お守り

第13期(2014年2月-3月)

母の財布には、祖母の証明写真が入っている。
なんてことのない、4cm✕3cmの緊張気味な祖母の写真。
「なんでその写真なの?」
なんて声をかけたこともあったけれど、
それは野暮な言葉だったかもなあ、と今は思う。

去年の秋、久々に母の故郷に足を運んだ。
そこは日本から8時間ほど飛行機に乗ったところにある。
年中真夏の熱い国。

祖母が亡くなるまでは毎年、夏は祖母の家が私の家で
日本で働く父に代わり、叔父が私の父だった。

叔父の財布の中には、
幼い頃の私と妹の写真がおさめられていて、
「ちょっと前まではこんなに小さかったのに!」などと
財布をぱたぱたさせながら よく茶化してきた。

お守り3
お守り2
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お守り5

久しぶりに再会した叔父は、変わらないお調子者の叔父で
少しだけ大人になった私に、あの財布の写真を見せてヘラヘラ笑った。

いつもなら「も〜!からかうなよ」とかなんとか言いながら、
ぼかぼか殴ったりするところだけれど、今回はただ静かに笑った。

もう何年も経っているのに、
変わらずその写真を持ち歩いている叔父の気持ちが嬉しくて、可愛らしく思えて。
そして、滅多に会いにいけないことが寂しくて、申し訳なく思えた。

お守り6

あの人たちの大切にしている写真がとても好きだ。

いつまで経っても入れ替えられることのない財布の写真も
真夏の光線にやられかけたアルバムも
壁に貼られた解像度ぎりぎりの携帯写真も
叔父のクローゼットにしまわれたインデックス写真も

なんてことのない写真なのに、特別に見えるのはとても不思議だ。
それでもとても惹かれるものがあった。

叔父も母も、特別写真が好きなわけではない。
ただ、そこにいる誰かが愛しいから、
撮ったり持ち歩いたり飾ったりする。

きっと
いい写真か、そうでもない写真か、
なんてことは二の次なのだと感じた。

祖母は私が写真を撮るようになる前に亡くなった。

もしも、もう少しはやく撮るようになっていたらなあ、
なんてことをどうしても、母の財布を覗く度に思うけれど。
多分そんな気持ちも、母には必要ないのだと思う。

母にとっては、
どんな素敵な記念写真だろうと
淡々とした証明写真だろうと、
どちらでも同じ。

それは
母国から離れて暮らす母にとってのお守りのひとつで、
写真の向こう側に見えるものは、ぼんやりとした祖母との記憶。
それがあれば、十二分に強くなれるのだと思う。

お守り

今日の日付を目にして思ったことは、
できるだけ多くの人に
そんなお守りのような何かがあれば良いなあということだ。