6月/失望とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【6月のヤバい女の子/失望とヤバい女の子】

●人に知られざる女盗人の語

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《人に知られざる女盗人の語(今昔物語)》

今は昔。
どこの誰とも知れないが、背が高くすらりとした、髭の男がいた。
ある日男が歩いていると、見知らぬ家の中から誰かが鼠鳴きで呼ぶ。女の声で「扉は押せば開くから、入っておいで」と囁かれる。男は面食らいながらも言われるままに扉の奥へ入っていく。入ったら鍵をかけて。鍵をかけたら簾の中へ来て。素敵に整った部屋の中には、美しい一人の女がいた。二十歳ばかりだろうか。うっとりと微笑みながら男を見つめている。
二人はそのまま手を取り合い、女の誘うままに懇ろになった。
こんなことがあって、この不思議な女の子に夢中にならないはずがない。日が暮れたことにも気づかず、男はそのまま彼女の寝室にとどまっていた。突然、女房らしき者が食事を持って入ってくる。さっき自分は扉の鍵をかけたはずなのに、妙だなと男は思った。もしかして他に情夫がいるのだろうか。とはいえ空腹には勝てず、皿に手をつける。満腹になったらまた二人で寝る。そうこうしているうちに数日が経ってしまった。
ここでの暮らしは素晴らしかった。女が「出かける用事はないか」と聞くので知人のところに行きたいと伝えると、馬や人も用意してくれた。用意といっても、これがまた不思議なもので、女が何も指示しなくても使いの者がどこからか現れては下がっていくのだ。

二十日ほど経った頃、女がにわかに言った。
「思いがけず恋仲になったのも、前世からの運命。運命なのだから、生きるも死ぬも、私の言うことによもや嫌だとは仰らないでしょうね」
男はすぐに答えた。
「もちろん、私を生かすも殺すもあなたの心ひとつです。」
女はたいそう喜び、奥の部屋へ恋人を連れて行った。
その部屋で男はおもむろに縛り付けられた。髪に縄をつけ、背中をむき出しにし、足も曲げた状態で固定される。女はというと烏帽子と袴を身に着けた男装姿で、手に鞭を持っている。彼女はその鞭で男の背中を八十回打った。
「今、何を考えてる?」
女が問う。
「悪くはない」
「あなた、私の思った通りだね」
女はそこで鞭を置き、男に薬を飲ませていつもより豪華な食事を用意した。三日ばかり甲斐甲斐しく介抱されると背中の傷は良くなった。男が回復すると、女はまた奥の部屋へ彼を呼び、前の鞭の跡の上から八十回打った。
「どう?我慢できる?」
「できる」
血が出ていたが男は顔色を変えずに答えた。女は前よりもいっそう男を褒め、傷の世話をした。治ったらまた鞭打つ。今度は腹だ。そしてまた介抱する。

男が元気になると、女は彼に立派な服を着せ、こう言いつけた。
「今から蓼中の御門へ行って人目につかないよう合図をしなさい。そうするとあなたに合図を返す者がいる。その者が近寄ってきて『お前は誰だ』と質問してくる。あなたはただ『お待ちしておりました』とだけ答えなさい。その者について行き、言われる通りにして。もし邪魔者が現れたら迎え撃って。その後、船岳に着いたら、お宝の取り分を決めるでしょう。だけどそこでは何も貰わないで。」
言われるがままに指示された場所へ行くと、自分のような人が二十人ほど屯っていた。ボスらしき、小柄で色白の男が一人で佇んでいる。それからは全て女の予言通りになった。男はその二十人ほどの集団に合流し、活躍し、分け前を断った。家へ帰ると女が湯を沸かして待っていた。食事して、女と寝る。男はもう離れられないほど妻を愛していた。それから今回のように不可解な仕事をすることが七、八回あったが、不思議と嫌ではなかった。

あっという間に一年、ニ年が経った。 妻はこのところ塞がちだ。なぜだか泣いてばかりいる。わけを聞いても要領を得ない。
「儚い世の中、思わぬところであなたと別れることがあるかもしれないと思うと、悲しくて。」
男には妻の嘆きがよく分からなかった。まあ、多分言ってみただけだろう、と思って、いつものように出かけることにした。妻もいつものように出かける準備を整えてくれた。
しかし。ニ、三日で用事を終わらせて帰路につこうとすると、従者も馬もいなくなっていた。嫌な予感がして、人に馬を借りて急ぎ戻る。
家に辿り着くと、そこには何もなかった。ぜんたい、これはどうしたことだろう。蔵もなければ尋ねる人もない。そこでようやく妻の涙を思い出したが、もう遅かった。
どうすることもできず、知人を頼ったりして暮らしているうちに、男は盗みを数回働いて捕まった。その時に事情を聞かれて話したのが、この物語というわけだ。
本当に不思議なことである。女は人ならざる者だったのだろうか?ニ日やそこらで家も蔵も跡形もなくなるなんて、尋常ではない。

