1月/後戻りとヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【1月のヤバい女の子/後戻りとヤバい女の子】

●宇治の橋姫

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《宇治の橋姫》

暗闇の貴船神社に一人の少女が立っている。真夜中にたった一人で参拝する様子は尋常ではない。少女はある女のことを考えていた。妬ましい、憎らしい女だ。
どうしてもあの女を抹殺したい。少女は自分を生きたまま鬼に変えてくれるよう貴船神社に祈った。

七日ののち、お告げがあった。
「髪で五本の角を作り、顔に紅を、体じゅうに丹を塗り、逆さまの鉄輪を頭に被り、三本の足に松明を灯し、さらにもう一つ松明を咥えて両端に火をつけろ。その姿で二十一日間、宇治川の水に漬かりなさい」
彼女はそれを実行した。髪で五本の角を作り、顔に紅、体じゅうに丹を塗り、逆さまの鉄輪を頭に被り、三本の足に松明を灯し、さらにもう一つ松明を咥えて両端に火をつけ、宇治川に漬かり続けた。
その姿はこの世のものとは思えないほど恐ろしく、見た者はその場で気を失って倒れ、命を落とした者さえいた。

少女の名は宇治の橋姫という。橋姫は憎い女を殺し、その周囲の人間を殺し、おしまいには道端を通りかかったあらゆる人間を殺してまわった。
都中が恐怖に包まれ、夜に外出する者は誰もいなくなった。

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お正月だというのにとてつもなく恐ろしく、縁起の悪い話です。
この「橋姫」という女の子について、私は全然分からない。彼女にはいくつもの顔があり、正反対の性格を持っている。

橋姫という名前の女の子は登場するタイトルを変え、容姿を変え、様々な人格に派生していった。『古今和歌集』『御伽草子』『源氏物語/宇治十帖』『山城国風土記』『源平盛衰記』『鉄輪』などなど。
ここに登場する彼女のキャラクター設定は大きく三つに分類できる。

(1)橋を守護する女神。
(2)恋人を一人で待つ少女。
(3)橋を司る嫉妬深い鬼女。

そしてその性格はもっと大まかに、二つに分けることができる。

(1)外的要因に左右される立場
(2)能動的に状況をコントロールする立場

例えば、
『古今和歌集』に掲載されている詠み人知らずの689の歌「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」に登場する橋姫は、いつ来るかも知れない恋人を片側だけ敷いたむしろに一人寝ながら待っている、翻弄される側の存在だ。

『山城国風土記』に登場する橋姫は、自分ではどうすることもできない大きな力に夫を奪われている。
ここでは橋姫の夫は、妻のためにワカメを採りに行った海で竜神に魅入られて婿にされてしまう。橋姫は自分の力で取り戻せないところへ連れて行かれてしまった夫を思い泣く。物語の最後に夫は自力で帰ってくる。

一方、『源平盛衰記/劔巻』での彼女は、怨みの対象となる人物だけでなく、無差別に通りかかる者に襲いかかる無差別殺人鬼として描かれている。この橋姫は完全に理性を失って攻撃性だけが際立っている。

全ての派生の中間くらいに位置するのが能の『鉄輪』に登場する橋姫ではないかと私は思う。
この橋姫は夫に捨てられ、後妻に奪われるという他者からの攻撃を受けて被略奪者となった。そのため彼らを恨み、宇治川に漬かることで今度は奪う者である鬼に変身した。(自分を軽んじた者に強者として攻撃をしかけた橋姫が、阿倍晴明という第三者によって裁かれて物語は終わる。)

彼女たちは追いかけることもできずにじっと待ち耐える者と、地の果てまでも追いかけて不条理なほどの暴力で思いを遂げる者に別れている。その誰もが橋姫という「愛(は)し」名前を持っている。
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橋姫というキャラクターはとても嫉妬深いと言われている。
今でも「結婚前のカップルが宇治橋を通ると別れる」とか、「女性の嫉妬をテーマにした『葵の上』や『野宮』を歌うと恐ろしい目に遭う」という言い伝えが残っている。

嫉妬という言葉ーー“嫉”と“妬”にはなぜ“女”という字が入っているのだろう。
嫉妬は女性にまつわる感情なのだろうか。そして、嫉妬とは、マイナスの感情なのだろうか。

嫉妬というものは、自分よりも良い状態にある人物に対して、または自分と自分の愛する人との間に入り込もうとする人物に対して感じますね。
私はこの気持ちは醜いものではないと思います。

