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2F/当番ノート

おんなになる-生理と生きる-

当番ノート 第19期

初めまして。
この度ご縁あってアパートメントに入居することとなった聖渚(せいな)と申します。
まずは簡単に自己紹介を
お仕事はランジェリーデザイナー、けれど自分では「感情の観察者」と名乗ったりもしています。
オリジナルブランドの立ち上げに携わり(私のサイトを参照下さい^^)、現在は複数の方とランジェリー含め女性に向けたセクシャリティに関わるお仕事をさせて頂いています。
日夜女性の感情を掘り下げてみたり、そこから具体的なランジェリーのディティールを探ってみたり、女性性に関わる映画を見漁ったりしています。
女特有のねっとりとした湿度たっぷりの世界観が大好物です。

幼い頃から日本芸術や文化を学ぶ事が好きで茶道や日本舞踊を習っていました。
特に「遊郭」や「大奥」が好きで好きで、インターネットが普及した時代だったので父や母のpcで貪る様に検索をしていた少女でした。
そして12歳の頃にフランスの映画「歓楽通り」(監督パトリス・ルコント)に触れて、欧州ランジェリーに目覚めました。
「太陽と月に背いて」というフランスの詩人ランボーとポール・ヴェルレーヌの同性愛をモチーフにした映画にも同時期に触れて、同性愛の世界にも開眼。
(若いディカプリオ演じるランボーの憂いた瞳の色香がまた最高!)
日本の廓とはまた異なった女の性の世界、そして神秘の同性愛という世界に心酔しました。
それからというもの、本屋さんとインターネットと映画で日本文化を描いた作品(特に浮世絵と春画)、同性愛をテーマにした作品、娼婦をテーマにしたもの、こういった耽美な世界をかき集め

「性」を中心に「美」や「文化」にどんどん没頭していく10代でした。
我ながら驚くのですが、14歳ごろにはランジェリーデザイナーになる。と親友に言った事もありました。
そんな私なので、ランジェリーデザインの世界にいくことは至極自然な流れで
22歳の頃、満を持してランジェリーデザインの為にパリへ留学しました。
SL 2
SL 3
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(パリ学生時代の卒業コレクションより、作品写真とデザイン画)

さて

このお話を頂いて、さあ何を書こう と、とても迷いました。
ランジェリーへの愛をこんこんと語るのも今の気分ではないし
日常を綴るのもちょっと違う気がするし。
ということで
私を二ヶ月間レビューしてくださるterai.yusukeさんとのご縁に感謝して
彼の執筆された「生理と付き合う」という記事にリンクした内容にしてみようと思いました。

「生理」
12歳頃になると訪れる初めての生理「初潮」は「女の身体の機能が発動した証」です。
まさに女に成る一歩なのです。
生活を送っていると、突然その時はやってきます。
自分の初潮の日は覚えていませんが、父に知られる事がとても恥ずかしかった記憶があります。

そして、やっと私にもきた!と思ったのです。
(ちょっとこれは、私独自の感覚かもしれませんが…)

日本人であれば誰でも9〜10歳ごろに性教育を受けたと思います。
「女性の身体には子宮があり、毎月1個の卵子が卵巣から出てきます。
男性には精巣があり陰茎から精子を約1〜4億射精します。そして、卵子と精子がくっつくと、赤ちゃんが出来ます。
精子は2日から数日、生きていて、卵子は12時間から36時間ほどの寿命です。
卵子と精子がくっつくことがなく卵子の寿命がつきると、生理として体外へ排出されます。」
といった感じで。
当時なんとなく理解はできるけど、結局右から左だった気がします。

