日の落ちた後の淀川の堤防を、下の側道から見上げていた。
土手の上、青い闇の中に遠く人影がひとつ見えたので、首から下げていた一眼レフでその人物にピントを合わせてみる。
マニュアルフォーカスのレンズだったので、指を動かすとゆっくりとその青闇のぼやけた中から、ファインダーの像面に人影が立ち上がってくる。
人物は闇に溶けかけており、遠い土手の上で縮尺も定かでないが、なんとなくの体型で男の人のようである。
ファインダー像は青暗い空と漆黒の地面に上下に分割され、舞台みたいなそこに、人影が楔のように立つ。
その人物にピントを合わせたり、わざとピントを緩めたりして、それが人になったり背後の青に溶けたりするのをしばらく楽しんでいた。
何度かそうしていて、何度目か溶け何度目かそれが人になったとき、その人の周囲に、突然ゆらゆらと何人もの人影が幻のように立ちあらわれ、土手の上をゆっくり群舞するように蠢いた。
ファインダーを覗きながら、僕は目の前に起こっていることを理解できずにいる。
黒い土手の舞台に、湧き出るように現れた幻人群。
ゆら。ゆら。ゆら。ゆら。
そしてそれは、霧が消えるように、またゆっくりと姿を溶かしていき、はじめの人影ひとつに戻ったのだった。
今のは何なのか?
先ほど、わざとピントを合わせたり緩めたりして、人影を出現させたり背後に溶かしたりしていたので、その遊びに乗じて何か魔的なものに魅入られたのかと思った。
幻想めいた映像に、さらに幻想が乗っかってきたような。
なんだか異界との境面を、ふと見せられてしまったかのような。
あまりに現実感のない映像に頭を占拠されていたのでしばらくは気がつかなかったのだが、だんだんと覚めてから、指先に残った触覚的な記憶に気がついた。
さっき、どうやら僕はちゃんとシャッターボタンを押していたようだ。
さらに遅れて聴覚的な記憶も蘇る。シャッターの音を記憶している。
さきほどの幻人たちが写真に収まっているかもしれない。
背面の再生ボタンを押して確認しようとして、いやいや待てよと思いとどまる。
押せば先ほどの映像が現実のことだったのか、見た気になっていただけなのか、わかってしまう。
なんだか熱に浮かされたような、夢のように膨張した脳の状態を、もう少し判定を下さずに楽しんでみてもいいのではないか。
結局再生ボタンを押さずに、そのまま自転車にまたがって帰路につく。自転車に乗りながらも、やっぱり先ほどの出来事が理解できない。
写っているだろうか?
写っていてほしい。
だが写っていなくても、それはそれで素敵なことだと思える・・・だったら僕はいったい何を見たのか、と。
視覚とか記憶とか、脳が見せる偽の光景。もしくは最後まで判断を下してはいけない何か。
帰ってSDカードを現像ソフトに読み込んでみる。
並んだサムネイルで見ると、青と黒に上下分割されたカットが3枚見える。幻に頭を占拠されながらも、指はしっかりと3回シャッターボタンを押していたのだった。
1コマ目。
一人で立つ人影が見える。
ピントを合わせたり緩めたりして遊んでいるときに、無意識でか、ちゃんとシャッターも切っていた。
2コマ目。
幻かと思っていた人々が、幻ではなくちゃんと写っていた。
現実の光景だったのだ。
最初の人物のほかに、10人の影が見える。
記憶にある幻人よりも鮮明で、脳の状態に左右されないカメラという光学機器の力を思い知る。
幻を幻のまま捨て置かない装置。
3コマ目。
人物が一人に戻っている。
拡大してみると、その人だけ両袖が白っぽく、初めの人と同一人物であることがわかる。
・・・・・
まぁ、つまらない種明かし? をするならば、はじめに立っていた人物のもとに、堤防の向こうから10名(写真に写っている人数)の人が上がってきて、すぐにまた堤防下に戻っていった。
それだけのことだったようだ。
彼らが何をしていたか、そんなことは知らない。解明しても面白くないから考えない。
写真の神様は、たまにこんな風に、面白いご褒美をくれたりする。
青黒い闇の中に、幻のように現れては溶けるように消えていった人群。
皆さんにも記憶の転写みたいな画像だけお見せできて、まぁ良かったのだけれど、実際にファインダーの中で見ていたときの幻惑的な浮遊感と異界的な光景。この世ならざる感じ。それがどれだけ美しかったことか。
うらやましいと思う方だけ、うらやましがってください。