マーブルの優しさ

第8期(2013年4月-5月)

マーブルは人生の優しい味がする。

子供のころ、お菓子といえばプレーンやチョコレート味なんかが主だった。
ところがあるとき突然マーブルという種類のものが登場した。(最近はあんまりみないけど)
僕はそのマーブルという食べ物にそれはとてもとても驚いたのである。
こんな食べ方があるのかと。
プレーンとチョコレートの部分がきちんと混ざり合ってなくて、
ある部分はプレーンで、ある部分はチョコレートというなんとも中途半端な食べ物だった。
初めの頃はなんて適当な食べ物なんだと思っていたのだけど、
慣れていくうちにマーブルの魅力にとりつかれた。
ある時は、プレーンの部分やチョコレートの部分を別々に食べたり、
またある時は、両方を口に入れて口の中でその混ざり合いを楽しんだ。

もちろんプレーンとチョコレートがはじめからきちんと混ざり合ったお菓子もある。
でもそれはどこから食べてもどんな風にかじっても、
プレーンとチョコレート半分々々の均質な食べ物でしかない。
でも、混ざり合っていないマーブルの状態なら、
口にいれるタイミングやひとくちの大きさによってそのバリエーションは変幻自在になる。
その混ざり合い具合は再現性がないゆえに、
いつでも新鮮で真摯に楽しめるのだ。

ものごとをあるかなしかで考えるのは簡単だけど、
プレーンはプレーンでしかなく、チョコレートはチョコレートでしかないような、
そんな単純なふたつの原理で世界はできているのではない。
むしろ殆どはあるかなしかなんか霞んで見えなくなるほどに、
あるかなしか以外のものでできている。
人の気持ちも、考え方も、感じ方も、
どちらか両極だけで語れることなんてない。
さらに、だからと言ってその両極を混ぜ合わせて均質にしたものでもなく、
永遠に割り切れない無限のバリエーションでできている。

生きることについてマーブルは僕に少しだけ教えてくれる。
僕だっていつかは死んで、ほっておいたら原子レベルまで朽ち果ててチリになり、
しまいには宇宙と混ざり合って均質になっていくのだ。
でも、別にいまからそんなに焦る必要はないではないか。
ずっと均質でいるよりも、
混ざり合っていないマーブルの部分を大事にとっておきながら、
混ざり合う具合を自分なりに調合して右往左往して悩んで彷徨う方が楽しい。
ひょっとしたらどこが正解かなんてことも分からないかもしれない。
でもそれが、文学でありアートであり人生なのだと。
そしてそれはずっとずっと続いていくのだと。

生きていく上でなにか大事なものを食べているような舌触り。
マーブルはいつもその感覚を思い出させてくれる。