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3F/長期滞在者&more

夏のつかいみち

長期滞在者

何年かぶりに夏休みを取りました。毎年のように今年こそは休もうかな、と思っていながらいつもは結局のこところギャラリーを開けてしまいます。

かつて、ギャラリーは、夏の間は長めのお休みを取るのが当たり前でした。

6月の終わりから、9月の中頃という、一昔前の大学生もびっくりという休業はそんなに珍しいことではありませんでした。作品の蒐集をする富裕層がバケーションの時期に開けていても作品は売れないから休む。嘘か誠か、伝え聞いた理由です。当時も今も半信半疑ではあります。この日本で、そんな人いるのか?とずっと思っているくらい、ぼくの周りではそういう生活スタイルを実践しているひとは見当たらないからです。でも夏というのは、そういう個人的にはよくわからない理屈でもって、つい最近まで、いや、今もかもしれませんが、商売にならないので休むか、収益性の望めない新人の実験的な作品を特集するとか、そういう時期とされているのです。

1990年代の終わり頃の東京の都心部はびっくりするくらい人通りが少なく、空いている商店もほとんどない、という光景が広がっていました。今でもこの時期に東京から故郷へ帰省する人で交通機関がパンクすることは当たり前のことではありますが、その一方で、近頃は地方都市から東京へ遊びにくる人たちも出てくるようになり、夏のど真ん中には、音楽をはじめとした大規模なイベントも目立ちます。いまはかつてほど、お盆の時期の東京が空っぽということはありません。そういう町の移り変わりを自分の目と肌で感じてきたから、この15年くらい、夏にギャラリーを閉めたことがないのです。町は空っぽでも、ギャラリーにはそれなりに足を運ぶ人たちがいるのです。みたこともない、ロングバケーションの富裕層ではなく、真夏にも都心を回遊する人たちをなんと呼ぶのかわからないが、とにかく僕たちはずっとそういう人たちと向き合い対話を重ね、期待に答えようと努力を重ねてきました。

つまり、夏には夏のやりようがあるのだということです。

やりようはあるのですが、思い切って今年は1週間お休みを取ってみました。

結果として梅雨明け後の猛烈な暑さでもあり、開けなくてよかったのかもしれませんが、珍しく空いてしまった時間、何をしていたのかというと、住まいから自然が近くなったこともあって、海や田んぼ、春に何かを収穫した後に植えられたひまわりの群生の中に身をおいてみたりと、ほとんど生産的なことは何もせず、あっという間に1週間が経ってしまいました。目的地を決めずに、地図も見ずに、勝手知っているポイントを避けるように、ある種指の間のようなエリアを縫うように車を走らせながら、地域の変貌に戸惑ったり、変化を拒むように居続ける場所をみたり、用途不明の名もなき土地の脇に車を止めてしばし佇んでみたりという、結局のところ友を誘ってできないような極個人的な興味関心を深める行為に殆どの時間を使うことができたわけだから、これはこれで、コロナの夏も使いようがあった、ということなのだろうか。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

Reviewed by
玉越 水緒

体躯から放たれるオーラというのは、身に着けるものや所作といった社会的なプロトコルを越えて、その体が何にエネルギーを注ぎ込んできたかを語らずにはいられない。二次元に変換されたZoom上での胸部から上の映像では、胡散臭さも説得力もともに希釈されてしまうような気がする。

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