1月/王子様とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【1月のヤバい女の子/王子様とヤバい女の子】

●猿婿入り

いつか王子様が攫われた私を助けに来てくれる。ちょうどこんな顔をした王子様が。

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《猿婿入り》

老人は途方に暮れていた。畑へ牛蒡堀りに来たが、朝からひとつも掘れていなかった。痛む腰をさすり、広大な土地を前に困り果てていた。そこへ一匹の猿が現れ、自分が掘ってやろうかと名乗り出た。
「そのかわり、お前の娘を嫁に欲しい」
猿は労働の対価を提示して、軽々と牛蒡を掘ってみせ、三日後に嫁を迎えに来ると言って立ち去った。
老人は軽はずみな口約束をしてしまったことを後悔し、とぼとぼと家に帰った。昼間のできごとを娘に話すが、長女と次女はとんでもないと断ってしまう。狼狽する父の様子に、末娘だけが「親孝行のためなら」と首を縦に振った。彼女は結婚の話を受ける代わりに、嫁入り道具を用意してくれるよう父親に頼んだ。石臼、杵、米である。
約束の日、猿が迎えに来ると、末娘はかわいらしく挨拶した。猿は娘を気に入り、彼女の嫁入り道具を背中に背負って歩き出した。
二人は山道をずんずん歩いていった。ずいぶん歩いて、深い川を渡ろうとしたとき、娘が桜の木を指しておもむろに言った。
「ああ、きれいな花。わたし、あの花が欲しい」
猿は妻となる女性の言うことならと荷物を置いて木に登ろうとした。しかし娘は石臼と杵が汚れては餅がつけないと渋る。仕方なく彼は重い荷物を背負ったままで木登りを始めた。
「この枝の花か?」
「いいえ、もっと上の枝です」
「この枝か?」
「いいえ、もっと、もっと上の枝です」
「この枝か?」
と、ついに重みに耐えられなくなった細い枝が折れ、猿は石臼ごと急流に落ちてしまった。
流れは速く、石はみるみるうちに持ち主を解放せず沈んでいく。水しぶきで霞む視界、はるか崖の上にかわいい妻の顔が見える。猿は水を飲みながら、彼女に歌を詠んだ。それはそのまま辞世の句となった。
『流されて死んでいく私の命は惜しくないが、後にひとり残される妻が泣くのはかわいそうだ』

末娘は一人で家に戻り、今までのように家族と幸福に暮らした。
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…えっ、終わり?ひどくない?
はじめてこの結末を見たとき、私は反射的にそう思った。
なんというか、これではあまりにも猿がかわいそうではないか?猿、そんなに悪くなくない?むしろ割といいやつじゃない?

しかし、同時に違和感もある。何か重要なことを忘れているような気がしてならない。猿が純粋無垢の純朴な被害者で、娘はフテえ加害者。それで片付くとはとうてい思えないのである。
昔話や民話ではたいてい、〝残忍〟な存在は罰を受ける。しかし少女は生きて無事家に帰った。物語を生き延びることができた少女は、ほんとうに悪役なのか。

彼女が残忍だという印象を与えているのは、おそらく猿の最期の行動によるものだろう。猿は死のふちで自分を川に落としたのが妻だとは思いもせず、殺人犯(殺猿犯)を心配しながら死んでいった。
猿が紳士的な振る舞いをすることで、私たちは「彼の恋は少しくらい叶えられてもよかったのではないか」という印象を受ける。
やさしい猿の求愛に、彼女は理想的に応えるべきだったのだろうか?

