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10月/腕力とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【10月のヤバい女の子/腕力とヤバい女の子】

●尾張国中島郡の大領・久坂利の妻

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《尾張の国の女、細畳を取り返す語(今昔物語/巻二十三・第十八話)》

(一)
今となっては昔のことだが、聖武天皇の時代の尾張に久玖利という男がいた。男の妻は糸のように華奢で柔和な雰囲気の女性だった。
彼女は麻の糸から細畳の生地を織るのがたいそう上手く、夫に素晴らしい着物を仕立てて着せていた。
ある時、久玖利の上司にあたる国司の役職の男がその美しい着物に目をつけた。
「なんだ、随分良いものを着てるな。お前にはもったいない」
「あっ、ちょっと…!」
国司は久玖利から着物を取り上げてしまった。身包みを剥がされ帰宅した久玖利を見かねて妻は尋ねる。
「ひどい目に遭ったんだね。あなた、あの着物のことを心から惜しいと思う?」
「惜しい。…ひどく惜しい」
久玖利の返答を聞いて妻は国司のところへ出かけていった。
「こんにちは。着物を返して下さい」
突然見ず知らずの女が訪ねてきたので国司は面食らった。一人で突然やって来て、しかもこの俺に意見しやがった。何を返せだって?
「着物です。返して下さい。私が夫のために作ったものですので」
「何なんだこの女。とにかく摘み出せ」
大声で人を呼んで追い立てようとする。…が、どういう訳か、少しも動かない。屈強な部下たちが全力で押したり引いたりしているのに、女はびくともしない。
実は、彼女は生まれつき物凄い怪力の持ち主だったのだ。祖父は豪腕で有名な道場法師。その血を継いでいる彼女にとって、例えば呉竹をバキバキに砕くことなどは、糸を摘み上げるように造作もないことである。
細い二本の指だけで椅子ごと国司を持ち上げ、そのまま門の外へ連れて行く。そしてもう一度言った。
「着物を、返して、下さい」
もうすっかりビビってしまって、先ほどまでの態度はどこへやら、国司はすぐに着物を返した。あーあ、ケチがついたな、と思い、彼女は取り返した着物を洗って清めておいた。
これを見ていた久玖利の両親は息子の嫁を疎ましく思った。
「息子よ、お前、嫁のせいで国司の恨みを買うんじゃないか」
「おお、恐ろしい…私たちも危険だよ。実家に帰らせよう」
両親は口々に息子に言い聞かせ、とうとう久玖利は説得されて離縁してしまう。妻は仕方なく荷物をまとめるしかなかった。

(二)
故郷に里帰りしてようやく落ち着いた頃、彼女が草津川の辺りで洗濯をしていると、商人の舟が通りがかりに益体もないヤジを飛ばしてきた。
彼女が黙っていると商人たちは調子に乗り、ますます冷やかし、嘲り続ける。あまりにしつこいので一言忠告する。
「あんまり人をナメていると、今に頬をぶん殴られるよ」
商人はこれを聞いて怒り出し、舟を止め、あろうことか彼女に荷物を投げつけてきた。
命中したが、頭にきていたので痛みは感じない。祖父譲りの怪力で、舟の半分をひっぱたく。舟はひとたまりもなく、後ろの方から水没した。大惨事である。商人たちは川辺にいた人々を雇って積荷を救出しなければならなかった。
それを眺めながら、彼女がぽつりと呟く。
「…あまりにも失礼じゃない?なんだって皆、私を攻撃したり馬鹿にしたりするわけ?」
そう言いながら積荷を載せた重い舟を引っ張り、一町(約100m)以上陸地の方へやってしまった。もう誰にも動かせない。商人たちはようやくまずい相手に喧嘩を売ったことに気づき、膝を折り謝った。
「いや、ほんとうに、お怒りももっともです。どうかお許し下さい」
謝罪の言葉を聞いて、彼女は商人たちを許した。
辺りにいた人が集まってきて、この怪力がどれくらいのものか試そうということになった。舟は五百人で引いても動かなかった。つまり、彼女の力は五百人力ということになる。
噂を聞いた人々は「不思議なこともあるものだ。前世にどんなことがあれば、女の体でこんなにも力が出せるんだろう」と語り伝えた。

―――――


腕力でぶつかって勝敗を決めるというのはとても分かりやすい。腕力を使って目的を果たす、腕力を使って立ちはだかる者を取り除く。力が弱い方が負け、強い方が勝つ。ある面では単純明快、ある面では危険、ある面ではドラマティックなシステムだ。
バトル漫画では各分野の猛者たちが天下一を競ったり、天下統一を目指したり、世界平和を守るために力を奮う。様々な設定の猛者が存在し、中には望まないのに力を使わざるを得ないキャラクターもいる。
しかし「尾張の国の女」は、そんな苛烈な世界観に登場してもおかしくないスペックを持ちながら、もっと素朴で日常的な、それでいて十分すぎるほどままならない世界に生きている。
彼女は別に天下統一を目指していなかったし、野心もギラつかせてはいなかった。ただ愛する人と平和に暮らせることを願っていたが、その願いは叶えられなかった。

