長期滞在者
昨年末、新幹線でげろげろ酔いながら、家族の暮す群馬へと帰省した。群馬の土地を踏むのは、一年ぶりだった。まず、大学時代の恩師と品川で会ってから、混雑した電車に飛び込んだ。見慣れていたはずの東京の雑踏、人の群れ。何度利用しても好きになれない赤羽駅で乗り換えて、いつもの二倍、三倍の人でごったがえしていた本庄駅でむかえの車を待った。駅前のミスドがなくなっていた。 もう長く顔を見ていなかった父方の祖父母…
長期滞在者
今日、ぼくの中の止まってしまっていた時計の針が静かに、だけど確実に動き出した。 五年前のあの日、針が動きを止めたあの場所で。 ひさしぶりに行ったあの場所は、これから起こることへの期待とあたたかで楽しげな笑顔に溢れていた。 その瞬間はセンセーショナルに、ある意味予定調和的に始まった。 五年前と何も変わらない、でも五年間確かにいろいろな道を踏みしめてきた彼らがそこに立っていた。 懐かしいあの音、あの笑…
長期滞在者
へジナウドの息子さんが癌である、そういう話が飛び交ったのはある朝のことだ。事務員さんが話しているのを盗み聞きしてしまった学生がいて、その話は、乾いた土に降る雨のように、あっという間にクラス中に広まった。友達のいなかったわたしでさえ、それを耳にしていた。あまりにはやく広まったこの話が真実なのか、ただの噂なのか、誰しもが気にしてた。校長に問いつめてみよう、と言う者もいた。だけど、クラスのリーダー的な…
長期滞在者
人間には理解できないような不思議な生活史をもった生き物がたくさんいる。 ウナギはマリアナ海嶺の深い海で生まれたあと、ひらひらと葉っぱみたいな透明の体ではるばる日本(をはじめとする東南アジアの国々)まで、徐々に細いウナギの形に姿を変えながらやってくる。日本に着いたら川をさかのぼり、時には陸を移動して川から孤立した山中の沼にまで棲みついたりして5年〜10年。時期がくるとまた遥か遠いマリアナ海嶺へ、産卵…
長期滞在者
沈黙が、ひとを繋ぐことがある。語らなくても、なにかが深く互いのこころに染み込んで、言葉にしなくても通じ合う。沈黙が放つ閃光は、あまりにも微かで、あまりにも儚い光だから、見逃してしまうことも多い。だけど、なにかの拍子に、他人同士が隣り合って、肩を並べて、互いの痛みを分かち合う、そんな深い関係になれもする。わたしが予備校生だったころ、そんな経験をした。 ヘジナウドは、カエターノ・ヴェローゾによ…
長期滞在者
いまのわたしには、足りないものがある。ことばも、気遣いも、なにも必要のない、まっしろになれる時間を、いつのまにかどこかに置き忘れてきたらしい。Guarulhosを離陸した瞬間、空からどこかの海に落っことしてしまったのかもしれない。いまは、その術さえおぼろげで、どうやってまっしろになっていたろう、って、そんなことしか考えられない。絡まり合った、真っ黒い糸の塊、ぐちゃぐちゃで、糸端がどこにあるのかわ…
長期滞在者
たくさんの人がここに話に来ていた。 旧盆の頃に誰と何を、と考える。 当たり前なんだけど、この海はここに住む人たちの海なんだという事。 魂とか心が由来する場所なんだと思う。 流されてしまった家の横に、新しい営みが繰り返されている。 はるえさんが折っていた折り紙の鶴を僕は胸ポケットに忍ばせて 帰り際に、この海に流してきた。
長期滞在者
どうしても今の自分を肯定できないときは、知人の結婚式に出席するのがいい。 それは何もかも肯定しようとする空気が満ち満ちている場所。 もしくは、知人のお葬式に参列するのがいい。 それはこの世に残されたものをすべからく肯定しようとする場所。 事実がどうであれ、喜びと悲しみという違いはあれ、どちらもしあわせの在るべきカタチをイメージする場所。 あまのじゃくだろうがひねくれていようが、結局なんとなく心動か…
長期滞在者
友人からの電話を受けて、改めて考えたことがある。ひとは、どれくらい痛みを共有できるのだろうか。自分が経験していないことの痛みを、どれくらい感じて、察してあげられるのだろうか。 わたしも、悩んでいる人に言ってしまうことがあるけれど、 だいじょうぶだよ、 泣かなくていいよ、 でも、よくよく考えたら、そんなこと、どの口が言えるんだろう。 大学時代、「あなたのこと、わたしは理解しているよ」という…
長期滞在者
サンパウロとカンピナスのちょうど中間くらいに、Jundiaíという街がある。ブラジルの中でも、人々の暮らしが豊かだと言われる街で、ユークリッドは、その街の中心街に住んでいた。 ユークリッドというのは、わたしの叔父のことだ。叔父、と言っても血がつながっているわけでもなく、親戚でもない。彼は、わたしの実の叔母の親友で、わたしにとっては実のおじたちよりも、ずっと身近で大切な人物だ。そのせいか、わたし…
長期滞在者
先日、カフェの開店準備をしていたときのことです。キッチンでの作業中、ふと顔をあげると、庭の木の周りを大きな蝶が飛びまわっているのが見えました。思わず、手が止まり、その蝶を眺めてしまいました。あたたかくなったのだなぁ、と息をついたとき、大きな渦に飲まれたような、ぐるんと目がまわるような感覚に襲われました。はぁ、っと息を深く吸いこむと、ぱっとまわりが明るくなった。気づけばそこは、わたしの生まれ故郷。…
長期滞在者
去年の8月、思いがけないことが起きた。 パスポートを更新するために、五反田にある在日ブラジル総領事館に行った時のことです。もちろん、そこはまぎれもなく日本なのだけれど、総領事館への階段を一歩一歩踏み出して行くうちに、どうやらここは異国の雰囲気。わたしには、なじみの空気感、だけれども、ピンと張りつめるような緊張感に襲われる。急に喉が渇く。 階段という入国審査をこえると、開け放たれた入り口の扉の…