彼女がどこへ行ったのか、誰にも分からない。でも一度だけ、いつか彼女に言われて仕事へ行った時、二十人程の男たちを従えて立っていた小柄な男―――皆が畏れて遠巻きに見ていた、炎に赤く照らされたあの横顔ははっとするほど白く、美しく、どこか妻に似た面影があった。もしかしたら、と思ったが、今ではもう何も分からなくなってしまった。

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「人に知られざる女盗人の語」はしばしばSMと関係付けられて語られる。
正直に言うと、私がSMについてコメントできることは何もない。私の数少ないSM経験といえば、数年前の年の瀬に知り合いのお姉さんに大阪のSMバーへ連れて行ってもらい、お土産に羽子板を貰ったくらいである。なぜ羽子板かというと「ジャパニーズ・スパンキング・ラケット」と言って年末~お正月向けのお土産にすると外国のお客さんが喜ぶからだそうだ。ショーを拝見し、鞭を少しだけ触らせてもらい、楽しくお酒を飲んで帰宅。貰った羽子板はその後しばらくお正月の水引きとともに私の家の玄関に飾られていた。
実体験もないのに想像でSMについて書くのは心苦しいので、ここでは二人の関係性について考えようと思う。


今昔物語二十九巻に収められているこの物語は、「とても不思議な話なので、このように語り伝えられていることだ。」と締めくくられている。数日のうちに痕跡も残さず消えたこと、その後誰もその姿を見ていないこと、美しい妻が実は女盗賊だったかもしれないことが「世の稀有の事」だという。
だけど私にはそれよりもっと気になることがある。

――女盗賊はなぜ泣いていたのか。

破局を作り出したのは彼女自身だ。それなのに「別れるかもしれないことがつらい」と言って泣いていたということは、本当は別れたくなかった、でも自分の意思に反して別れなければならなかった、ということになる。
作者が誰かは分からないが、男を冒頭でわざわざ「すわやか(すらりとした)」と説明しているので比較的好印象を持たせたいのではないかと思う。好青年で、鞭を受け入れ耐える精神と肉体を持ち、自分の言うことを聞いて仕事をこなす能力がある逸材を女盗賊はなぜ手放したのだろう。
女盗賊は何でも持っていた。家。美貌。従者。子分。馬。力。金。今さらこの男が生活に参加したからといって、QOLには大きな影響はなかった。しかし彼女は男に目をつけ、わざわざ呼び寄せ、自分を性的に解放し、鞭で打って愛し、仕事にも関わらせた。

彼女は終始男にやさしい。最後までずっとやさしかった。男だって、見てはいけないものを見たとか、仕事を失敗したとか、フラグとなるようなことは何もしなかった。
別れのきっかけとなる決定的な出来事が何なのかこの物語の中では分からない。分からないが、男は何らかの理由で見初められ、何らかの理由で捨てられた。どこに女盗賊の「選別」があったのだろう。


多分、今までにこの物語を読んだ全ての人が「なぜ、なぜ鞭なんだ」と思ったことだろう。結婚に伴い無理難題をふっかけることが婚姻譚の定石とはいえ、鞭で打つというケースは珍しい。
私は、この鞭打ちが「第一の選別」だったのではないかと思う。盗賊になるための単なる適性試験と考えることもできるが、そうではなく、女盗賊から自分に向けられた強いベクトルを受け入れる魂の強靭さがあるかどうかを問う試練だったのではないか。(あるいはもっと飾らずに、趣味嗜好が合うかどうかのチェックだったかもしれない。)
男は「女盗賊→男」という力の流れを受け入れた。女盗賊は喜び、二人の絆はより強くなった。そして仕事に参加させるほどの信頼関係が構築された。
この鞭のシーンは起承転結の【承】に当たる。この時点ではまだ、これから二人の関係が良くなっていく予兆があった。

では、【承】の次の【転】はどこにあるのだろう。
転というにはひっそりと、第二の選別は行われていた。それを乗り越えられず男は妻を失った。
女盗賊が塞ぎこみ、泣いている。そのシーンこそが第二の選別だったのではないか。
「お別れすることになるかもしれない」と言った時、男は妻の悲しみを追求しなかった。彼女が泣いて話したとき、真剣に取り合わなかった。瑣末なこと、気の迷いと捉えて出かけてしまった。これこそが彼の失敗ではないか。

