36度8分。

第11期(2013年10月-11月)

わたしは感動しいで、それでよく疲れています。
共感はできなくても、いつも何かを持ち帰る。

世の中には、美し過ぎることが多くて困ってしまいます。
心地よさを通り越して、せつないくらい。

ああ、これはひどく感動するのだろうな、という予感があると、
見ずに逃げたくなってしまいます。

あまりに強い衝撃は、どぼんと胸に飛び込んで、
隕石が湖を一瞬で干上がらせてしまうみたいに、
わたしからたましいを溢れさせてしまうのです。

不快とさえ感じる感動は、
たましいが削がれるときの喪失感なのかも。

エネルギーみたいに飛び跳ねる漠然な想いを、
言葉で囲って、理解できる形にする。

もしも、ぴったりな言葉に翻訳できたなら、
水には「ウォーター」という名前があることを知った
ヘレン・ケラーのようにすっきりするのではないかと思います。

毎日のように、ちいさな感動から大きな感動まで、
ぽとん、どぼんと、わたしの胸の中にしぶきを上げて落ちてきます。
そのしぶきの中にはわたしがいて、
感動するたびに自分がちょっとずつ減ってゆくようでこわいのです。

どうすれば自分を損なうことなく感動できるだろう。
肥やしにできるように、ゆっくりあたたかく落ちてきてください。
わたしにもやわらかい身を守る甲殻類の鎧が必要でしょうか。

先週あたりからずっと、適温で感動する方法について考えています。

日本茶は60度、コーヒーは85度のお湯で淹れるのがおいしいそうです。

紅茶なら、沸かしたての湯。
お風呂なら40度。
体温は36度。

わたしにとっての心地よい温度、

隙間があって、すこし素っ気なくて、淡い色、
見ようと思ってはじめて目が合うような。
きーんと張りつめているけれど、あたたかみのあるもの、
左右対称ではない、素朴なもの。
そんなようなもの。

まだ淡い輪郭なので、
ときどき素っ気が無さ過ぎたり、
膨張して派手になったりするかもしれません。