生理と付き合う

第17期(2014年10月-11月)

女性と付き合うことは同時に、女性のもつ生理現象と付き合っていくことである。

高校を卒業後の19歳になって女性と付き合いを始めたころ、いつもは穏やかな彼女が急に怒り出したり不機嫌になったりと、感情の起伏の激しさに驚かされたことがあった。激情型の人間というのとも違って、スイッチは無く急にモードが変わったようになる。その時はどんな話をしても理不尽に責められる。

この話を女友達に相談すると「生理なんじゃない?」という一言で返されてしまった。
「それだけで、こんなに?」と聞くと、「そういうものだよ」とのこと。

この話の後も生理ってだけであんなに豹変するものかと半信半疑でいたが、数日後に生理で機嫌が悪かったことを謝られた。本当だったのだ。ただそれだけで、と私が思うようなことが、女性の中では日常的に起こる変化だったのだ。

ああ、生理とはすごいものなのだな。とこの時からである。また同時に、男がこの生理というものをもって生れたら到底抱えられないだろうなと女性を尊敬もした。

そもそも、身体が自分の意識を大きく超えて変化する、というのは男にはあんまりわからないことなのかもしれない。

年をとるにあたって私の身体も成長はしてきたが、僕自身、急激な変化に戸惑うなんてこともなかったし、周りにいた男友達も同じだったように思う。自分の身体のことはなんとなく理解できていた。

女性の見た目が変わっていくのはか男性から見てもわかる。でも、男性側からの目線で女性の内面の変化を想像するのはとても難しい。けれどもこれを理解することなしに女性と付き合って行くのは難しい。
それは生理や、それに伴う感情の変化とも男性は付き合うことになるからだ。

ツマの妊娠を支える事とは、そういった女性の生理現象と真正面から向き合うことである。
男性にとっては恐ろしいことかもしれないが、僕の実感としてつわりや妊娠期間の女性というのは生理期間中の浮き沈みを少なく見積もっても20倍ぐらいにしたものである。そしてそれが安定、不安定あれ10ヶ月続くのである。

比較的女性の気分の浮き沈みには寛容な私でも、これにはかなりまいってしまった。打撃の威力が強い上に期間が長いのである。回復の期間は、ほぼない。

ただ、何かひどい言葉をかけたくなることもあるのかもしれない。男性にはどうしたってわからないのだが、そんな波が定期的にくるように女性の身体ができているのだとしたら、男性はどう受け止めるべきなのだろうか。いちいち間に受けるか、反論するか、それとも、笑って受け流すことができるか。笑って受け流しても女性の気持ちが落ち着かないかもしれない。

そんな場面に何度も出くわすのがツマの妊娠である。僕はその度に、だんだんと重くなり、自分だけの身体で無くなってしまうツマの身体を思う。行きたいところにも行けず、食べられるものも制限され、そもそもつわりで何も口にできない状態が続いているのだ。そんな彼女と過ごして、自分にできることの少なさもわかってくると、愚痴ぐらい文句も言わず聞いてやらなきゃと思うものである。

男性はどうひっくり返っても子どもは産めないのだ。役割分担とかそんなレベルじゃなく、他人であり、違う生物であることを実感してくる。その感触というのは、生理というものに始めてであったときの延長線上にあるものだ。

男女の関係を、同じ人間として同じような考え方で理解することもできるのかもしれないが、ある程度のレベルまでである。身体のつくりが決定的に違うのが頭にないと、どこかで破綻するんじゃないだろうか。

女性と付き合いを重ねるのは生理と付き合うことである。私がツマの妊娠を通して学んだことのひとつがこれである。出来る事ならば、ちょっとぐらいつらく当たられたぐらいで落ち込んでいた自分に、そんなもの何でもないんだと言ってやりたいものである。