いったい誰が彼女の幸福な生活を壊したのだろう。
劇中、表立って攻撃を仕掛けてくるのは夫の着物を取り上げた国司と、草津川で汚い言葉を投げかけてきた商人だ。
彼らは積極的に彼女(とその夫)に接触し、トラブルを引き起こす。ゼロの状態からマイナスへの第一歩を踏み出す。そもそも国司に着物を取り上げられなければこの物語は始まらなかっただろう。
ではその国司をボコボコにすればいいのか?国司と商人、この二人のトラブルメーカーを排除すれば万事解決するのか。
yabai_201710_図解
ここで一つ、図を作ってみた。彼女の身に起きたことと、それによって変化する幸福度の想像図。本人にインタビューできないので私の想像で作成した。
二度のトラブルに遭遇したとき、彼女は二度とも自分の力で解決している。パワーで相手に競り勝っただけではない。国司に取り上げられた着物を洗って清めることでリセットしているし、謝罪した商人を許して精神的にも一応折り合いをつけている。
もちろん不愉快な目に遭ったことは取り消しようもないが、何とかトラブルが起きる前に近い精神状態にまで持ち直しているのだ。

ほんとうのトラブルは事件の後に起こった。
きっかけを作ったのは国司だが、終わらせたのは夫とその両親だ。国司から着物を奪い返してきた彼女に、夫とその両親はとても冷たく対応する。
夫は「着物を取り返してくれてありがとう。怪我してない?国司、何か言ってた?逆ギレしてないと良いんだけど…」とは聞かなかった。ただ想像によって怯え、想像によって自分の妻を「自分たちに災いのとばっちりをもたらす者」にしてしまった。根拠のない想像、確認されない想像が生活を破壊した。
彼らの中では「イレギュラーなもの=自分たちにとって悪いもの」だった。もしかしたら、反対だったら良かったのかもしれない。着物を取られたのが妻で、取り返したのが自分だったら、夫にとってそれほどイレギュラーではなかったかもしれない。
とにかく彼らは今までに見たことがない、得体の知れない、自分より凄そうな、ややこしそうなものを追放したがった。

  


では、彼女が怪力を使わなかったら、あるいは最初から怪力がなかったら、幸福な生活は続いたのだろうか?果たして物語はハッピーエンドになったろうか。
試しに「怪力が登場しないver.」を捏造してみる。こちらも、作者にインタビューできないので私の想像で作成した。
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【国司編:怪力を持っているが使わないver.】
夫のために縫った着物を、国司に取り上げられてしまった。夫は心から気に入ってたので悔しいと言う。私のこの力を使えば簡単に取り返すことができるけれど、後々睨まれるくらいなら着物を諦めよう。たかが着物だし、また作ればいいから。
そう自分に言い聞かせて何とか我慢したが、調子づいた国司は次の着物もまた奪ってしまった。夫の目の前でそれを着て見せつける。それでも夫婦は何も言わない。傍若無人な振る舞いはさらにエスカレートし、とうとう着物を破かれてしまった。
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【商人編:怪力を持っていないver.】
川で洗濯していたら知らない男たちが最悪な言葉をかけてきた。誰だよお前。気持ち悪いな。でも石とか投げられたら嫌だし、舟に乗せられて連れ去られたら危険だから黙って無視した方がいいかも…。
そう思って静かにやり過ごそうとするが、全然立ち去る気配がない。すごく不快だ。もしかしてこれ、私が帰るまで終わらない感じ?何で洗濯してるだけでこんなクソみたいな目に遭わなければいけないのだ。何とかして彼らを黙らせることができればいいんだけど。
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想像とはいえ、中々の地獄である。少しもハッピーではない。怪力があってもなくても平和な暮らしが成り立たないという世知辛い結論に至ってしまった。
だけどこの想像は、私たちの毎日とそんなに大きくかけ離れているようには思えないですね。

「何の故に諸の人、我を掕じ蔑(あなづ)るぞ」と彼女は言った。ーーー「なんだって皆、私を攻撃したり馬鹿にしたりするわけ?」
国司も、商人も、怪力のことを知らずに馬鹿にしていた。どんな振る舞いをしてもコイツなら反論されない/抵抗されない/自分の身に危険はないと思って馬鹿にした。そして怪力が登場した途端に屈服した。反論される/抵抗される/自分の身に危険があると分かって馬鹿にするのをやめた。
彼女はいつも、自分からは攻撃を始めない。誰かから攻撃のベクトルを向けられて初めてそれを止めるために怪力を使う。
夫が彼女の怪力に驚いたということは、その存在を今まで知らなかったということだ。知らなかったということは、彼女がこれまで力を見せたことがなかったということだ。
見せようと思えば簡単に見せられる(竹を折るくらい朝飯前なのだ)のだから、彼女はきっと、敢えて隠していたのだろう。「あんまり人をナメていると頬をぶん殴られる」というリスクがなくても他人に敬意を払う人が少ないという不条理を彼女は知っていた。自分の怪力がその不条理に対して効果を持つことも、とはいえ不用意に力を使えば余計ないざこざを呼ぶことも分かっていた。もちろん「国司に喧嘩を売ると危険」などという、馬鹿げたことだって最初から理解していた。
ただ、危険より愛を優先しただけだ。愛する人が「あなたの作ってくれた着物が心から惜しい」と言ったから取り返しに行っただけだ。だけど彼女が大切にした「愛」自身は、愛より保身を優先した。
結局、彼女は自分が守りたかった者たちによって、自分が守りたかった者たちを奪われたのだ。

