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3F/長期滞在者&more

『急に具合が悪くなる』

長期滞在者

今日5月24日は土曜日で、普段なら土曜は仕事日は休みだが、出張の関係で休日出勤していた。

午前中、アポ先の相手の方から「恋人から『今日時間空いたんだけど』って連絡きたら、あなたなら何て返すか?」と問われ、「『ほな遊び行こ』って返すと思います」と答えた。

「そう。忙しいのはみんな同じで、俺も忙しくてもあなたに時間作るから、いつでも連絡してください」と言われた。

アパートメントに投稿を開始した年に初めて春一番という名前を知ったが、その後は1年の中で春一番が開催される5月の頭が、年間カレンダーの中でも最重要になっていた。

春一番は1970年代に始まり今年は最後の開催だったが、いろんなことが起こり今年は参加出来なかった。

よくある懐メロコンサートではなく、出演者が過去の曲にこだわらず誰も聴いたこと無い新曲ばかりやってもブーイングが起きないような、イベントとして情緒的になり過ぎないところが1つの大きな魅力だったのかもしれない。

関西ならではの緩さと独特な緊張感がたまらない空間だった。

春一番に参加出来なかった代わりに、先日家から数駅のところにある六角橋商店街で行われる大道芸人のギリヤークさんのショーを見た。 

 

齢94歳で、言葉も途切れ途切れにしか聞こえなかったが、ギリヤークさんが何かを発しようとし、観客が少しでもそれを聞き取ろうとする時間はとても長く感じた。

ショー自体は後ろの黒子さんの文字通りの「支え」があってこその、黒子さんも主役のショーだと感じたが、当時のギリヤークさんの身体が自由に動いていた頃のステージを見た経験があり当時を思い描きながら今のステージを目撃するならまだしも、身体が思うように動かない現在のショーだけを目撃して感想を述べるのは難しいというより浅ましいと思った。

単に「あの年齢でステージに立ってすごい」という安直な言葉になりかねない。

ショーの後半、私の少し前で見ていたおっちゃんが突然倒れ、「飲み過ぎちゃったんか」と思っていたら、意識が無く、AED処置が必要な状況だった。

既に何人もの人がその方の周りに集まってケアをし、イベントのスタッフにも直ぐに連絡し、対応していた。

後方だったのでおそらくステージからは見えなかったのであろう、おじちゃんが倒れた後もそのままショーは進行していった。周辺の事態を察知した人たちが多く集まり対応をしていた。

AEDも届き、これだけの人数がいたら大丈夫だと思い私はその場から離れていたが、その5分後に「AED使える人いますか?」という声が聞こえた。

GWの最終日にロウ・イエ監督の「未完成の映画」という、映画を製作していた監督、俳優、スタッフ達がコロナ流行に伴う街の封鎖によってホテルに缶詰になるというストーリーのドキュメンタリーの手法で作られた映画を見た。

その映画の終盤、ノスタルジックな曲をみんなで唄う(といってもホテルの部屋から出られないからzoomを繋いでだが)というシーンがあったのだが、日常生活の中でその描写があると、ただのアダルトチルドレン達が感情を露わにしているだけに思えて白けるところ、コロナ禍という特殊な環境禍で感情を解放出来る唯一の短い時間だからこそ、それが許されるシーンだと感じた。

次回の濱口竜介監督の新作の下敷きになっている本だというニュースをSNSで目にし、『急に具合が悪くなる』という本を図書館で借りて読んだ。

癌になった方とその友人による書簡のやり取りが掲載された本だ。

決して古くからの友人ではないという2人の距離感、それぞれが忙しくしている中でわざわざ時間を割いて文章を書いている状況、殻に閉じているのでなく社会と密接に繋がった生活をしている2人ならではのやり取りという色んな要因によって、読んでいてとてもエネルギーを貰えた。

反射神経的な会話でなく書簡という書き言葉だからこそ、悩み抜いた言葉だけが書簡に記されてコミュニケーションの中心を担っていくことに感銘を受けていたら、本の中盤で書簡の中で使われたとある言葉が波紋を作り、その言葉が次の書簡における中心的なテーマとなり、更に次の書簡の中で使われる言葉が研ぎ澄まされていった。ように感じた。使う言葉の1つ1つを点検するように使うというか、責任を持って使うのが社会人と子どもの違いだなと感じた。

ナチュラルにそれが出来る人もいれば、意識して自分に制限を課して大人のコミュニケーションになるよう気を張ってる人もいて、様々だと思った。

同じタイミングで図書館から借りて読んでいた短篇集の中でこんなエピソードの章があった。

久しぶりに家族で母親が住む島に集まったが、三男だけ酒も飲まず、家族みんなで楽しむカードゲームにも参加せず、家族を見下ろして悲観的なことばかり言う。それを見かねた長男が三男と海岸沿いを歩いているときに岩で三男の頭を殴り、三男は倒れて血を流す。その後三男は立ち上がり、その日のフェリーで家族に別れを告げずに島を後にして自分の生活に戻っていくというシーンがあった。

その短篇の最後、長男はというより長男の会話に託した作者は、「わたしたち家族はどうすればよかったのだろう?」という投げかけで物語を締め括っていた。

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