3月/献身とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【3月のヤバい女の子/献身とヤバい女の子】

●おかめ

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《おかめ伝説》

長井飛騨守高次は窮地に立たされていた。
高次はベテランの大工である。京都・大報恩寺の本堂の工事を任され、がぜん張り切っていた。
しかしなぜかーーー自分でもなぜそんなことをしてしまったのか分からないのだがーーー木材の寸法を間違って切断してしまったのだ。
それもただの木材ではない。この日のために信者から寄進された特別な木だ。
(これはもう、命をもって償うしかない…。)

困り果て、思いつめた高次を妻のおかめが見ていた。
彼女は今にも消えてしまいそうな夫を励まし、静かに自分の考えを話す。
まずは落ち着いて。ここは思い切って、他の木材も同じ長さに揃えましょう。そして別パーツとして枡組を作って、寸足らずになった部分を補ってはどう?
結果的に、彼女の考案した方法はとてもうまくいった。高次が大変な失敗したと思う者は誰もいなかった。見た者は皆美しい意匠に感動した。

上棟式の前日、高次はピンチを救ってくれたおかめに改めてお礼を言おうと思った。しかし、姿が見えない。ようやく探し当てたとき、妻は人目につかないところでひっそりと自害していた。
女である妻に窮地を助けられて仕事を成功させたということが世間に知られたら、夫の名誉に傷がつく。そう思い、彼女は自ら死を選んだのだった。
悲しみの中で上棟式が執り行われた。高次はおかめの面をつけた御幣を式に飾り、彼女を偲んだ。

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ーーう、う、嘘だと言ってほしい。
この物語を読み終えたときの私の驚きといったらなかった。死ぬ!?死ぬ必要ある!?
とりわけ「女の助言で仕事を成功させたことが夫の不名誉になる」というセンテンスを理解しようとすると、全身から混乱の汗が吹き出る。
すんなり納得するには私は現代に暮らしすぎている。(理解に苦しむ程度には、現代は現代的だった。よかった。)これは昔の話だ、昔の、それも極論なのだ…と一旦自分の気持ちを宥めすかし、どこかにヒントがないか探すことにした。

この「おかめ伝説」は現在も京都に伝わり、内助の功の美談、ひいては夫婦円満の信仰に受け継がれている。
私は別にこのエピソードの伝承を批判したいわけでも、彼女を尊敬することに全面的に反対したいわけでもない。
しかし、これは本当に、完璧な美談なのか?という疑問が拭えない。おかめと高次は夫婦という関係のロールモデルになり得るのだろうか。


なぜおかめは死を選んだのだろう。
彼女の死には言いようのない違和感を感じる。何かが決定的に分からない。
(私は死ぬのがとても怖い。怖いので、片手間に考えたくない。気軽に考えていて、気軽に直面してしまうのが恐ろしい。死について、当事者でない者が想像を巡らせることに不快感を感じさせてしまうかもしれないが、ここで何が分からないのかを特定したい。)

【死は生きている人間全てに訪れる。】これは、分かる。嫌だけど分かる。
【人は自ら命を絶つことがある。】気持ちをよそへ置けば、そういうことが実際にあるということは、分かる。
【「名誉」「尊厳」のために命を使う。愛する人のために自分を犠牲にする。】
これらも、自分に置き換えて考えてもあり得ないことではないと感じることができる。私自身、小学生の頃『銀河鉄道の夜』を読書感想文の題材に取り上げ、「蠍の火に胸を打たれた」と書いたことがある。
おかめの死を一つ一つ分解していくと、なるほど、そのパーツは理解できる。心から良かった!とは全く思えないが、辻褄が合っているかのように見える。
それでは、このじりじりとせり上がる違和感は何なのだろう。

彼女にとって、自分の死には根拠があった。彼女はそれを信じて行動した。
だけどその死の根拠が、今となっては跡形もなく破綻してしまっていること。それが本棚の後ろへ落としてしまった小さな紙のように、見えないけれど確実に存在していて、どうにも落ち着かない。
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まず単純に、「死ななくたって良いじゃん!黙ってれば良いじゃん!」と思った。これは「女の助言を借りるのが恥ずかしい」という世界線を前提とした解決策だが、それでも反射的にそう思ってしまった。
助言したことは、二人だけの秘密にすれば良いではないか。しかしおかめは夫の名誉を守るためにはそれでは済まされないと判断した。
「夫の名誉」とは何だろう。彼らの本来の目的は、正しい建築物を作ることだ。だって大工なのだから。高次は正しい建築物を作るために働いている。名誉を守るために働いているのではない。
高次(と彼の名誉)にとって、おかめが生きていて困ることが何かあるだろうか。人の死についてあれこれ憶測するのは野次馬根性に基づくモラルのない行動だとは思うが、これも考えてみることにする。

