夏を走る

第9期(2013年6月-7月)

 自転車のペダル、漕ぎに漕いでる。
 あっつい。ゆるい上り坂、長い。進んでも進んでもいつまでも今日だし。今日が直射日光でずっと当たる。影はアスファルトの上を滑って。ああもう汗が切れない。

 並んで走ってるあいつの影は余裕の走行でむかつくわ。わたしの影だけ、おもちゃみたいに上下動して、しかも立ち漕ぎ。チャリか。チャリのせいか。
「身長だな」
 うるせ。むかつくわ、あいつ。座高高いくせに。河川敷に出たら置き去りにしてやる。ペダルに全体重。ペダルに全体重。

 影は定位置で回転と上下動。流れるアスファルトの上に、空転する汽車の車輪。頑なな日時計の針。今日は毎日。毎日今日だから、出来事で焦げる。ああもう、汗が切れない。

 
 ゆるい坂を上り切って曲がり、河川敷までの直線道路へ入る。加速する風景の流れ。錆びたバス停の標識。シャッターの閉まった書店。バラ線の張られた空き地。あいだに見える鉄塔の先端。交差した飛行機雲の高度。
 ここで思い出になるものは、決してその場へは落ちないんだ。

 川を目前にした交差点の赤信号で停まり、振り向いてあいつを見たら、胸ポケットから取り出したシャボン玉を吹きはじめた。なにそれ。いつそれ。
「昨日買った」
 なんだよ、貸せよ。ちょっと、無視かよ。すーっと吹き出される小さめのシャボン玉がたくさん、風にのって横断歩道を渡っていく。

 青、でダッシュ。見たか、勝負師の本領とかそういうの発揮。
 これが思い出になったって、それは場所へは残らない。個々に持ち歩く思い出は、かじってみてもさみしい風味なんだろうけど。

 河川敷のサイクリングロードへ入る道で、かんぺきに先を取った。背中のほうで聞こえる「ちょっと待てよ」の声には、待つか馬鹿め、と呼びかける。ペダルを踏んで、ペダルを踏んで、先行くもんねと呼び寄せて行く。

 
 川を渡ってくる風で、急に汗が引きそうになって、不安を加速に加える。汗は切らない。汗を切らない。
 日焼けしない影は、うしろに置いていく地面の上を滑って、わたしにぴったりとつく。いまは、行く夏を走る。いまだけ、行く夏にいられる。