第13期(2014年2月-3月)

photoは「光の」 graph は「かかれた(もの)」

「つまりー、光によって描かれたもの、が写真ー、なんだよね。」

写真やカメラの小難しい説明の中から、これだけは突き抜けて聞こえてきた。

ぼーっと聞きながら、私が考えていたのは
言葉あそびのようなこと。

「ひかりによって」って、太陽なんかの「光」を指すのはもちろんだけれど。
自分の写真にかっちりとその言葉をはめるには、少し足りないような。

教科書にかいてある「光」だけでは、なんだか
自分のほしい写真は描けない気がしたのだ。

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あぶりだしたり、
皮をはいだり、
色を塗ることをやってみたいと思うより前に
やりたいと思っていたことがある。
それにいちばん適していたのが写真だった。

どんなことかというと、
ジグソーパズルをバラバラにして、
いくつかの袋に分けて、ひとりひとりにあずけておくようなこと。
それでもって、
いつの日か、「あのパズル、完成させてみよう」と
声をかけて集めるようなこと。

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私事ですが、数日後に大学を卒業します。

やり残したことはないか、と振り返り
この数週間で大量の写真を紙の形にした。
そしていくつか、友人に贈るためのアルバムを作った。
学生生活を何等分かにして振り分けた、すべて内容の異なるアルバム。

二日後、卒業証書と一緒に持って帰ってもらうつもりだ。

いつの日か、
集まれば集まっただけ「あの頃」が見えてくるアルバム。ジグソーパズルみたいな。

「あの日もらったアルバム持って集合ね。」

なんて連絡が来る日を楽しみにしているのだ。

とても単純で、ありきたりで、個人的な願い。

アルバム 開いて「あんなことあったね」「くだらないことしてたな」と
思い出し、懐かしむ時を誰かと過ごすということ。

写真なんてなくたって、十分に思い出話はできるけど
でも多分、あったほうが楽しい。

皆でテキトーに作った鍋を囲んで、思い出話をする。
「あの頃やり残したことやらないか?」なんて言って、
これからの楽しみをまた練れたら良い。
ヘラヘラ笑ったところをまた、撮ることができれば良い。

そんな願いを持って撮るのは、あまりにも普通すぎるだろうか?
そんな願いを持ってプリントするのは、あまりにも単純すぎるだろうか?
ここに記すには、あまりにも個人的すぎるのだろうか?

でも、きっとそれは大切なことだ。
そして、誰かにとっての「やり残していること」でもあるのではないだろうか。

写真を撮るために、撮るより
いつか見返す時を、もっと愛しい時間にするために残せたのなら
多分私は、自然と写真を撮り続けてしまうと思う。

私の手もとにある写真には、
私にとっての「光」にあたるような人たちが写っている。
姿が写っていなくても、確かにその美しい時を過ごした人がいる。
時々でもいいから、
これからも同じ時間を過ごせたらいいなあと思う、愛らしい人達がいる。
そんな人たちによって、私の写真は描かれている と思っている。

「フォトグラフとは、光によって 描かれたもの」

いい名前だなあ、と思う。

これを読む誰かの撮る1枚はどんな「光」で描かれているのだろうか。

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私が火曜日を担当するのは本日が最後です。

アパートメントを通してあぶりだすことができた世界は、
驚くことが多かったように思います。

桜を写した写真を
「うみの中にもぐって撮ったようにみえますね。」と言われた時と似た
驚きと羨ましさを
読んでくださった方の言葉から感じました。

私の写真や文章から
私には見えないであろう景色を、皆見ているのだなあ、と。
その景色を少し覗きこむことができたのは貴重な体験でした。
何より、毎回のコラムを一生懸命噛み砕いて、
それぞれの考えや思いに溶かしていただけたことがとても幸せに思えました。

自分の中の、一番遠い事柄から
グラデーションのようにしてだんだんと
お腹の真ん中へと近づけていき、本日にたどり着きました。

読み手の方にとって
どの地点の かみはらえみ が より面白い のか、求められているのか、
未熟な私にはまだ見極めることができません。

ですが、
全8回の写真と文章の中で、
少しでも心動く感覚を誰かに感じていただけたのであれば、
眠れない2ヶ月にも意味はあったなあ、と思えます。

読んでくださった皆様、
本当にありがとうございました。