おんなになる-おんなを知る-

第19期(2015年2月-3月)

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幼心に
女は一生 おんな なんだ、と。
勘づいていた様に思います。



実は私は10代のころに2人の女性とお付き合いした事があります。
恋愛関係のお付き合いです。
初恋も初めての恋人も男の子なので、後天的なバイセクシュアルです。
女性を恋愛対象にみることは極めて少ないタイプなので、バイセクシュアルとしての気質は薄いのかもしれませんが、恋した女性達は私にとって新鮮な人間でした。
新しい世界を案内してくれる人達でした。

彼、彼女関係なく、お付き合いする人や知人達を思い返すと
自分の好奇心が惹かれる人達です。

人、恋愛、友情、様々な観点から女性との関わりを持って来た私だからこそ
母に対しても「女性」という視点で思考を巡らせる時間がとても多かったです。

今、私の記事を読んでくださっている画面越しの方、貴方のお母様はどんな女性ですか?
そして、母を女性だと認める事が出来たのはいつ頃でしょうか、まだ出来ていないでしょうか。
それとも考えた事もないですか?
自分自身にとって一番身近な女、それは母です。

私の母は、自分の筋を一本持った人で、でもおっちょこちょいです。
私のおばあちゃんは、とても自分勝手で不器用だけど憎めない人です。
私のひいおばあちゃんは、とてもチャーミングで強い人でした。
私は今あげた性質を総て持っています。
私の中の女の性(さが)は、母方の女系の血が濃いのだと思います。

妹もまた、私とは異なった部分で彼女達の性質を受け継いでいます。
母の自由奔放なところ、祖母のユニークで繊細なところ、曾祖母の頑固なところ。

私にとって、母という存在が神聖化されてしまった事がありました。
母は母以上でも以下でもなかった。
しかし母は母であり女でもある、別の生き物でもなんでもなく、母の中にどちらの顔もあるのです。
その事に気がつくまで、私は20年かかりました。

私の両親は離婚こそしていなくても私が7歳頃から別居していました。
私はありのままの母が好きでした。
一緒に住んでいなくても、会社を経営し美しいモノ最先端なモノを見せてくれる先進的でかっこいい母が自慢でした。
そして私の夢や目標を否定せず常に応援してくれる人でした。「あなたが決めたことならやりきりなさい」と。
けれど同時に、いつか私達と母はまた一緒に住めるようになる、家族が元に戻る、お家に居てくれるようになる、そしてそれが母の幸せに違いない、と思っていました。
しかしそれは、私の中で構築された「理想の母像」を母に押し付けているのだと後に気付くことになります。
「母」と言ってしまうから論点が自己中心的な子供の考えになってしまうのだと気付いたのは20歳のころです。
母は確かに私の母であることに一点の曇りもありません。
私の母であると同時に、一人の自立した女性、人間なのです。
彼女にとっての幸せとは、たとえ娘であっても、他者が決めることではない。

20歳のころ、母と初めて大げんかをした事がありました。
詳しい内容は避けますが
「ママじゃなくなったみたいで嫌だ!」
喧嘩といっても私が勝手に癇癪を起こして怒りをぶつけていただけなのですが…
そんな私に母は言いました
「ママはママだよ、何があっても何を言われてもそれは変わらないことなのよ」
「せいなは今でもママの赤ちゃんなのね〜」
と、とても穏やかな声で言われました。
その時は、なんでそんなに冷静なんだ!とますます怒りが込み上げたものです。
当時は理解できなかった言葉ですが、ゆっくり時間をかけて、
親とは一番近い他人なんだと気付き、抱いていた理想の母像は親離れ出来ていない子供の証拠だと理解しました。
そして理想の母像を押しつけて母を苦しめる事になるとわかったのです。
母もとい彼女の幸せは彼女が感じる事で、私の幸せもまた、母とは関係なく私が感じることです。
この事実と母娘の関係は影響し合わない。と気付きました。

この経験を乗り越えるまで、私は母に恋の話なんて一切したこともなく、ままが大好きなベイビーとなんら変わりなかったのです。
恋愛や生き方に関しては母に認めてもらおうとはこれっぽっちも思わないですが、目標を語り合ったり、愛した人を自信を持って紹介できるようになりました。
今ではすっかり、母は私のよき理解者で仕事上では大先輩で越えたい人です。

私の母もまた、実母と確執を経験しています。
だからこそ、「母は母、私は私、例え親子でも全く別の人間それぞれの人生」という考えがあるのでしょう。



親子関係がとても密接といわれる現代で、私のような経験は一つの事例で、母が娘に理想を押し付けてしまうパターンも多々あるのではないかと思います。
母は必要以上に大きな存在で、親離れ子離れが難しくなっているのではないでしょうか。
あえて実家を離れる必要も無く、金銭面では節約にもなる、親は元気、親子の仲はいい、実家の居心地が良い、となると尚更。

