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3F/長期滞在者&more

寝正月

長期滞在者

年末年始は寝正月だった。

昨年の秋から出張で長野と横浜を行き来する日々が続き、気温差にやられたのか、不規則な働き方で体調のコントロールが効かなくなったのか、もしくは仕事の決着が着かないまま年末を迎えたからか、思い当たる節はいくつもある。

年末に身体の異変に気付いた時、これは寝正月になるなと思い、それはそれで生活の中で一呼吸を置けるとどこか安堵した気持ちにもなった。

部屋には、図書館で借りていた本が何冊もあったし、見たいと思っていながら映画もいくつもあった。

図書館で借りていた本の中に「評伝ジャン・ユスターシュ」という本があったが、ママと娼婦というほぼほぼ会話劇の3時間半ほどの長尺の映画を大阪のシネヌーヴォで見て、監督のことを更に知りたくなり借りた本だ。

シネヌーヴォというミニシアターは大阪の九条にあるが、松島新地という遊郭から直ぐの場所にあり、商店街や個人店も多くあり、歩いていてとても面白いエリアだった。

この年になってこうもガツンと影響を受けることがあるんだろいう内容の映画だったし、3時間半もの映画を最後まで見届けたことに対する安堵感と達成感は心地よいものだった。

ユスターシュ監督の他の作品が見れていなかったため、他の作品に関わるページは読まないようにして、パッチワークのような読み方で読了した。

風邪を引いていても、食欲はずっとあった。とにかく好きなものを食べようと思い、永谷園の煮込みラーメンを、普段食べている醤油だけでなく味噌や鶏しお味も含めて何種類か、同時に野菜も大量に買い込んだ。手軽に栄養を取りながら、好きな味を堪能できる。おせちもお雑煮も年越しそばも無かったが、満足だった。

食事も初詣も味わえないので、せめて少しは年越しらしいことをしたいと思い、箱根駅伝を最初から最後まで見た。

といっても、スタート前からチャンネルをつけていたが、途中寝てしまったり本を読んでいたりとしていたので、正確にはテレビの前でスタートからゴールまでテレビの前でかじりついていたわけではなかったが。

今年の大会は第100回大会という記念の回であったが、そこまでスター性の感じる大会では無く、淡々とした大会であったのが、いまの私には逆に心地よく感じた。

何の変哲もない年末年始だと思っていたときに、大きな地震があった。

神戸で被災している身としては地震に対して強い感情が揺るがざるを得ず、大学生の頃はその感情が特に強く働き、1年休学して、被災した地域の公園で子ども達と遊ぶ活動を行っていた。

メディアが能登半島地震を報じる際に、過去に日本で発生した地震についても取り上げられていたが、阪神大震災と東日本大震災を除き、熊本地震や中越地震の名が出てきてもそれがいつ発生したかパッと思い返すことが出来なかった。それは、記憶の風化というよりも、実際に地震があった際に自分事として捉えなかったからだろう。学生でなく社会人になり、自分の役目としてはいまある仕事を淡々とこなすことが大事だと思っていたからか。

今回の能登半島地震では、近くで被災した友人とメッセージのやり取りや夜に通話をしたこともあり、忘れられない災害となった。通話しているときは、自分と話していてスマホの電池は大丈夫かと心配になったが。

加えて、年始には羽田空港での滑走路の衝突事故もあり、SNS上では2024年という1年の不安を煽るような投稿が溢れていた。

見たくなるようなテレビ番組もほとんどなく、ひたすら本、音楽、映画に時間を使った。

いまは音楽を聴くとなると、Spotifyで聴くことがほとんどで、他はLive映像をYouTubeで漁るくらいだ。

それでも、Spotifyで配信されていない音源はCDで買うし、中古CD屋でこれはと感じたものは買っていて、家の中でジャンル分けをして置いてある。

ただ、CDプレイヤーにセットするというわざわざの行為がハードルになって、1回も聴けていないCDが山積みされている。レコードを聴くことはもっとハードルが高く、レコードプレイヤーにはすっかり埃がかかっている。

季節毎にPlaylistを共有しあって、新しい音楽を知れるだけで十分。

風邪の症状が最もピークであった日は、とある日記本を寝転びながらずっと読んでいた。印象的なシーンもなく、平熱の日常が続いていて全部読み通せるのかと当初は思っていたが、この平熱の日常が続くことのリアリティが癖になり、日記本としては異例の分厚さのページをどんどん捲っていった。

具体的にどこがよかったかと聞かれたら、手の込んだ自炊料理の描写だけでなく鳥貴族やマクドナルドなどジャンクなフードも多く登場すること、そして夜の生活をまったく登場させないのではなく(パートナーが)覆い被さってきたと、他の淡々とした描写に影響を与えずにしかし一切記載しないという選択肢を取っていないところがよかった。以前、「性描写が出て来ない映画に真実味を感じない」と、とある映画評論家が書いていたことが頭を過ぎる。

結局仕事が始まる1月4,5日も寝込んでいたため、結果的には人生で一番長い年末年始の休みを経験したが、何も生み出すことはなく、異常なくらい色んなことを摂取した。

本も映画も音楽も1日の中でこんなに長い間摂取しても、まだまだ欲望は出てくるんだと底なし沼を感じた。

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