入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

シローミ

長期滞在者

ほか弁といえばのり弁である。
一番安い、各社300円台前半で売っている、たいてい竹輪天と白身魚フライが乗ってごはんに海苔が被さったアレだ。
主役は魚フライである。あれに添付のウスターソースをびたびたにして食うのが良い。
フライの魚は何だと調べてみたら、ホキ、スケトウダラ、メルルーサ、オヒョウ等の名前が検索に上がった。

昔インド料理屋で働いていた時、メニューに魚のカレーがあったので、何の魚を使っているのかインド人のコックさんに聞くと
「シローミ」
という。いや、白身なのは見ればわかる。種類を聞いているのです僕は。
「だから、シローミ」
仕入れ業者からの伝票にも「シロミ」と書いてあった。おお。詮索するなということだろうか。
やたら大きな魚を切り分けて使っていて、あの平たい形は今から考えるとオヒョウだろうか。オヒョウは大鮃と書く。1mを超すでっかい鰈・鮃の類である。

のり弁の話だった。
のり弁は美味い。ああみえて700kcalくらいあるからカロリーも摂取できて安い。いやまぁカロリーはもうあまり摂取してはいけない年齢なのだが、それでも昼代を安く上げるのにはありがたい存在である。
ほか弁屋さんというのは現在ではガパオライスやらスパイスカレーやらとメニューも多彩で楽しいのだが、それでもこののり弁を多用してしまうのは、安いということもあるけれどそれだけではなく、若い時分劇団にいた頃の思い出と結びついている。

公演前日、仕込み(舞台設営)からゲネプロ(本番練習)と、一日中休みなく動き、その隙間に掻き込む弁当が必ずのり弁だった。仕込みには付き合いのある他劇団のスタッフ等も駆けつけるから大人数になる。もちろん僕らも他劇団が公演する折には仕込みの手伝いに行く。
うちで出すのも他劇団で出されるのものり弁だった。半ば慣例化していたように思える。もちろん安いからで、資金の潤沢にある劇団などなく、仮に余剰があったとしても残らず舞台につぎ込んでしまうだろう。


当時僕がいた劇団はなんせ舞台装置に手をかけるところで、製作費はかさむけれど、毎回そんなにお客は入らない。
公演前に「今回の目標は780人です」等の発表があり、それはつまり、製作費をペイするための人数なのだが、まぁ実のところそんなには無理。たとえば250人不足だったとして、1200円×250=300000、それを客演を除く正式の劇団員の人数で割る。
「では各自4万3000円、来週末までによろしく」
などと会計担当から通達される。
ただでさえ稽古でアルバイトを休み貧乏な上に追徴金はキツい(毎回必ず追徴は出るので覚悟の上ではあるのだが)。
デパートの催事場の深夜設営や、道路工事の資材運搬等、日払いで貰える仕事でなんとか工面をした。もちろん昼のカンテ・グランデでのアルバイトを通常にこなした上での夜勤であるが、若いというのは凄いものである。今なら無理だな。
そんな時代の、青春の味だ。

シローミの話に戻る。
ホキ、メルルーサは日本近海にはいない魚なので日本語名がないが、オヒョウは先述の通り大鮃(でかいヒラメ)で、スケトウダラは介党鱈と書くらしい。
昔はスケソウダラと呼ばれることが多かったような気がする。この場合漢字は助惣鱈などと書かれる。
地域差で方言的に微妙に呼び名が異なり、地域の水揚量の多寡で名前の趨勢が決するのだろうか、などと想像してみたり。昔はスケソウと呼んだ地域が栄え、今はスケトウと呼ぶ地域が隆盛を誇っている、とか。違うのかな。

関係ないけど、名前が微変するといえば、もともとペンシルバニアと書かれていた地名が最近はペンシルベニアと表記されることが多い。ついでに、これも気になっていたので調べてみた。
Pennsylvania (【pɛnsɪlveɪnjə】)なので無理にカタカナ表記するならペンシルヴェイニャか。

どっちも合ってないやん!

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

きっと誰しも一度くらいは食べたことがあるだろうとは思うけれど、縁のない人にはなさそうでもある。のり弁。
これを読んでいる人にも食べたことない人はどのくらいいるだろう。
う〜ん、8割・・・いや、少なくとも過半数は一度くらいは食べたことあるよね?どうなのかしら、と思いつつ。

今回はのり弁のお話。
のり弁エピソードって、みんながそれぞれに持ってたりするのだろうか。なんて、カマウチさんの記事を読みつつ、なんだかちょっと興味がわく。
「わたしののり弁の思い出」コンテストなんか、もしかしたら過去に弁当屋主催でどこかであったりしなかったかしら。
ないか。

いやいや、コンテストはないにしても、それぞれ思い出はあるだろう。
わたしにものり弁の思い出はある。
いつか劇団員だったカマウチさんの思い出の味は、わたしには小学校時代の土曜日の思い出の味であった。
午前だけの授業を終えて、帰宅してからプール教室へ行くまでに時々食べた土曜日の味。懐かしくなった。

どうぞ本編を読んできてほしい。
そして、記憶を少しひっくり返しながら、食べたことある人は、あなたの昔ののり弁エピソードを思い出してみてほしい。
なんか無性に懐かしい気持ちになったりしませんか。
一回くらいは「これ、何の魚だろう」と思いながら食べた記憶もその辺りに眠っていたりしませんか。
どうぞどうぞ、本編で「へぇ」と、長年の疑問も解消してきてください。



ところで。

わたしはこの記事の中にあるのり弁の写真を見て、もう絶滅したと思って心底悲しんでいたおかか昆布タイプののり弁がまだ生存していることを知ることができて
何年も音信不通で死んでしまっていてもおかしくはないとまで思った旧友に再会できたような喜びを噛み締めています。

わたしにとってののり弁とは、湿気った海苔とおかか昆布の組み合わせがメインでした。
近年食べたのり弁は、どれもおかか昆布ではなく、ただのおかかののり弁だったのです。

またいつかどこかでわたしもおかか昆布ののり弁が食べたいです。なぜかずっと出会えません。。。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る