女盗賊が泣いたシーンに限らず、劇中、男はほぼ思考をしていない。彼は呼ばれるままに来た。誘われるまま寝室へ入り、「生かすも殺すもお前次第」と鞭と介抱に身を任せる。指示された通り仕事を遂行し、疑問を持たない。妻が別れを示唆しても深く考えない。もともと盗賊を生業としていた訳ではないのに、一人になってからも以前の名残りで何となく盗みを繰り返す。妻がいなくなってもなお、彼女から受けた影響を引きずっている。
《人に知られざる女盗人の語》にインスピレーションを得て書かれたという芥川龍之介の「偸盗」では美貌の女盗賊:沙金がその魅力で翻弄した兄弟に殺されるが、イメージソースとなったこの男は、そんなことは発想さえしない。世界に対してどこまでも受動的である。

それにしてもなぜ男は別れの匂いに気づかなかったのだろう。
彼は考えなかった。自分のちょっとした選択によって「まさか」そんな悲しいことが起こるなんて思わなかった。しかしどちらかというと、これまでに起きた出来事の方がよほど「まさか」っぽい。今までの現実離れしたストーリーを思うと、不条理な別れくらいポンと発生しそうな気がする。それなのに油断してしまった。
彼にとってこの「非日常」は既に日常になっていて、そこでは平和な日々が続くはずだった。その日常は、全て女盗賊が生み出したものである。


女盗賊はただひたすらに能動的だ。
彼女は何にでもなれる。人間と物の怪。善良な市民、大勢を束ねる盗賊の頭領。普段の女性の姿と、烏帽子と袴を身に着けた男性の姿。鞭を持って攻撃する者と、介抱し癒す者。幸福をもたらす者。はたまた不幸にする女。尽くす者と使う者。与える者と奪う者。彼女はそのどれでもあった。
ただし、彼女が1つだけなれなかったものがある。それは「パッシブな存在」だ。
彼女が動かなければ、話が進展しない。彼女が呼びかけなければ、男との関係も進展しない。二人の世界は全て女盗賊のアクションによって生まれている。彼女は自分の意思でこれらの様々なキャラクターを選び、様々な立場で夫に働きかけ、関係を構築した。そして最後にはそのどれでもなくなった。
女盗賊は自分と同じか、それ以上にラディカルで、アクティブで、ポジティブで、アグレッシブな人間を探していたのではないか、と私は思います。彼女は自分に対して要求し、不満を言い、注意し、攻撃し合い、お互いに高め合える相棒を探していたのではないか。自分が作用する力と同じくらい強いベクトルで自分に作用し返してくれる存在を探していたのではないか。第一の選別の最適解は「女盗賊→男」だったが、第二の選別の最適解はその逆ーー「男→女盗賊」だったのではないか。
彼女は不条理な別れをちらつかせ、夫がどう行動するかを試していた。男は行動しなかった。彼女が能動的に作り出す非日常が男にとっての日常になった瞬間、彼女は姿を消した。


「連れられるままに知らない場所へ行き、最後に放り出される」という点でこの物語は浦島太郎に似ているが、男は最後に大きく不幸になるようなこともない。捕まりはしたが、命に関わるほど恐ろしい目に遭うことはない。
それは女盗賊が男に危害を加えるつもりがないからだ。彼女は夫を憎んでいない。だって、それなりに愛があった。この男なら愛せそうだった。その愛を育てていきたい、できれば一緒にいたいと思っていた。それなのに、だめだったのだ。

「この人となら高め合えるかもしれない」「ずっと一緒にいられるかもしれない」と思った相手が、実際にはそうでなかったというのは、ただひたすらに悲しい。二人はどうすれば末永く幸せに暮らせたのだろう。
もしも、女盗賊が泣いて見せたときに、男がもっと追求していたら。
「泣いているのが気になるから」と外出をやめておけば。
「この家、何か不思議なことばかり起こるけどどうなってんの?」「あの時、なぜ自分を呼んだの?」と聞いていれば。

こう書くと、男だけが選択を誤ったかのように思える。だけど男は、ほんとうに何も考えてなかったのだろうか?確かにかなりぼんやりしていたかもしれない。だけど心の底から、魂のすみずみまで、妻のことを何一つ考えていなかったのだと証明することもできないですね。

いつか二人がまた出会うことが出来ればいいと、私は祈っている。ほんの少しの違いで、これまでと違う関係を築くことができるかもしれない。
例えば―――――もしまた出会えたら、今度は自分が鞭をふるってみてもいいのかもしれない。やっぱり向いてないかもしれないけど。やってみたことがないから、分からないんだけど。入門編として、SMバーのイベントナイトに今度一緒に行ってくれないか。