初潮がくる第二次性徴は乳房も膨らみはじめます。
当然個人差があるわけで、高学年ほどになるとクラスの中には小学生で既にDカップあるような発育の良い子から、私みたいにぺっちゃんこの子もいて。
ブラをし始める子がいると何だかそわそわざわざわしていた様な記憶があります。
少なくとも私は、早く胸が大きくなってブラをしたい!と思う少女でした。
けれどもちっとも大きくならなくて、スポブラにハンカチを入れてみた事もあります。
私のように身体の成長に憧れた少女がどれくらいいるかはわかりませんが、
お母さんのピンヒールを履いみたりこっそり口紅を塗る、といった類いの経験は多くの少女がしているのではないでしょうか。
この身体的変化と少女の心の変化、
自分も経験した時期のはずなのに、あまり覚えていない事が悔しい限りです。

話を生理に戻しましょう。

私は現在25歳。
この歳になってようやく、生理と向き合える様になってきたと思います。
今までは毎月のことで、早く終われーと思うだけの生理現象でした。生理痛があっても薬を服用して我慢したり、生理不順でもまあいっかと流していたのです。
しかしなかなか生理周期は安定せず、生理前になると父や弟にイライラして攻撃的になってしまいました。所謂「PMS(月経前症候群)」になっていたのです。
父に冷たく当たってしまったりする自分がとても嫌でした。
かといって産婦人科で相談するでもなく、ぼんやりと流して生活していました。

しかし昨年の冬に終わりに恋人が出来て、
それからというものすっかり生理痛がないのです。
イライラも全くない。
生理周期も安定していきました。
私はこの身体の変化に驚き、とても嬉しかったのです。
生理の悩みを解消したのは自分でもなく、彼の存在だったのです。
彼の存在によって、子宮がしっかりと機能を始めたと思います。
機能を始めた、というのは身体が彼の存在を求めている証ではないかと感じています。
身体の奥が開き友人達からは「笑顔が変わった」「女性らしさがぐっと増した」と褒めてもらうようになりました。
女性の身体は精神と密接に通じ合っているのだと実感しました。

そうしたある日、性交痛を感じた私は産婦人科を受診して病気が発覚しました。
それからというもの定期的に子宮健康診断をするようになりました。
子宮や膣の不調をパートナーに話す事は不安がる方も多いと思います。
しかし、パートナーを大切にしたいのであれば素直に話す事が最も大切だと実感しました。
病気の事実を話し、私の事を信頼して一緒に治そうと言ってくれた彼にどれほど救われたか。信頼とは愛そのものだと痛感しました。
日常に起きる身体の変化を素直に話し彼と共有していくうちに
今では私が言わずとも生理が訪れる時期を理解してくれています。
病気もすっかり完治しました。
今回自分の病気に気付かなければ将来は不妊病になっていたかもしれません。

生理と向き合う基、子宮と向き合ういう事は、自分の身体と向き合う事です。
そして自分の身体と向き合うということは、パートナーと向き合う事でもあると気付きました。
彼の身体、心を通して自分を観察、自分と対話する感覚です。
彼と出会い、私は自分が求める自分自身の姿を発見する事が出来ました。最近、その目標に向かって新たな一歩を踏み出したのですが、私以上に彼が喜んでくれています。
幸せな事です。

さて、「おんなになる」というタイトルですが
色んなアートや文献に触れ、女には 成っていくものだ。と漠然と思っていました。
服装やメイクで着飾るという表面的な事、見た目、しぐさ、言葉遣い、身のこなし、知性。
そして、今になって思う大切なピースは「性」です。
自分の「性」とまっすぐに向き合う事が出来る女性が
魅力的な女性に成る為には必要なのではないか、そう思います。

「性」とはセクシャリティにまつわる事以外も含んでいて
・趣向
・性格
・精神
・身体
それら個人を形成する「個性」を自分自身が理解し楽しむ事。です。

私は女性で産まれた自分の人生をおおいに謳歌する為に、自分の心が喜ぶ事を積極的に行って生きていきたい。
そして愛する人達と笑い合って生きていきたい。

いつか閉経して
おばあちゃんに成った時、
チャーミングな笑顔のおばあちゃん。と言ってもらえる様な女性に成っていきたい。

そう、思うのです。

こんな私の綴る二ヶ月間の「おんなになる」
どうぞよろしくお願い致します。

聖渚

seina

seina

女のからだとこころの観察者

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