地を這うイカロス

第15期(2014年6月-7月)

覚えているのは14の夏、昼寝から目覚めた瞬間のこと。いまここで命を絶って、彼岸に渡らねばならない。衝動というよりも確信に満ちた思いで縊死の準備をしている最中に母が帰ってきて、その試みは頓挫しました。

以来つかずはなれず寄り添う希死念慮と共に生きてきました。
4年前を境にたもとを分かち、もうまみえることはないだろうと思っていたそれが、この春ふたたびわたしの元に帰ってきました。
今、それはだいぶ小さく丸くなって、わたしの傍らに眠っています。

4年前。フープに出会って、自分がしがみつきたいと思えるものを見つけて2年半が経ち、さらにそれを生業とするようになって5ヶ月ほどのこと。
わたしはため込んでいた300錠を超える大量の向精神薬を一度に服用しました。
当時の記録を見ると、こんな風に書いてあります。

「絶対量としては足りないので、嘔吐窒息を期待したのだが
途中で徘徊し昏倒し何かにぶつかったらしく、
発見時には顔面血塗れの無意識だったそうだ。」(2010年05月05日)

発見したパートナーの心中を思うと、その怒りや混乱たるや察するに余りあるものがあります。

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当時細々とつけていた記録をたぐってみました。

大量服薬の前年の春です。

「今までも一等大事な位置に自分は居なかったのだから
自分の為だけになぞ踊れるものか。」

「わたしは思い知りたいのかも知れない。どこにも光など無いことを。」

さらにはその一年前、2008年の夏に、強烈な希死念慮にさいなまれていた記録が残されていました。
踊り明かした朝に書かれたそれは自死への渇望と、此岸への執着と、周囲への懺悔と、諦念がない交ぜになって
こんな文で結ばれていました。

「けれどもわたしは裏切りが得意だから
あなたが、あなた方が呉れたことばを置き去りにして
結んだ小指を振り切って
いつかきっと行くんだろう。
自らの為に生きていることを感じられない限り。」

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いまだにわたしは自らのために生きているとは言い切れませんが
(いやそもそもそんな人間がこの社会においてどれほど居るというのだろうか)、
わたしの肉が感じるわたしだけの喜びを噛みしめて踊っていることはたしかです。

4年前の5月、昏睡から目覚めてから、わたしは一切の薬を断ち、それまでと変わらずただフープを回し、レッスンを付け、ステージに立ち、自分の肉体が上げる歓声や悲鳴により深く耳を傾けるようになり、できるだけ笑っていたいとの思いをいっそう強くし、多くのひとが集う場へ足を運ぶように心を向けはじめました。

そして翌年の2011年3月11日に起こった東日本大震災にて、わたしは我が身を深く省みることになります。