一週間と、昨日のこと。

第5期(2012年10月-11月)

こんばんは。浅田です。

今日は、ちょっと、急遽予定外の話です。
これまで三回も、読んでいただいていたらお解りかと思いますが、予定外もなにもないだろうと言われたらそうなのですが。
いや、でも、予定外なんです。

久しぶりに、すごく心の関節が柔軟で、自然と涙が出そうなくらいの幾つかの感動を、ついさっきしてきました。

そう。ついさっきのことを書きます。

僕はこの一週間、ちょうどあるところで自分のつくったものを展示させていただいていました。
納得がいった部分、いかなかった部分、次回への課題、また今度やってみたいと思えた事、
今回の制作を通じて思った事、色々ありました。
出し切ったようで、でも、なんだかもやっとしたものがずっとひっかかっていて、会場に足を運び、
自分のつくったものを見る度に、ものとして良いとか悪いとかそれとはまた違うもやっとしたものを見ている気分でした。
完全に納得出来ているわけではないにせよ、作りたいものが作れた、とは思っていたのに、何故こんなに
すっきりしないのか解りませんでした。
でも、そのもやもやの正体が、思っていた部分じゃない部分から、ぽとっと落っこちてきたのでした。

今日は同じ分野で活動をされているお知り合いのKさんの個展を見せていただいて来ました。
とても楽しみに行ってきましたが、想像以上に素晴らしく、
以前拝見したことのあるものも含まれましたが、本当に感動しました。
僕は傍目にもよく分かるほど嬉しくてたまらず、歓声をあげていました。

同じ分野であるが故、「つくる」という行動の行程はほぼ変わらない筈です。
けれど、その作業の美しさに、久しぶりに自分の全身がざわざわと喜んでいるのを聴きました。
嬉しくって嬉しくって、お酒でも飲みたいくらい嬉しくって。

僕は展示を見る、ということが同じ分野にせよ違う分野にせよ、基本的に好きです。

けれど、自分も今、取り組んでいる分野に関してはなおのこと。
県をまたいででも、見たいものは見に行ってしまいます。

素晴らしい展示を見ると、いい意味で気持ちに抑制が効かなくなります。
それこそ、今日と同じで、嬉しくって嬉しくって嬉しくって、というように、
ボキャブラリーもくそもなく、満面の笑みで馬鹿みたいに幸せそうな浮かれポンチになります。
ノンアルコールで酔っぱらい並です。
素晴らしい展示を見ることが出来た喜びというのは、
好きな人と両思いになれたのとそう変わらないくらい、本当に、いや、本っ当に嬉しいんです。
どっちかというと、瞬間的にはそれより嬉しいかもしれません。
先の心配、というやつがなく、こうしてひとりでにやにやしながら
「あーーーーーーーーー、っ!」と、いつまで喜んでいても自由ですから。
こうして書いてしまう事をしなければ、「あいつ馬鹿だろ」と後ろ指を指されることもなかったはずです。
心の中の針が、メーターをふりきってしまう幸せを、誰かの展示で年に何度か、何度も味わわせて頂いています。
本当に、勝手ながらとてもとてもありがたいです。

逆に、あまり良いとは思えない、を超えてよくない展示を見たときは、
病気にでもなったかというくらい心身ががっかりします。
ふらりと通り道に立ち寄ってもそうだし、そこそこ期待してわざわざ足を運んでいった場合なおのことです。
もう、勝手な話ですが、やり場のない苛々の処理に手を焼きます。
全身力が抜けてしまい、悲しい気持ちになります。
テンションだださがり、ってやつです。心の底から気分が塞ぎます。
こっちも残念なことに年に何度かあります。
本当に、勝手ながらどうにもこうにも悲しいです。

今日はKさんのお陰で、本当に幸せな気分になりました。
何、というとうまく言えないのですが、自分もやっているこの分野を

「そう、僕はこれが好きなんだ!!!!!!!!!!!」

と、全身が反応しているその事が幸福でした。

今回つくる、という行程において、真面目に、誠実にやろう、目標を持とう、自分の作りたいものを作ろう、
独りよがりにならないように客観視しよう、様々な「こうしたい」が沢山あって、これを極力やる為には、
心よりも頭を使ってしまったようです。
これもまた、なんという独りよがり。
未熟者が故、「つい」なってしまうのは不安です。
その解消に、そればかりでは仕方ないという言語的な武装を結局はしてしまっていて、
考えなしではないというちっぽけな安心感に縋ってしまった部分もあるのだと思います。
必要ないとは思わないし、寧ろ構想を練るようなことは必要だと思うのですが、
身体を動かすよりも、机に向かっている時間が長すぎてしまった気がします。
ちいさな企みを温める感じの事が、きっと本当はやりたいのに、
企みというには良くない意味で細かくて、そのくせ硬くて穴が多い。

作るということの中で企む、というのは、小さくイヒヒ、と、自分が
どこかこっそり楽しめるところがないといけないと思います。
今回、楽しんでいるよりも、苦しんでいる時間ばかり長かった。
つくるのが苦しいのは自分にとっていつもなのですが、今回は特に楽しめていなかった。
「したいことをする」に、楽しむ、を入れてなかったんです。余裕がなかったというか。
どんなに苦しくったっていいから、やりたいことがやりたい。
にしても、じゃあ、そこにあるやりたいことって何なんだ。

それが今回のもやもやの正体だったように思います。
自分は未熟故、という気持ちで、「やりたい」をやるより、「できる」を増やしたかったのだと。
これこそがまた未熟者でしかないのがよくよく解りました。
勉強になった部分は沢山あるし、後悔はしていませんが、同じ過ちは繰り返したくない。

今回Kさんの素晴らしい展示で、自分がその会場の空間に立っているだけで、
こんなに満ちあふれるような「好き」という気持ちになったこと。
自分のつくったものに、その力が欠片もなかったように思うこと。
まだ、Kさんのような個展は自分には難しいとは思います。
けれどいつかは、自分がそう感じられる個展を、自分もやってみたい。
空を見上げるでも、街を見下ろすでも、遠くを臨むように宛てのないおおらかな気持ちでやるように、
けれど強い意志でもってそれをやるように。
そういう取り組み方をしてゆけたらいい、と、そう思ったのでした。

この頃、寒くなってきて、夜空が夏の頃より澄んで見えます。
Kさんの個展の帰り道、久方ぶりに冬の気配のある夜空の星を見て、
「そう、これだ。」と思いました。
好きで、愛しているに違いないと思っているものも、実体として目の前にあって、
これまでの好きだという記憶を含めて、何度でも繰り返し好きだと身体で感じること。
どんなにか好きでたまらないと思っているものでも、時々であっても、少し強制的に
外側からそれを感じるようなことは必要なのだと思いました。
自分の内にあるものばかりだと僕の場合、どんなに好きでも、レコードの音溝の磨耗や、
ビデオテープの伸びなんかみたいな事が起こってしまうように思います。
自身が愛するものを身体に響かせる心地よさを、思い出させてくれた二つに心より感謝を。

Kさんの個展はこの記事が公開される日時を考えると、少しぎりぎりすぎるのでご紹介できませんが、
またいつか機会があれば。
長くなってしまったので今日はこのあたりで。
朝になったので、さっきのことは昨日のことになりました。

そういうわけで、一週間と、昨日のこと。