しくて、結果的に同僚達が帰って最終日に1人でバンコクに滞在していたときも1日に2回この店に食べに来た。米粉の麺を3種類から選べるのもいい。1杯150円だったか。おばあちゃんの茹で方も伝統芸能のようだった。

タイに到着した翌日は、出張の最大のミッションであった面談をした。面談の会場や、面談相手の威厳と仰々しさのギリギリのラインのカリスマ性も含めて、なかなか味わえない経験だった。面談中に彼がそっと自分の机の下のボタンを押したなと思ったら、突然彼の秘書が日本語の彼の自伝を人数分持って来て、こちらは何も頼んでないのに彼はその自伝に対して自筆のサインをし出した。ペースを決して自分から離さない、こうした徹底的な自己演出家が本当のトップに上り詰めるんだなと思った。

タイでは医療用ではなく嗜好用の大麻も解禁されたので、CBDでなくTHC成分が含まれるマリファナが売られる店が街角に乱立していた。それもドーナツ屋のようなカジュアルさで出店しており、店の多くは主に交差点の近くに見られた。1本のジョイントが1,000円を超えている店も多かった。

仕事を終えた後の夜の時間も少しは楽しんで、2泊3日の出張を終える。

帰りの飛行機の中で、出張とこれまでの旅との間に感じる差に関して思いを巡らせていた。

その差に関するモヤモヤがはっきりしたのが、偶然近所の古本屋で買ったこの本を読み進めているときだった。

その差は体調の悪さだ。

かつて、安宿に泊まって長時間の移動を続けているといつも決まって身体を壊す。身体を壊さなかったことが無い。

そして異国の地で身体を壊していると、これまで考えたことの無い経験、研ぎ澄まされたような感覚に陥ることがある。

この本の中でも、筆者の内面が語られているのは、体調を壊して宿で身動きが取られないときがほとんどだったりする。

もちろん出張のときでも、屋台の飯にあたって腹を壊したり、会食でひどい二日酔いになったり、翌日のプレゼンが憂鬱だったりすることはあるが、基本的に日本にいるときと変わらないレベルの不調で済んでしまう。

一方で、現地の人達からも心配されるくらいの慢性的な体調の悪さ。これまで学生の頃に旅をしていたときはほぼ毎回どうしようもなく体調を崩していた。そしてそういう体調を崩したときこそ、日本とまったくかけ離れてはるばる異国にやってきたという郷愁を感じていた。

ならば、今後も積極的に異国の地で身体を壊したいかと言われたらそうでは無いが、でも身体を壊すことなく日本に戻るような滞在はどこかちょっぴり寂しい。

体調の悪さ以外では、お金に対してどこまでシビアになるかという点も思い浮かんだが、出張のときは出張のときで、領収書を出してくれないタクシーの運転手に対して真剣な剣幕で「メーター、メーター!」と指を指して抗議していたので、トゥクトゥクの運転手に10円単位で交渉していた頃と意外と差は無いかもしれない。

最後に、今回味わえなかったこととして、次回は傘なんてなんの意味もなさないくらいの、もはや笑って過ごすしかないくらいのスコールが不意打ちで降って欲しい。そして雨宿りをしながら、「どうしようもないなぁ」とみなで笑い合いたい。

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