所在のありか

第8期(2013年4月-5月)

去年の夏、引っ越しをした。

理由は家族が増えたことや仕事場が変わったというよくあることだったのだけど、
とにかく3年半近く住んだ部屋から引っ越しをした。

ひとところにある程度長いこと身をおいていると、
そこはいつの間にか自分にとって心と体を安心して預けられる、
頼りのある居場所になってくる。
部屋そのものもそうだけど、周りの風景や町のしきたりなんかも
だいたい自分の見知っているものとして馴染んでくる。

だけど、引っ越しをしようと決めた途端に、
住み慣れた部屋は急によそよそしくなり、
次の部屋に馴染むようになるまでの間、
今まであたりまえのように存在していた頼りが、
一旦ふわりと宙に浮いてしまうのだ。

この感覚は何かに似ていると思った。

「旅」の定義を「所在のない」状態と書いたのは誰だったか。
引っ越しは、そんな「所在のない」旅に似ているんじゃないかと思う。
旅先での、どこへいってもどこに泊まっても自分の場所感がなく、
だからこそ目にするすべてをただ純粋に楽しめる感じ。
あれに似ている。

去年の夏、僕ら家族はダンボールに荷物を詰めたり、
新しいアパートの暑い部屋に寝転んだりしながら、
3人でふらふら旅をしていたのではなかったか。
どっちを向いてもどこか他人行儀な世界で、
「所在のない」旅をしていたのではなかったか。

でも、そんな「所在のなさ」の賞味期限は儚く、
「所在」は僕らが気付かないうちにしっかりと重みを持つようになった。
あれから半年たつ今、
もうその「所在のなさ」をきちんと思い出すことができない。
僕らのまわりにはきちんと「所在」が形づくられてしまっている。

最近はただ、その時に撮った写真を見返しながら、
家族3人で旅行していたことみたいに思い出すのである。
去年のあの夏の引っ越しのことを、
妻と娘との初の家族旅行だったのかもしれなかったなと思い出すのである。