緑の街。

第5期(2012年10月-11月)

あじさいを好きだと気づいたこの夏。
詳しいわけでもなく、ただ好きで。
この秋に撮ったあじさいが、
枯れてるというより、咲いてる途中、
まだこれから咲き誇るのではないかと。
そう思えた実家の脇に咲く、あじさい。

彼岸花。
娘と一緒に自宅のそばのお寺に行った時に。
彼岸花。
学校の帰り道に川の土手にたくさん咲いていた。
娘もこの秋、一本道の通学路で川の向こうにこの赤い花を感じながら、
学校に通っていたのだろう。

実家の庭で父が育てている、ミニ薔薇。
父が花を育てるようになったのは、定年間近の頃だった。
私は既に家を離れて暮らしていた。
たまに実家に帰ると、趣味は釣りとパチンコだった父が、
庭の土をいじり、花や野菜を育て始めていた。
しかも庭の一角には、祖母が生きてる頃最後までやっていた、
小さなプレハブのお米屋さんが数年前まであった。
お米屋さんは、祖母が若い頃本通りの商店街にあり、その二階に祖母は暮らしていた。
両親が自宅を建て直す際に同居することを決め、一緒に暮らし始めた祖母は、
それでもしばらくは、自宅から徒歩10分の距離を歩いて本通りまで通っていた。
途中からしんどくなったのか、ある日突然庭に小さなお米屋さんができた。
祖母が亡くなってからは、その小さなお米屋さんも取り壊され、父の庭は広がった。
季節毎に違う花が咲き、野菜や果物が豊富に採れる、庭。
花も木も増え、父の手を加える範囲も広がり、
それに比例して、父は多くの時間植物たちに手をかけるようになった。
父がしゃがんでいる後ろ姿を、実家に行く度に見かけるようになった。
今このミニ薔薇は、裏の勝手口のそばにちょこんと咲いており、
私たちを迎えてくれる。

山。
自宅の目の前にある。
小学一年生の頃、私はよく実家の近くにあった山に遊びに行っていた。
ハクガンジと呼ばれていた。
私たち子供も大人も、そう呼んでいたのだが、
実際は白岩寺と書き、そのお寺は山の中腹にある。
お寺には代々伝わる、幽霊掛け軸というものがあり、
それを見せてもらったことがあると思うが、はっきりとは思い出せない。
お寺よりも、その山に登ることが遊びであり、冒険だった。
低学年の子供でも確か20分くらいあれば頂上まで行けた。
学校の遠足などでも行った、頂上は公園になっている。
が、小さかった頃の私たちはそんなふうに整備された部分ではなく、
そこからまた向こう側へ下っていったところにある、
実際に防空壕があったと言われる場所や、誰も通らないだろう山の部分に興味があった。
そんな探検遊びを終えて帰る時のこと(確か土曜のお昼)。
山から降りるでこぼこの道をみんなで一斉に駆け下り出した。
走るのに自信があった私は誰にも負けない気持ちで、一番に飛び出した。
勢いよく、風をきり、気持ちよかった。
が、途中で自分のカラダが宙に浮き、次の瞬間地面に突っ伏していた。
ただ、転んだだけなのだが、下り坂での転倒は勢いが増す。それだけのスピードも出ていたし。
思いきり打った。胸のあたり。
胸と地面との間にぶら下げていた水筒が挟まれ、それがよかったのかどうかもわからない。
痛くて、立ち上がれなかった。
あとから駆け寄ってきた友人たちが心配して、私を囲んでいたところへ、
ひとりの男性が現れた。青年というべきか。
その青年が山から私を背負い、自宅まで送り届けてくれた。
実に、おんぶで徒歩30分くらいだっただろう。
自宅では安静にしていただけで、特に外傷もなく数日もすれば痛みも消えた。
それでも、あの青年が通りかからなかったら、私はどうなってたんだろうな。
今でもなんとなくだが、助けてくれたその青年の顔は思い出せる。
はっきりとではないけれど、その人のもつ雰囲気など。
山にまつわる一番古い記憶。

久しぶりに撮ったフィルムには、
撮った時に意識していたのか覚えていないのだが、
たくさんの緑がそこに写っていた。