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人ならざる者との結婚を描いた異類婚姻譚はさまざまなレパートリーがあるが、この《猿婿入り》には救済者がいない。嫁となる女性が自力で婚姻を止めている。
これが仮に、第三者の手による救済であればどうだろう。多少脚色すると、次のようになる。

ーーあるところに、美しいお姫様がいました。彼女は悪い猿に攫われて、お城に閉じ込められていました。そこへ白馬に乗った王子様が登場、聖なる剣で悪い猿を倒します。しかし猿は絶命する寸前、お姫様を気遣う歌を歌いました。お姫様は自分が食べられそうになっていたことも忘れて涙を零します。
王子様はお姫様と恋に落ち、ふたりはゴールイン。お城で末長くしあわせに暮らしました。ーー

ここで救われるのはいわゆるディズニー的、古典的プリンセスである。かの有名な幾原邦彦監督、J.C.STAFF制作のアニメ作品「少女革命ウテナ」で否定され革命されたお姫様と王子様の関係である。
ここでは殺害は第三者である男性の手によって行われる。「お姫様」の手は汚れず、望まない結婚を回避し、より良い条件の相手とエンディングを迎える。

自分で自分を救うということは、自分のために自分の手を汚すことだ。助けを待つ立場では手は汚れない。
彼女はなぜ、自分が汚れることも厭わずに一見いいヤツとも思える猿との結婚を阻もうとしたのだろう。

そもそも、猿とは何者だったのか。彼はどのような男(明記されていないが、たぶん雄だと思う)だったのだろう。彼は力を持っていた。妻を欲しがっていて、労働と引き換えに女性を要求し、手に入れようとした。そして有無を言わさず少女を迎えに来た。

異類婚姻には大まかに3つのパターンがある。
1)人でない者Aが人間Bと結婚して人間になる。(田螺長者など)
2)人間Aが人でない者Bと結婚して人でない者になる。(オシラサマなど)
3)どちらも変化せず人でない者Aと人間Bのまま暮らす(天人女房など)
1)、2)ではどちらか一方の属性の変化がある。3)では結婚はたいてい破局する。このような物語において同じ属性の者どうしでない組み合わせで生活を共にすることは、どちらかがもう一方に影響を与え、変質させる意味をもつ。
この時、少女は自分の望まない猿という存在に作り変えられてしまうリスクを負っていた。

そうは言っても、人ならざる者との約束を破るというのは恐ろしいことである。
相手は超自然的なパワーを持っている。彼はやさしく妻に話しかけるが、約束を破った状態でもその態度が担保されるとは限らない。これは何としても守らなければならない約束だ。選択の余地はない。
だけど、それなら私は?私の人生は?

望まない(というより、昨日まで認識すらしていなかった)相手と同じコロニーに入って、それは自分ではなく相手に力のあるコロニーで、自ら変化してそこに同化することを求められる。断れば自分の元いたコロニーを消滅させられるリスクがある。
これが彼女の置かれていた状況だと私は想像する。

私は自分の人生と生き方を守りたい。私の人生は私がコントロールするのだから。
彼女は状況を打開するパラダイムシフト的解決策を必要としていた。例えば突然白馬に乗って現れる王子様のように、一瞬で全てをひっくり返す必要があった。
輿入れの日、白馬の王子様は彼女のもとに来なかった。そこにはもう既に、ひとりの救済者がいたのだった。

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この物語に「憎むべき悪者」は存在しない。
猿は最後まで少女を自分の妻と捉え、その身を案じて果てた。父は孝行娘を持って幸せだろう。姉たちは彼女に身代わりになってもらった。
誰一人少女を呪う者は存在しない。ただ1人、彼女だけが自分のしたことを知っている。

少女に限らず、他の登場人物もなんだか憎みきれない雰囲気で描かれている。猿は今際の際の一言で読者の同情をかっさらうし、父親はアホみたいな軽率さでとんでもない約束をしてしまうが、娘たちに結婚を強制するでもなく、ただうろたえるばかりで人間味にあふれている。ここでは完全なる悪者ーー血の通わない、倒されて然るべき、死んでも少しも心の痛まないエンターテイメント的悪としてのキャラクターがいないのだ。
これはほんとうに不便なことですが、私たちの生活でこういったことはよくありますね。現代の日本で普通に生活していて、テレビ・ゲームや外国のおとぎ話のように魔王や意地悪な老婆のような「ラスボス」をぶっ殺し、白馬に乗って拐かされたお姫様を救い出すというシーンには滅多に出会わない。それらの役割は毎日入れ替わり、同時多発的に上演され、ころころと変化する。現実世界でも配役が決まっていれば分かりやすいのに、善とか悪とかで判断できないことが私たちの周りには無数にありますね。

