湯気

第13期(2014年2月-3月)

湯気1
湯気2
湯気6湯気3
湯気5
湯気4

それは湯気だ。

熱を帯びた時間は姿を変えて、湯気になる。
熱ければ熱いほどたっぷりとそれは湧く。

視界をぼんやりとさせ、はっきりとは見えなくなる。
なんとなく、別世界に連れて来られた気分になる。

つくることは、その湯気をぐるぐる巻き取って1つものに見せること。
何かしらのストーリーを連想させること。フィクションでも、ノンフィクションでも。
自分や誰かの、目や肌や心にすーっと染みこませることができたなら、
こんな自分にも何かできるのかもしれない、と思える。

そうやって湯気はきちんとからだに染み渡っていき、
再びふつふつと熱くなって、私に力を与えてくれる。

さて、つい忘れがちになってしまうことをひとつ、きちんと思い出そう。

私にいちばん必要なものはその湯気の下にあるものだ。
ふつふつとした時間を過ごすことができなければ湯気はたたない。

種明かしをするようで、
それは無粋なことに感じられるのでしょうか?

自分の思いから切り離して、細かく切り刻む。
色を塗り替えて、表に出す。それ以上の野暮なことはしない。

でもそれは
自分自身で口を塞いで体をぐるぐる巻にして、身動きをとれなくするようなことに思える。
おしゃべりな私には、なかなかできない。

そこに思いや物語が存在するからこそ、写真を残すことが好きなのです。
撮ることが好きなのではなく、残すことが好きなのです。
だからあえて、種明かしをします。

湯気7
湯気8
湯気12湯気9
湯気11湯気10

1枚1枚それぞれに、熱を帯びた物語がこもっている。
湯気で覆われて別物に見えがちだけれど、はっきりと写った2枚目が我に返してくれる。

もともとの形を崩し、細かく刻んで、色を塗り替えても、
物語それぞれへの愛着を無視することはできない。

撮るために、熱い時を過ごすわけではない。
熱い時を過ごすから、残しておきたくなるのだ。私の場合は。

ここまで記してきたことは、これから記すことがあるからこそなのだ、と
きちんとここで予告しておこうと思います。