「私が理想の状態になっていないのに、私ではなく○○がなっているのはおかしい」
「私が好きな人と一緒にいたいのに、私ではなく○○が一緒にいるのはおかしい」
この“のに”という感覚がなければ何の悲しみも湧いてこない。自分の是とするシチュエーションがここにない状況を受け入れ、疑問や不満を全く持たなければ不快な気持ちは沸き起こらない。
自分の理想とする状態があり、今はその理想に至っていない。至っていないことに疑問や不満を感じ、「そんなのは嘘だ、そんなのはおかしい」と思う感情が嫉妬の源泉ではないか。

ちなみに、男女問わず、嫉妬するだけなら誰だってできますね。だけど橋姫はその次の段階へ行った。彼女は「私が理想の状態になっていないのに、私ではなく○○がなっているのはおかしい」と感じ、現状を打破しようと働きかけた。
もちろん嫉妬に任せて誰かに殴りかかったり、呪い殺すなどということはけしてポジティブな行動とは言えない。ただ一つだけ言えるのは、彼女は自分のために鬼になったということである。
自分のために、その姿を鬼に変えることを決意した。「もう二度と元の暮らしに戻れなくなっても絶対に本懐を遂げたい」という覚悟を決め、それを遂行したのだ。

現在、宇治にある橋姫神社は、縁切りのご利益で信仰を集めているという。縁切りという方向性は、橋姫とはあまり親しみがないように思える。宇治川に浸かり続けた橋姫は、縁を切るどころかどこまでも追いかけて縁をつきつめようとしていたではないか。
柳田國男は橋姫について、強い力で橋の外側から来る敵を遮断する役割を持つと書いていた。
橋姫神社に残されている「悪い縁を有無を言わさず断絶させる」というこのご利益は、もっと大きなエネルギーがめちゃくちゃに回転している二次的な効果であるように私には思える。

彼女は結婚前のカップルや、他者の物語に大して興味などないのではないか。ただルンバが部屋中を縦横無尽に駆け巡りながら電気コードを巻き取ってしまうアクシデントのように、誰かの縁を引きちぎっているだけなのではないだろうか。
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鬼になった少女はその後、どうなっただろう。
『源平盛衰記/劔巻』に登場する橋姫はこのようなエピソードで終わる。

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鬼が無差別に人を襲っているという噂はたちまち都中に広まった。それを受け、源綱という人物が討伐に向かうことになる。
馬を走らせていると、闇の中に美しい女性が立っているのを見かけた。こんな時間に一人で出歩いては危ない。綱は途中まで送ろうと言い、彼女を馬に乗せた。
と、女性が突然鬼の姿に変わった。さっきまでの可憐な顔は消え失せ、恐ろしい形相で綱を掴み「愛宕山へ行くぞ」と言うなり空へ舞い上がる。綱はさげていた鬚切という刀で鬼の腕を切り落とした。
空中へ放り出された綱は腕とともに落下し、何とか助かった。鬼は腕を庇いながら愛宕山へと飛び去った。
美しい女の、はっとするほど白かった腕は真っ黒に変わり、針のような白い毛がびっしりと生え茂っていたという。
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彼女の後日譚は多彩な物語の数だけ存在する。
綱に切り落とされた腕を取り返しに来るエピソードや、橋の神として祀られるエピソード、安倍晴明によって復讐を阻止されその後姿を消してしまうエピソードなど様々である。
どのエピローグにも、彼女が冒頭で「怨みを晴らしたい」と願った人物は再登場しない。

宇治橋は日本で最も古い三つの橋のひとつとされている。
橋は川と川の間にかかっている。橋がなければ川は渡れない。橋は境界にあり、どこかからどこかへ行くためにある。

ーもう後戻りはできない。戻れないことは知っている。私、これから鬼になっちゃって、その後どうなってしまうんだろう?
だけどもう、鬼にならずにはいられない。今の姿で、この気持ちを抱えたまま生きることの方が私にはつらい。
後でハッピーになれることが担保されていなくても、今、私は暴れまわりたい。変化して暴れまわりたいのだ。ー

大きな覚悟と力を手にした橋姫は、例えば、自分を捨てた夫などという瑣末なものは忘れ去ってしまったかもしれない。

突然ですが、ここでひとつ新しい諺を考えようと思う。
「石橋を叩き壊しながら渡る」――何もかもをぶち壊してでも渡りたかった向こう岸で、もといた対岸のことなど思い出さないくらい楽しい暮らしが、あなたを待っていますように。

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どうかすばらしい2017年をお過ごしください。
今年もどうぞよろしくお願いたします。