テレビ・ゲームといえば、1997年にラブデリックが開発しアスキーから発売されたゲーム「moon」には、勇者として機能しない勇者が登場しましたね。
彼はモンスターを殺しまくり、他人の家の引き出しを開けまくる。ゲームの主人公は殺されまくったモンスター(ゲーム内ではモンスターではなく「アニマル」と呼ばれる)を救い、ストーリーを進めていく。
プリンスが実際に存在しなかった日本では、王子様はおとぎ話をベースに貴公子や勇者と混同され、「他者を救う若く見た目の良い男性」というイメージが作られているが、moonの勇者は救うべき対象も戦うべき相手も明示されないまま、殺戮を繰り返す狂人のように描かれる。ほんとうは使命があったのかもしれない(このゲームではそこに触れる設定がありますが、ここでは見送ります)。でもそれはシナリオの中では分からないように表現されているのだ。
倒すべき敵、救うべきお姫様、彼が正真正銘の王子様だと保証してくれる人々、見目麗しく若い男性であるという設定、それら全ての条件が揃わない場合、「お姫様を救う王子様」を名乗るのはとてもリスキーなことだ。ましてやお姫様と王子様が同一人物だなんて、並大抵のことではないですね。だけど語られなかったからといって、起こらなかった救出劇であるとは限らない。

少女はひとつの生命を消すほどの覚悟で守った日常へ戻っていった。物語は無数に枝分かれしているが、中にはその後人間の男性と彼女の縁談がまとまり、嫁いでいったという描写もある。二度目の縁談が彼女にとってベストだったのか、それはもう誰にも分からない。
生命どうしが打ち消し合わないパワー・バランスに巡りあいハッピーに家を出たのか、犠牲を伴って自分の理念を輝かせることをいったんやめたのか、強大な力を持った猿のように他者の形を自分にフィットさせる方針に転向したのか、あるいはそのどれでもないのか、ほんとうにもう分からないのです。
でも少なくともあの日、少女は猿を殺した。それは自分のためだった。そんなことをする羽目になったのは別に彼女のせいではなかったが、とにかく彼女は決意した。

自分は望まない何かに変わってしまうかもしれない。
だけどその窮地をはねつけて、私と周囲を切り離すと割り切って回避することを私はしたくない。このピンチに対峙しなければならない。
私は少しも変容したくないのではない。私はただ、自分のなりたいものに向かって変容したい。
この二つを両立させるために覚悟が必要であることを私はたぶん分かっている。覚悟を理由に慰められてはいけないことも。ある種の挫折や後ろ暗さと添い遂げなければならないことも。私は私の理念のために猿を殺す。
猿がまったく悪くないわけでも、私が完全なる悪であるというわけでもない。ただし、猿が完全なる悪で私が悪くないわけでもない。こうなってしまった以上、何かを選択して何かを捨てなければならない。これはクリーンな勧善懲悪の物語ではない。
玉の緒よ去らなば去らね、だけど絶対に捕まえにゆくからね。私は攫われる私を救う。そして自分の手を汚す。私のはじめての夫、お前が死んだことを私はずっと覚えている。私は今日、猿を殺す。

昔々、あるところにお姫様がいました。彼女は白い馬に乗り、どこまでも走り去っていきました。そして末長く幸福に暮らしましたとさ。めでたし。めでたし。

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めでたしめでたし、明けましておめでとうございます。
昨年はたいへんありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

はらだ有彩