ボラ Mugil cephalus

第3期(2012年6月-7月)

ボラ Mugil cephalus

海の魚と、川や池の魚は、とても大雑把に言うと持っている雰囲気が違う。海の魚は動的で、明るくて、鋭い。対して、川や池の魚は静的で、薄暗くて、鈍い。タイやアジやサバはいかにも鱗をきらめかせて荒波をくぐり抜けていそうだけれど、コイやフナやナマズは淀んだ水の中で頭を振って澱を巻き上げていそうな気がする。

淡水の魚、中でも特に大きくなるコイやナマズには、海の魚にはない独特の迫力がある。
墨色の分厚いひれや大きな鱗、鈍い曲線で描かれる太くて丸い頭、胴。その姿を見ているとなぜか人間に近いような生々しさを感じる。コイやナマズを料理したことがないからわからないけれど、かれらの身に包丁を入れることは想像の中ですら少し躊躇われる。

昔ばなしに登場する不気味な「ぬし」がたいてい淡水の魚たちなのも、かれらの人間っぽい生々しさのせいかもしれない。村人が川に毒を投げ込んで魚を根こそぎ獲ろうとしていると、何やら見慣れない訪問者がやめるよう忠告しにくる。忠告を無視して毒流しの漁をした村人が、毒にやられて浮かんできた魚たちの中でもとびきりの大物(伝説の残る地方によって、イワナであったりウナギであったり)に喜んでその腹をさばいてみると、さっきの気味悪い訪問者が食べたはずの料理がこぼれ出る―この「ぬし」の後味の悪い人間ぽさ。まさに、淡水魚(それも、大きな)だけが持っている重々しさだ。

ようやく本題のボラだけれど、ボラは海の魚にしては淡水魚じみた迫力を色濃く醸している。そもそもが海と川の混じり合う汽水域の魚であるからかもしれない。こん棒のように丸くて硬い頭や、鈍く濁った大きな鱗に包まれた太い胴体。小物狙いのサビキ釣りにいきなり40センチ以上のボラがかかることがたまにあったけれど、大物として喜んだことは一度もなかった。釣り上げられた後の少し緩慢で重たい跳ね方と、硬い鱗がコンクリートに擦れる音が、どちらかというとできるだけ早く針を外して逃がしてしまいたくなるような感じだった。それは波止周りのボラは臭くて食べられたものじゃない、という思い込みのせいだけではなくて、何か川や池の魚と同じような妙に重い生々しさのせいだったかもしれないと今になって思う。