怪力を使わなければ不快な目に遭い、使えばイレギュラーなものとして追放される。力を持っていても持っていなくても冷遇される。
でも、じゃあ、どうすれば良かったの?ずっと息を潜めて暮らすの?いつまで?
今際の際に、「もっと思うようにしてみたかった」と後悔するまで?

yabai_201710


《尾張の国の女、細畳を取り返す語》は、このあとどうなるのだろう。
少し似た物語に、東北を中心に伝わる《屁こき嫁》がある。【11月のヤバい女の子/下ネタとヤバい女の子】でも触れたが、大規模なおならを理由に離縁された女の子が、おならで行く先々の人々を助けてその価値を再発見され、「おなら用の部屋を作るからぜひうちに戻って来て欲しい」と頼まれる…というハッピーエンドの物語だ。隠した特性が露わになって離縁されるという点で似ているが、《屁こき嫁》では主人公の持っている力がポジティブなものだということが終盤ではっきりと描かれる。

一方、「尾張の国の女」は何だか分からないまま、良いとも悪いともつかずに唐突に終わる。不思議だなあ、なぜ女性なのにこんなに力が強いんだろうねえ、と皆が口々に言って終わる。
不思議だねえ。変わってるねえ。
だけど本当のところ、そう不思議でもなかったりする。彼女の怪力は祖父の道場法師から受け継がれたと本文中に書かれているし、その道場法師の怪力の由来も「父親が雷を助けたことによって授かった」と日本霊異記に書かれている。
彼女にとって怪力は得体の知れないものでも何でもなく、出自がはっきりしていて、身近にあり、完全にコントロールできるものだ。そして自身を助けてくれる特長だ。
周囲の人々が彼女の持つ力を不思議に思うのは、その審美のザルの目の細かさが彼女の魅力に追いついていないからだと私は思います。もしかすると、《尾張の国の女、細畳を取り返す語》の作者でさえも、この魅力を語り尽くせなかったから、結末がないのかもしれない。あるいは、当時の価値観に合わせてオチを切り取ってしまわないように、わざと途中で終わっているのかもしれない。

ちなみに、《尾張の国の女、細畳を取り返す語》は今昔物語の巻二十三に第十八話として収められているが、その一つ前の第十七話にも「尾張の国の女」が登場する。この小柄な女性も道場法師の孫で、生まれ持った怪力を使い、悪い狐を懲らしめるというストーリーだ。
第十七話の「尾張の国の女」が第十八話の「尾張の国の女」と同一人物かどうかも、二つの話の作者が同一人物かも今となっては分からない。だけどこんな風に、彼女がどこかで別の物語を続けていないとも言い切れないだろう。

冒頭で、「彼女は糸を撚ったように柔軟な姿である」と書かれている。
糸そのもののようでもあり、竹を糸のように割ることもできる。糸に例えるのなら他にも色々なことができそうなものだ。縫うとか、紡ぐとか、結ぶとか。
結びの言葉が決まっていないのだから、これから彼女は何でも好きなものになれる。何しろ彼女にはもう既に、物凄く大きなポテンシャルがあるのだ。正義感と人情があり、気は優しくて、力持ち。その魅力を余すところなく書き残そうと思うと、チャプターがいくつあっても足りないだろう。きっと長くなりすぎて今昔物語に収まらず「尾張の国の女」シリーズだけで纏められてしまう。

尾張の国の女、山賊を全員捕まえる語(こと)。
尾張の国の女、海で泳ぐ語。
尾張の国の女、美食に目覚める語。
(中略)
尾張の国の女、怪力仲間ができる語。
尾張の国の女、才能を開花させて天職に就く語。
尾張の国の女、いつまでも幸せに暮らす語。

はらだ 有彩

はらだ 有彩

はらだ有彩(はりー)

11月16日生まれ、関西出身。
テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーターです。

mon・you・moyoというブランドでデモニッシュな女の子のために制作しています。
mon・you・moyoとは色々な国の言葉をパッチワークにしたもので、「もんようもよう」と読みます。
意味は(わたしのあなた、そのたましい)です。
デモニッシュな女の子たち、かわいくつよいその涙をどうか拭かせてほしい。

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