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3F/長期滞在者&more

左門さんとお太りさま(1)

長期滞在者

四十路を迎えたら、和装で日々を過ごしたい。

――いつごろからから、私はぼんやりと夢に見ていた。

なぜ四十路なのか。20代の私には和装がとても敷居が高いものに思えた。30代の一時期、アルバイト先で習った記憶を頼りに着付け、和服を普段着にしていたのだが、身心の健康を喪失したことによりフェイドアウト。そして11年前、まだ乳児であった息子と共に、神奈川県から帰郷した当時の私が35歳、「まあ40を迎えるころになれば少しは余裕が出て、和装生活を再開できるだろう」という、これまたぼんやりした目論見によって想定されたのが四十路だったのだ。

実際のところ、40になれど余裕は生まれず。職場から退職勧告を受けたり、追い詰められたかたちで再開したフリーランス生活(以前は帰郷前)も、すぐには軌道に乗るはずもなく、右往左往する日々が続いた。古道具屋で一目惚れして買い求めた、中縹や薄柳が入り交じった紬をときおり虫干ししては、いつ普段着にできるものかと天を仰ぐばかり。また、帰郷の際のごたごたで、帯や半襟などの小物ばかりか、いくつか所持していた古着の小紋までも紛失してしまっていたため、和装のハードルがまた高くなってしまった気がしていた。着付けも忘れてしまっていたし。

しかし、「着物だってたかだか服なんだから、気楽に楽しめばいいんですよ」などと、ネットや実生活で繋がった和装好きの方々からアドバイスや後押しをいただき、ならばと着付けの練習を始めたのが、一昨年の春の話。直後、かねてから入退院を繰り返していた父の様態が悪化、夏の名残を色濃く残した9月初旬に逝去。足が悪く、行動がままならない母に代わり、私が届出や相続手続きにと奔走する流れに相成った。また、仕事を通常通り請け負っていたこともあり、私としては珍しいほどに多忙を極め、和装について考える時間すらなくなってしまった。

さて、年が明け、和服だの和装などという単語が、頭の中から消えかけていた4月の終わりのこと。45歳の誕生日を間近に迎えた私は、 取引先との打ち合わせを終えて 市街地でバスを待っていた。ふと顔を上げた瞬間、道路を挟んで向こう側を歩く、『巨人の星』の左門豊作を実写化したかのような男性(以下、左門氏)と目が合ってしまった。直後、体の向きを90度変え、一切の迷いも感じられない勢いで、こちら目がけてスタスタ歩み寄ってきた左門氏。そして唐突に「おねえさん、和服着るよね?」と、半ば断言するように質問してきたのだから訳が分からない。第一に、左門氏とは全くの初対面。加えて、その時の私はショートパンツにサイドゴアのスニーカーを合わせ、Tシャツの上にチャイナカラーのシャツを羽織るといういでたちだった。オーバル型の眼鏡をかけて、バックパックを背負う自分の姿は、いかにも和服を好みそうな女性像からほど遠いように思えたこともある。

「着……ます……?」

面食らって聞き返す私の言葉が耳に届いていないのか、左門氏は「良かった良かった、大切に着てくれそうな人が見つかった」などと満足そうに独り言ち、続けて事の成り行きを説明し始めた、私のことなどお構いなしに。

県外への転居を控え、自宅の整理整頓をしていた左門氏は、亡き祖母が大切にしていた和服と帯を見つけた。周りに和装をする人もおらず、古着物を扱う何軒かの店に買取を申し込んだのだが、いずれも査定に時間がかかるという。最短でも、左門氏が新潟を離れる日より後になると言われたそうだ。可愛がってくれた祖母の形見、捨ててしまうのも忍びない。郊外のリサイクルショップにでも持ち込もうかと思案していたところ、「大切に着てくれそうな人」、私の姿が目に入ったのだとおっしゃる。そして大きな紙袋をこちらに差し出した。

「だからこれ、受け取ってほしいんだよ」

「いや、でも、そんなに大切なもの、赤の他人の私が受け取ってもいいんですか?」

気圧されて受け取る前提のような返事をしてしまったが、このときはまだ事態を把握できていなかったように記憶している。

「いいのいいの。リサイクルショップに行く時間を作れるか分からないし、着てくれる人に手渡しできた方が安心できるしね。もしおねえさんが着ないようだったら誰かに譲っても構わないし、売っても構わないから」

左門氏は微笑みながら、あっけにとられ、まだ戸惑ったままの私に構いもせず、紙袋を強く、しかし優しく丁寧に、紙袋を私に押し付けた。そしてまた「良かった良かった」などとつぶやきつつ、あっという間に姿を消してしまったのだった。(続)

鈴木希望

鈴木希望

1975年新潟生まれ、新潟にて息子とふたりで暮らす、フリーランスのライターです。広告媒体の文章を中心に、『LITALICO発達ナビ』などでのコラムもときどき。ヤギを愛し、ヤギについて考え、ヤギを応援しています。

Reviewed by
神原由佳

何年か前まで、従姉妹たちに着なくなった洋服を送っていた。
正確に言えば、処分するために入れていた袋の中から、母が洋服を引っ張り出して送っていたのだ。中には毛玉になっているものもあり、「これも送るの?」と思うものもあった。本当か嘘かわからないけれど「喜んで着てるらしいよ」と母が言うので「ふうん」とだけ答えてその後は何も言わなかった。
毛玉がついた洋服を喜んで着ていると聞くと、少しだけ申し訳ない気持ちになる。けれど、自分だって小中学生の頃は頻繁に洋服を買ってもらった記憶がない。そう考えると、洋服の選択肢が増えること自体が嬉しいことなのかもしれない。
この春、従姉妹たちは社会人、大学生になった。何年も会っていないけれど、きっと自分の好きな洋服を着ているはずだ。もう私のお下がりは必要ない。毛玉がついていても喜んできてくれていた従姉妹たちがいないのは少しだけさみしい。
コロナ禍が終わって、従姉妹に会うことができたら、一緒に洋服を買いに行きたい。

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