9月/贈り物とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【9月のヤバい女の子】

⚫︎なよ竹のかぐや姫(竹取物語)

image
-----
《竹取物語》

「今は昔、竹取の翁といふものありけり。」彼は野山にまじりて竹を取り、妻とふたりで暮らしていた。人生は穏やかだった。
男はある日竹やぶで光を放つ竹を見つけ、そして小さな女の子を見つけた。夫婦はよろこび、感謝して、自分たちで女の子を育てようと決めた。その日以来翁は竹やぶでたくさんの砂金を見つけ、どんどん富んだ。女の子もみるみるうちに成長し、3人は幸福だった。
少女は成人し名前をもらった。なよ竹のかぐや姫といった。
大勢の男がうわさを聞きつけてやって来た。絶世の美女、というのである。彼らは壁に穴をあけ、覗き込み、ねぶるように家の周りをうろついた。
中でも女好きで知られる5人の男性が昼夜を問わず通いつめた。石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂。
なよ竹のかぐや姫は顔も合わせたことがなく、話したこともなく、何に心を動かされるのかも知らない人物と結婚したくなかった。彼女は男たちに贈り物を求めた。この世ならざる贈り物だ。男たちはしぶしぶ解散し、思い思いの対策を練り、そしてまた戻ってきた。

石作皇子は「仏の御石の鉢」を。彼は課せられた宝物ではなく、山寺で手に入れた鉢で謀った。嘘はすぐに発覚した。
車持皇子は「蓬莱の玉の枝」を。根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝である。彼は職人に金を払ってこれを作らせた。嘘はすぐに発覚した。
右大臣阿倍御主人は「火鼠の裘」を。焼いても燃えない皮衣である。彼は商人から購入した品を持参した。嘘はすぐに発覚した。

大納言大伴御行は「龍の首の珠」を探しに出かけ、命以外のすべてを失った。具体的には財産、権威、家族、尊厳を失った。彼は戻ってこなかった。
中納言石上麻呂は死んでしまった。彼は「燕の子安貝」を自ら取ろうとし、転落して怪我を負った。かぐや姫が見舞いの手紙を送ると、男はうれしく思い、なんとか返事を書き、そして絶えた。

騒ぎはとうとう帝の耳にまで届いた。この世のすべてを司る男は、世界のふしぎを知りたがった。
帝が姫に会いたがっていると聞き、翁はよろこんだ。帝は彼女に宮仕えをさせたがり、その暁には翁に官位を与えるという。娘は父の愛に敬意を払いながら、しかし帝の申し出を断った。「無理に仕えさせようとするのなら、死ぬ」。
姫と帝はお互いに譲り合えるぎりぎりのラインを模索し、歌を送りあう関係になった。

三年が経った。少女は月を見てはもの思いにふけり、ため息をつく。翁が号泣する娘を問いただすと、十五日の満月の夜に、よその世界に帰らなければならない、月から迎えが来るという。
決戦の夜、帝は軍勢を派遣し、警備をさせた。両親はいたるところに家の者を立たせ、自らも娘を抱きかかえて略奪に備えた。そしてそれはすべて無駄になった。よその世界の使者は簡単にバリケードを突破し、かぐや姫を連れ出してしまったのだ。
彼女は両親に手紙を、帝に歌と不老不死の薬を渡し、何も感じなくなって、もとの世界へ戻っていった。
帝はほんとうに悲しんで、好きな人からもらった手紙と薬を焼いた。その煙は彼女がいるであろう天に向かって立ち昇った。

-----

9_01

「貢がせる」という言葉がありますね。

1953年にアメリカで公開された映画 『紳士は金髪がお好き』の劇中歌で、マリリン・モンロー扮する拝金主義の美女ローレライはフーシャ・ピンクのドレスに身を包み、「ダイヤモンドは女性の親友」と歌い踊る。お金が大好きな彼女は愛を語ったり、時には脅したりして、男性に金目のものを贈らせる。
「女が老いると男性は離れていくが、ダイヤモンドは色褪せない。熱いキッスではアパートの家賃は払えない」。
ローレライは、商売をしている。彼女は労働をしている。自分の年齢、容姿、恋の囁きを提供し、対価としてダイヤモンドを手に入れいている。この商品は参入障壁が高く、プロダクトライフサイクルが短いと彼女は考える。だから販売機会の損失を避け、来るべき“恐慌”のために総資産を増やしておこうというわけです。

マドンナの楽曲「マテリアル・ガール」のミュージック・ヴィデオがこの「Diamonds Are A Girls Best Friend」のパロディであることは有名ですね。まだ少し幼さの残るマドンナが、マリリン・モンローと同じ色のドレスを着て、同じように勢ぞろいした男たちに宝石を突きつけられる。金銭的価値を値踏みするような視線をあらわにし、つんとすましたり無邪気に笑ったりする。
時代が進んで1984年、自らを「物欲の女の子」と称する姿は、生活や老後のことを念頭に置いている30年前のローレライよりもいくらか楽天的、刹那的に思えます。「どうせならたくさん消費してハッピーに暮らしたいんだもの」という感じです。