私を含め、近い友人や親しくなる仕事関係者など、お母様との間になんらかの葛藤の経験をお持ちの方が多いです。
親が離婚している。以外にも
母は再婚して本当の父の顔を知らない、とか、母は娘である自分と年齢の近い恋人がいる、とか、母は仕事が忙しく家に居なかった、とか色々。
離婚が多い時代ですから、そう珍しい事でもないのかもしれませんが、私の周りの知人はみな一様に葛藤の末に、自分の母を尊敬しています。
話を聞いていると、忙しいながらも手料理を作ってくれていた、とか、旅行に行った思い出や、仕事をする姿に感謝していたり、
「母から自分は愛されている」という体験がその気持ちの裏付けのように感じます。
または、自分自身が人生の局面に立った時、母もまた同じ経験をした事を想像して母の偉大さを感じたのではないでしょうか。

知人の女性達はみな自分の生き方や仕事の仕方に常に疑問を持ち、チャレンジしている人ばかりです。
親子関係は様々な形があるものだと思うので、こうあるべきだ、という定義は存在しません。
両親が健在、両親が離婚している、死別している、そう言った事に関係なく、様々な人生背景があります。
自分の現状に疑問を持つ人というのは
「自分の人生を歩むんだ。」という意志がうまれやすいのではないか、と感じています。

母と娘を描いた映画をご紹介しながら、女とは、母とは、もう少し考えてみたいと思います。



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「あの日、欲望の大地で」(2008)
丁度母との葛藤のさなかに出会った映画でした。
シャーリーズ・セロンにキム・ベイシンガーという大女優が見事に女性の陰鬱さを演じていますが
今ではすっかり有名女優と成ったジェニファーローレンスが輝きを見せた映画で、私が彼女を知ったきっかけの映画でもあります。
不安定な思春期の少女の瞳を見事に感じさせるすばらしい空気を放っています。
監督や脚本家はビターな作品が得意な方々だったのでその巧みさは語る必要もないものです。
この作品は3世代の女性の姿を母と娘の因果を絡めながら進む内容。
「因果」という言葉がこの映画のキーワードです。
母へ抱いた「疑念」や「哀しみ」「後悔」、その血筋である自分の中にある母から受け継いだ女の性(さが)への恐れ、それらが因果となって主人公へ迫ってくるのです。
そして登場する全ての女性は愛する事、愛される事にとても不器用でした。
人が誰しも持ち合わせている「愛への渇望」を通して一人の女性が歩んだ人生の影から光へと視点を変えて、映画は幕を閉じます。
映画の終盤、主人公と少女の会話に因果の答えを観た様な感覚になりました。
乾いた大地を背景に流れるギターの旋律が哀愁を誘い女の湿った性(さが)をあぶり出してくれます。
一度でも母から受け継いだ性(さが)というものを意識したことがある女性は特にずっしりと響く作品ではないでしょうか。

キム・ベイシンガーといえば1986年公開のナインハーフというエロスたっぷりな官能映画の名作に出演しています。
キャリアウーマンが多くを語らず まなざしで語る男によって秘めた性の欲求を解放させていく、という内容。
「欲望とセックス」をキーワードに男女の持つ欲望の目的の違いや、セックスだけではない「欲望」の正体を描いています。
映画の最後に、タイトルの良さと、後をひくビターな味わいにぐっときます。
ちょうど話題の官能映画などで興味を持った方は名作ナインハーフも是非!



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「理想の女(ひと)」(2004)
10代後半、レンタルDVDショップで偶然目に入った映画でした。
当時スカーレット・ヨハンソンの映画を探して見ていたので発見できました。
オスカーワイルドの戯曲をモチーフにした作品です。
舞台は30年代のイタリアはアマルフィ、セレブ達のバカンスが舞台となっています。
母を知らずに育った無垢で可愛らしい若妻(スカーレット・ヨハンソン)を中心に物語は展開していきます。
「浮気」という疑いの眼差しをキーワードに展開していくのですが、終盤にさしかかり物語が一気に展開して、あっと言わされます。

良い女、悪い女、とは一見別ものですが、見る視点を変えると真逆になってしまったり。
スカーレット・ヨハンソン演じる若妻の中にある理想の母の姿、彼女を守る人々の想いが映画の最後を彩り、とても清々しくて粋な映画です。
タイトルの「理想の女」が、観賞後にじんわりと沁みてきます。
とにかくこの映画は情報を少ないままに観て欲しい!
後味がじっとり重いものは苦手、でもビターな映画が観てみたい、という方におすすめです。



