キチヌ Acanthopagrus latus

第3期(2012年6月-7月)

キチヌ Acanthopagrus latus

動物でも植物でも、長く生きて年老いた生き物の身体にはその流れた時間のぶんだけの傷やいびつさが刻まれている。そこにはやっぱり凄みがある。一方で、若くて無駄のない曲線には緊張感が満ちて美しい。図鑑はたいてい、生き物に流れるそうした時間を削ぎ落とした姿を描いている(それが目的だから)けれど、実際に手に触れ、目の当たりにする生き物の姿にはちゃんと時間が流れている。

若いキチヌは、整然と並んで銀白色に照り返す大きめの鱗と、活き活きと立ち上がる背びれがとても美しい。口先はすっと尖って、人間でたとえるなら少し前歯の見える、愛嬌のある甘い顔の印象。近い仲間のクロダイより色も形も華やかで、たとえ手のひらほどの大きさでもいかにもタイらしい堂々としたなりをしている。

年老いたキチヌには、とある工場の敷地内での夜釣りで出会った。顔つきまでがぎょっとするような、そこまでの大物ではなかったけれど、数年の間この海の中で文字どおり荒波に揉まれてきたことが窺える姿だった。ひれには裂け目が入って、太い棘はでこぼこといびつになっていたし、鱗は少し並びが乱れて不規則に光を反射している。家に帰ってさばいた身には、ところどころに赤黒い塊のようなものが埋まっていた。それはそのキチヌではない別の生き物が、体内に巣食っていた痕跡なのだと後で知った。

時間の積み重なった姿に畏敬のような気持ちを抱くのは、自分自身の命とその過ごしてきた時間に対して感じているのと同じ重みが、他の命にも確かにあることを思い知るからだと思う。
さばいたキチヌは母に教えてもらってソテーにしたけれど、長年続いた一尾の魚の時間をそこで断ち切ってしまったという気持ちがどこかにひっかかって、そのときに限ってはあまり大物を喜ぶ気になれなかった。