大勢に取り囲まれてプレゼントを差し出され、ワオ!と形式美の驚きを一応見せ、どれを受け取ろうか迷っているふりをして焦らす。
このグラマラスで古典的なイメージにおいてマリリン・モンローはどこまでもシビアーで、マドンナは破天荒にフラッパー、そしてもちろん二人とも金髪である。
では、黒髪はどうか。うつくしき黒髪の乙女は、何のために宝物を要求したのだろう。彼女は家賃を払う必要がなく、老いる心配もない。夜っぴて豪遊したという描写も特にない。

 

難題婚にはプレゼントがたびたび登場する。主人公は立ちふさがる難問を乗り越え、プレゼントと引き換えに結婚する。しかし竹取物語には一度の結婚もない。
彼女の父は娘の結婚を望んでいた。彼はどこまでも善人で、この時代のレギュレーションに沿って、屈託なく娘を愛しその幸福を願っていた。娘は愛の構造を知っていた。

お誕生日。進級。進学。引越し。結婚。デイト。命日。記念日。パーティ。何でもない日。卒業。別離。
ものを贈ることには目的がある。何もしたいことがなければ、そんな不可解なことを誰がするだろう。贈り物には必ず意図がある。乱暴な言い方をすればそれは等価交換であり、通貨である。
喜ぶ顔が見たい。おめでたいと感じていることを伝えたい。遠いところからきてくれた労力を労いたい。長生きしてほしい。いやがらせしたい。恩を売りたい。下心を果たしたい。相手の感情をコントロールしたい。ものを贈ることそのものを楽しみたい。結婚したい。何も感じず、ただ贈ったものをそばに置いてほしい。あらゆる明るい感情、くらい感情、扁平な感情がここにある。

贈答において、贈る側はどこまでもアクティブであり、貰う側は徹底してパッシブだ。すべてのイニシアチブは贈る立場のひとが握っている。あげたって、あげなくたっていいのだ。
しかしここでは、主導権はかぐや姫にある。プレゼントの内容を彼女が考えて決定しているからだ。彼女をめぐる価値体系は彼女によって構築された。商品に対する通貨を彼女が設定したからです。
求婚されれば、顔を見たこともない人物のもとに自らを提供する。そういった女性の「幸福」のガイドラインを彼女は組み替えた。求婚者は貢ぎ物を指定された時点でその価値体系、そのルールに従わされ、思考停止を余儀なくされた。ガイドラインが敷かれたことで、彼らは課題をクリアすれば目的が果たせると思った。「そんなことより1時間だけデートに行こうよ」とか「昨日見た夢の話をしようよ」と言い出すひとは誰もいなかった。

死んでしまった中納言石上麻呂だけが姫から手紙をもらったのは、そこにクリエイティブがあったからだと私は思います。意図的にやったことか、そして望んでやったことかどうかは分からないが(たぶん違うと思う)、彼は「かぐや姫との結婚」と引き換えられる通貨を「燕の子安貝」から「中納言石上麻呂の生命」に転換した。それはかぐや姫が力技でやってのけたパラダイム・シフトと同じである。

9_02

行き場のないプレゼントというのは、悲しいものだろうか。

贈り物をするには、かならず2人以上の人間が必要だ。贈る人と受け取る人です。2人が同一人物であっても、かならず「贈る自分」と「受け取る自分」が要る。そして受け取られたプレゼントは、捨てられたり破損・紛失するまではたいてい暮らしのそばにいますね。
誰かに贈り物をするときには、一般的には相手の持っていないものを選ぶことが多いと思います。JITTERIN’JINNの楽曲「プレゼント」には、物質的なものだけで合計21もの贈り物が登場する。キリンのピアスや、赤い靴、ブロマイド。これまでその人生に触れてこなかったもの、行ったことのない場所や見たことのないもの、たったいま自分が考えたこと。それらは現状では、相手を形成する要素に含まれない。自分が贈ることによってその人生に物理的にエンカウントし加えられていく。
物語の中にプレゼントは6つあった。仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の裘、龍の首の珠、燕の子安貝(中納言石上麻呂の生命)、不老不死の薬。そしてひとつも受け取られなかった。
贈られたものを拒否する行為には、はっきりと自我を感じます。相手は自分にものを贈りたかった。確かにそこに贈りたいという気持ちがあった。それを受けとらずに拒否することは、自我と自我の戦いであり、とてつもなくエネルギーのいるコミュニケーションです。渡したかった。渡せなかった。渡さなかった。受け取りたかった。受け取れなかった。受け取らなかった。それは必ずしもハッピーなことではないけれど、でも、もうどうしようもない。心の底から、そうしたかったのだから。

英語では「才能」を「gift」と言いますね。才能とは生まれつきの能力です。生まれていること。もう既にここにあること。私はあなたをもう知っている。私はそれがとてもうれしい。宛名にあなたの名前を書けること。綴りも漢字も間違いなくそらで書けるなら、リボンをかけた箱を郵便局へ持っていくかどうかにそれほど問題があるだろうか。

イエーイ!ハッピー・バースデー、お誕生日プレゼントを贈ります。少なくとも今日じゃなかったことは確かだけど、たった今祝いたいって思ったので。昨日も今日もひとしく生きているのだから、いつ祝ったって、一年に何度も祝ったっていいでしょう。ちょっと興奮してしまって3つ用意しちゃったからとりあえず全部送るね。気に入ったらもらってちょうだい。お返し?別にいらないけど…うーん、でも、そうね、あなたの心臓の音を録音したCDをくれたら、私それで踊ってみせるわ。