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「秋日和」(1960)
日本映画の巨匠小津安二郎監督作品。
初めて観た小津監督作品でした。
夫を亡くした後の母と娘を中心に、日常にある温かみを感じさせてくれる映画です。
登場する母「原節子」のどっしり構えた穏やかで色っぽい母の姿、母を想い自分をないがしろにする娘「司葉子」の美しさとあどけない色っぽさ、娘の友人でハツラツとした「岡田茉莉子」の快活な女性の美しさ、3者3様の美しさ。
そして母娘を想いどたばた劇を繰り広げる亡き夫の友人であるおじさん3人組の優しさ。
母を想い、自分を後回しにしてしまう娘心に深く同意したものです。
親子というものは、いつか親子の暮らしが終焉をむかえ別々の人生を歩む時がやってきます。
親と生活する時間は実はとても短いのだと、その時になって気が付き名残おしくなるものです。その感傷をじっくりと味わう事ができます。

母娘の葛藤や人間模様を描き出しているのに、とっても心地のいい映画です。
これを観た後に「晩春」という父と娘を描いた作品も観ました。
父と娘を観たい方は是非晩春を。
結婚が近い方、両親と離れて暮らす方におすすめです。



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「MY LITTLE PRINCESS」(2011)
私がパリに留学中に現地で公開された映画でした。
(日本では2014年にヴィオレッタというタイトルで公開されました)
当時13歳の私が偶然書店で手にした写真集eve。
「デカダンス」退廃的な美と出会ったきっかけでもある写真家イリナ・イオネスコの娘(写真集のメインモデルeve本人)がメガホンをとり写真家の母の姿を描いた自伝的作品です。
幼いエヴァは母によって意志とは関係なくヌードモデルとなるのですが、
後に母に対して裁判を起こす泥沼関係となります、幼い少女にヌードモデルをさせたイリナは当時スキャンダラスな写真家でした。
この映画はそんな母へ娘エヴァからの怒りの作品だと言えるでしょう。
この映画を観ていると、母はとにかく悪役に描かれているからです。
娘の被害者意識が強くないか?とも感じるのですが。
怒りや憎しみは、愛という執着あっての感情です。
この事から、娘エヴァは普通の母(理想の母像)の様に愛して欲しかったのではないかともとれます。
感情が強過ぎて監督エヴァの主観的すぎるのか、映画を観ながら母娘の関係性の変化や心の機微が客観視されておらず、伝わりづらいように感じました。
しかしこの点を考慮しても、母と娘の感情のすれ違いを描いている作品としてとても面白いです。
映画自体は映像美術の美しさにうっとりする楽しみもあります。
綺麗で妖しい美に触れたい方にオススメです。

留学時代集めていた雑誌スクラップの中から
フランス公開当時の特集記事発見↓
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様々な母と娘の映画のなかから個人的に好きな物をピックアップしました。
週末のお供にいかがでしょうか。

my little princessの監督は母によってアートの世界に幼くして入り(入らされ)、映画監督までするようになり実母に対して裁判まで起こすわけですが、
現在世の中には、子役やスポーツ選手の金の卵達が溢れています。
親の願いかそれとも子供自身の願いなのか、定かではありません。
幼い頃に聞かされた親の願い、親の想いに応えたい子供、親の願いは年をおうごとに子供心に溶けていきます。
子供が成功すれば、これは美談となり。
子供が失敗、ないしは他の夢を抱くと、親のエゴに姿を変えるものなのかもしれません。

私自身、幼いころに「デザイナー」になりたいと意識したきっかけは
母の夢が「デザイナー」だったという事を知っていたからなのかも、、、
知らずしらずのうちに、母や父の願いを子は抱いて育つのかもしれません。
人は様々な人間関係の中でこうやって影響し合いながら生きていくのだと思うと、自然なことのようにも思います。


母と娘は一番身近な他人のおんなです。
女同士ですから、性(さが)を理解できるからこそ
母と女の関係性が理解出来ていない時、母の中のおんなに出会ってしまうと、今まで知っていた母の顔とは違う女の顔に対して心が拒否をしてしまいます。何歳であろうとも少女でも女の勘とは働くもので、女の匂いに気付くものです。
しかしこれを乗り越えた先には、理解し合えた喜びと安堵が生まれ、新たにぶつかる事も笑い合える事もあるでしょう。

私もいつか、母となり娘か息子を持った時に、また一つ新しい顔を得るのかもしれない、と思うと経験してみたい。その日が待ち遠しいのです。
その時は私の母と、母としての顔で話がしてみたいな、と思うのです。



おんながおんなを知るきっかけは、母なのかもしれません。

おんなになる-おんなを知る-
せいな


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おまけ
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母への想い葛藤と戦っていた時期
学生時代の作品「素肌の記憶」のインスピレーションソース。
(使い古した愛用の毛布に包まれているイメージでコートを制作しました。)