一つ目は、おかめ自身が誰かに話してしまう可能性を危惧した。
うっかり口が滑ってしまうかもしれない。あるいは、自分だって正しく評価されたいと思って告発してしまうかもしれない。
二つ目は、実は夫が妻を口封じのために殺した。
夫は助けられたというプレッシャーに耐えられなくなり、「いつかバラされるかも…」と疑心暗鬼になり、彼女を殺してしまった。あるいは、夫の不安を感じたおかめが、自分が裏切ることはないと証明するために死んで見せた。
三つ目は、そもそも失敗があった事実自体を消したかった。おかめは腕の良い大工である夫を愛していた。彼が失敗したという事実の存在を許すことができず、それを知っている人物(=自分)を消すことにした。

ここまで考えて、気が滅入ってきた。あらゆる可能性の万に一つにも、彼女自身が夫と一緒に建築家として成功するという結末がなかったことが心から残念でならない。こんなに素晴らしいアイデアマンは評価されて然るべきではないのか。

私は最初に「現代に暮らす私には全く分からない」と書いたけれど、その一方で、分かるとも思う。
分かる。少し分かる。とても分かる。インターネットに、本屋に、スターのスピーチの中に、ニュートラルで現代っぽくて勇気付けられる文章がたくさんある。
自分から進んで出会う情報はいつも先進的で、みずみずしい共感に溢れていて、絶対に正しい。そしてそんな簡単なことは実はもう知っている。
できないことは何もないし、言えないことも何もない。誰もが適切なタイミングで怒ることができるし、意見を主張することができる。
はずである。
はずではあるが、それでも暮らしの中でふと遭遇するシチュエーションはときどき、驚くほど尾籠なのだ。

結局、おかめが死に至ったことで、彼女の働きは現代にまで伝わることとなった。伝わっているということは、誰かーー真実を知っている誰かーーが人に話し、残したということだ。
皆に知られてしまったら、おかめの行動の意味がなくなってしまう。それでも高次は知ってほしかった。妻の存在をなかったものにしたくなかった。
彼らは自分たちの置かれた環境、時代、空気感、人々が言うであろう言葉を想像し、全身で受け取っていた。
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せめて彼女が満足していればいい。と、私はどうしても思えない。
だって、彼女の人生はどうなるのだ。おかめは男のピンチというイベント時に出現して、都合の良いアイテムを与えてくれるキャラクターだったのだろうか。彼女の幸福が夫の幸福そのものだったら、それでいいのだろうか。

死んでしまったらもう会えない。
人生の道のりのどこかで、必ずもうこれ以上一冊の本も読めなくなる瞬間、これ以上一曲の音楽も聴けなくなる瞬間、好きなメニューをこれ以上もう一口も食べられなくなる瞬間というものがある。
それは読めるとき、聴けるとき、食べられるときと同じ世界の続きにあるのに、はっきりと変わってしまう。道端にある自動販売機でジュース一本買うような気軽で楽しいことだって、ある瞬間を境に全くできなくなってしまう。

できるだけ多く、読んだり、聴いたり、食べたりしてほしい。自由に話して、自由に考えて、自由に働いて、あなたの心からの人生を一秒でも長く続けてほしい。
そう思うのは私の勝手な希望だ。
そんなことどうだっていいよ、放っておいてよ、余計なお世話だよ。そう言われてしまうと私にはもう何も言えない。結局、まあ、そうなのだ。彼女の命なのだから。
だけど私はほんとうに悲しい。悲しいとあなたに伝えられない関係が悲しい。私、あなたと友達だったらよかったのに。
女だから、自分の存在を消すことが最も良い選択だから、私もそれで納得しているから。私、ほんとに全然後悔していないの。これから先どんな価値観の時代になろうと、何の後悔もないの。
もしも友達だったらそうやって笑うあなたを張り倒し「うっせーバカ!アホ!ステーキ食ってカラオケ行くぞ!」とキレることができたのに。
ステーキ食って、カラオケ行って、そのまま夜行バスで眠って、起きたら電車を乗り継いで、飛行機にも乗ったりして。あなたが満ち足りた気持ちでいられて、誰もそれを悪く思わない場所まで行ってしまえたのに。
あなたの功績を残してどこかへ移動しなければならないことそのものにも私は憤りを感じるけれど、それでも、生きていてほしかった。

物語の舞台となった千本釈迦堂、大報恩寺にはおかめの墓が建てられている。
墓の目印にその姿を模した像がある。像の傍には「おかめ桜」と呼ばれる木が育っている。巨大な枝垂桜は三月の終わりになるとぶわっと噴出したように花をつけ、うねうねと曲がった枝が重く下がる。
現代に生まれ変わり、その桜の曲線のように自由な形のビルを設計するおかめを想像してみる。
斬新な発想で新しい造形を生み出す建築家として評価されているおかめを。同じくバリバリ活躍している高次を。アイリーン・グレイ、ザハ・ハディッド、おかめ、と名前が並んでいるWikipediaの1ページを。

プロフィール欄に一枚の写真が掲載されている。
少し丸顔で目尻が柔らかく垂れ下がった、彼女の顔がにこにこと笑っている。