色めがね。

第11期(2013年10月-11月)


たくさんの路地裏をみました。
あの人は、薄明かりの下の風景が好きでした。

以来、わたしは、
この薄暗い道を奥へと進んだところにも、
エネルギーがあるのだと思うようになりました。

たくさんの笑顔をみました。
その人は、街へ出ては人の顔ばかり撮るのでした。

美しい女性、美しい笑顔、化粧のはげた顔、怒った顔。
時々、体の一部がない人のポートレイト。

以来、わたしは、
笑顔の中にも時折奇妙さを見るようになりました。

テレビをみても、本を読んでも、
自分にはないフィルターを持った人を見つけては、世界が拡がるように感じました。

『増えゆく人口を表現しました。』

『雑音をあつめて音楽をつくりました。』

『ただの炭です。』

様々なバリエーションの女子高生の制服をあつめた部屋は、
社会を表しているのだそうでした。

この、人の顔ばかり撮る人がわたしに問いました。

『芸術って何だと思う?』

わたしは思いました。
それはあなたがしていることそのものだと。

それは意識を向けることではないのかと。

素通りしてきた景色を、何度も角度を変えて眺めては新たな発見をすること。

作品という形よりも、その個人的な活動を指すように思うのです。
そして、形はことば。

美術館へ行くのが愉しいのは、作品を鑑賞することのほかに、
様々なフィルターを持つ人たちのバリエーションを知ることができるからかもしれません。

理解できなくてもいい、誰の許可も必要としない、
それぞれに与えられた独特の世界の見方。

そこに自分も点在していてよいのだな、と、
作品たちは無言でただ自分であることだけでわたしを元気づけてくれるようです。

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愛とは何かと考えるとき、わたしは同じことを思います。

人と出会うとき、出会いたかった人もこちらを向いてくれたとき、
うれしくて、すこしせつないような気持ちになります。

あなたと出会うまで、わたしはあなたの世界には存在していなかったのです。

人と関わるたび、誰かがわたしを認識するたびに、
どんどん存在していくような気がします。
関心は、養分になり得るのだな。

無視で人が死ぬように、植物が枯れるように。

与えすぎたら根腐りするかもしれないけれど。

芸術はものごとを存在させる活動。
わたしはそれを愛とも呼びます。

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2005年、アフリカゾウを朝から晩まで追って研究する
日本人女性のドキュメンタリー番組を観て。

インドゾウでも、サイやキリンでもなく。

百科事典をみた。
アザラシを研究したのは別の人だろう。

そして、この項目の多さ!付けられた名前の数々。
様々な方角へ向かう情熱で世界はできている。