結婚について

第2期(2012年4月-5月)

結婚というのは素晴らしい。
好きな女の子とずっと一緒にいられるから。
世界が認めてくれる。
「君たちは家族だよ」と。

誰かと会うとき、
僕は照れながら、でも誇らしく、
となりにいる妻を「妻です」と紹介する。

僕たちが結婚式を挙げたのは、
妻の故郷にある小さな教会で、
イタリア人の神父様がいた。
妻は幼い頃にそこで洗礼を受けていた。

結婚するまでの数ヶ月間、
僕らは毎月教会に通って「勉強会」をした。
神父様からマンツーマンで、
結婚とはどういうものか、夫婦はどうあるべきか、
などなどを教わるのだ。
僕はクリスチャンではないけれど、
カトリックの神父様に結婚式をお願いする場合、
こういう勉強を経てからでないと、
神父様は結婚を承認してくれないのだ。
そういう仕組みはすごく正しいなと思ったし、
古い建物の小部屋で難しい話を聞くのは、
中学校か高校に戻ったみたいで懐かしかった。
何より神父様に会うのが楽しかった。
神父様はイタリア人らしくとても陽気で、
細かいことを気にしない方だった。

毎回「勉強会」が終わると、
次はいつお会いするか約束してから別れるのだけど、
翌月、約束の日に教会に行くと
神父様は心底驚いて、
「今日ダッケ…」みたいな顔をするからおかしかった。
そして少し考えてから、
「今日デモ、ダイジョウブデスヨ」と言うのだ。
神父様は僕らを勉強部屋に招き入れると、
いつも濃くておいしいエスプレッソを淹れてくれた。

時折、妻と「あの時何を教わったっけ?」
と話すけれど、僕らはほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、神父様のあの驚いた顔とか、
いつも淹れてくれたエスプレッソの味とか、
ミサに集まっていたフィリピンのひとたちの笑顔とか、
教会の灰皿がきれいだったとか、そんなようなことだ。

僕らはラジオやテレビで「イタリア」という単語を聞くたびに、
あの神父様のことを思い出す。そして目を合わせて笑い合う。
そんな時、神父様が僕らにくださったのは、
難しい教えではなくて、
共通の思い出なんじゃないかと、
思ったりもする。

神父様は毎年、
僕らの結婚記念日に手紙を送ってくれる。
今年の3月にもお祝いの言葉をくださった。

けれど、5月にまた神父様から手紙が来た。
誰かの結婚記念日と間違えていたみたいだった。
僕らはそれを見て笑った。