皮を剥ぐ

第13期(2014年2月-3月)

皮を剥ぐ2
皮を剥ぐ1
皮を剥ぐ3
皮を剥ぐ4
皮を剥ぐ5
皮をはぐ6
皮を剥ぐ7
皮を剥ぐ8

こだわりというものが少ない私でも、
時にどうしようもなく興味の湧くものを発見してしまったりする。

手の届く範囲に置いてしまったら最後、
きらきらと輝くお面をそっとはずして、衣を脱がせる。わりと強引に。
その下にある、薄く何層にも重なった皮を一枚ずつ剥いでいく。

本当はどんな姿をしているのか、
どんな形をしている?何種類くらいの形を持っている?
匂いはどうか、味はどうだろうか、手触りはどんなものか、
実はもっと気持ち悪い形をしているんじゃないの?
本当はもっと艶かしい姿をしているんじゃないの?
もっともっと、見てみたい、知ってみたい、

お面も衣も皮も剥がした後に目にしたもの。
それは、私が皮を剥がし続けた対象の芯になっている部分でも何でもなく、
私自身をすっぽりと、はっきりと写す「鏡」だ。

写っているのは素っ裸になった自分で、
剥がしていたのは自分の皮だった。

「そりゃあ、どうみたって鏡でしょう。」

“私しか知らない私”を、いくつかの写真を見ただけで
ぴたりと言い当てる人がいる。
その人がおっしゃるに、私の写真は明らかな「鏡派」であるそうだ。

「鏡派」というのは、
写真を鏡として自分の内面を探り、知ろうとしている写真。
そして、それに対するのが「窓派」の写真。
写真を窓として外側で起こっていることを知ろうとしている写真。
キュレーターのジョン・シャーカフスキーという人が
「Mirrors and Windows」で展示された写真を
そうやって2つに大きく分けたのだそうだ。

世界中で撮られた写真たちが、このたった2つしかないくくりに
ぴったりと当てはまるのかどうかは興味の範囲外であるけれど。
それでも自分の写真が鏡になっているということについては、なんとなく納得がいく気がする。

そして、その鏡が本当に私の内面を写してしまっているのだとしたら、
写真を見せるという行為はなんと面白く、なんと恐ろしいことなのだろう。

皮を剥ぐ9