虫の譜|オオカマキリ Tenodera aridifolia

虫の譜

オオカマキリ Tenodera aridifolia

私が小学生の頃、つまり今から20年ほど前には、大阪市のはずれの平野区にはあちこちに空き地があった。「道路予定地」とか「建設予定地」といった看板が貼り付けられた、子どもの背丈ぐらいの緑色のフェンスで囲まれた草ぼうぼうの原っぱだ。そこで虫捕りをするのが、夏の夕暮れのお決まりの過ごし方だった。

似たような空き地でも、そこに見られる生き物の「相」はそれぞれに異なっていた。ここはオンブバッタばっかり、ここにはヒロバネカンタンがいる、こっちはやけにクモが多い、あそこにはシバスズとマダラスズが湧いていて落ち葉の合間から面白いように跳ねて出る、等々。それらは毎日の虫捕りの経験から、ごく自然に頭に入っていた。今思えばそれはとても興味深いフィールドワークで、もしきちんと自由研究にでもまとめるということをそこで経験していれば、その後の進路はまた別なものになっていたかもしれなかった。

その生物相に従って、幼い私の頭の中にははっきりとした空き地の「ランク付け」があった。そして、そのランキングの上位に入るための絶対条件は「カマキリがいる」ということだった。
それは単に私がカマキリという虫を大好きだったということにもよるけれど、それだけではない。空地の虫たちの中で最上位の捕食者であるカマキリが生きていけるということは、それだけその空き地が豊かであるということを示している。カマキリがいる空き地は他の虫の顔ぶれも魅力的で、逆にいない空き地にはいつまで経ってもカマキリは来ず、他の虫も層が薄かった。

採ってきたカマキリは、共喰いしないよう幾つもの虫かごに分けて飼っていた。毎日空き地へ行くのだからエサの虫には事欠かないし、仮に数日間虫捕りをサボったとしても、その時には父が会社の倉庫の裏手の広大な空き地で網を振るって雑多な虫たちを採ってきてくれる。自分で捕っていると「これは興味ないや」と逃がしてしまう虫でも父は区別なくビニール袋に入れるから、その言わば「エサ虫ミックス」の中身は実に多様で新鮮で、少し大袈裟に言うと異国の虫たちを見るかのようなワクワク感があった。エサだけでなく、時には大きなカマキリを持ち帰ってくれることもあった。

平野の空き地は、私が中学生になって虫捕りから遠ざかるのと時を同じくして、ポツリポツリと姿を消していった。あるものは真新しいアスファルトの道路になり、またあるものは大きなマンションになった。
もはや虫捕りには似つかわしくない学ラン姿でそれらを眺めていた微妙な気持ちは、今でもよく思い出せる。あのバッタたちの卵は永遠にアスファルトの下やなとか、あそこはカマキリが多くていい空き地やったけどなとか、そういったことを別段悲しむでも憤るでもなく淡々と思った。「もう自分は子どもじゃないんだから空き地で虫捕りでもないだろう」というその年頃らしいシニカルな態度は、親を少し疎ましく思う気持ちと同じで、それまでの自分の大切なものをいったん否定してみることで大人になろうとする心の働きにすぎない。すっかり大人になった今では、父と一緒に行った虫捕りのことも、母が一緒に虫の世話を楽しんでくれたことも、絶対に揺らぐことのない私自身の大切な核として心の中にある。