ルーマニア徒然 - 序

第21期(2015年6月-7月)

僕は写真が好きなサラリーマンで、ひょんなことからルーマニアで働いている。縁あって寄稿させてもらうことになったので、ここでは日本人にとっちゃまあ馴染みのないルーマニアという”未開”の地での日々をつらつらと書いていこうと思う。2ヶ月間、宜しくお願いします。

まずルーマニアを知らない人の為に簡単に説明すると、場所としてはバルカン半島の付け根に位置し、北にウクライナ、西にハンガリー及びセルビア、南にブルガリア、東に黒海を臨む。古くはダキア国に端を発しトラヤヌス帝によるローマ化以後ラテン化が進み、ラテン世界とオスマントルコ、ハンガリー、ロシアなどの大国に翻弄されながらもなんだかんだ切り抜けてきた地域だ。言語はラテン系でスペイン語やイタリア語とはかなり似ている。一方宗教はルーマニア正教で、ロマンス語なのに正教というのはポーランドがスラブ語なのにカトリックというのと対を成している。大きく3つの地域があり、南部をワラキア、北東部をモルドバと呼び、カラパティア山脈以北のトランシルヴァニア地域は第一次大戦後にハンガリーから奪い取った。なのでこの二国は仲が悪い。モルドバ地域は度々他国の干渉を受けながら最終的に第二次大戦後ソ連により一部併合され、今のモルドバ共和国と分かれたが言語も文化も殆ど同じである。農業国であり長らく豊かな時代があったが、チャウシェスク政権による共産政権時代が暗黒をもたらした。今でも当時の話になれば昼食が2時間以上になりかねない。首都ブカレストはしばしばお隣ハンガリーの首都ブダペストと間違えられるが、これは日本人だけではなく欧米人にもややこしいらしく、オーストリアに”No kangaroos in Austria”Tシャツがあるように、”Budapest Bucharest”Tシャツが売られている。世界で二番めに巨大(”そして一番醜悪な”とルーマニア人は続ける)ということで有名なチャウシェスク宮殿に訪れたマイケル・ジャクソンが、歓喜に沸き立つ聴衆に向かってバルコニーから”I love you Budapest!!”と叫んだというのは今でも鉄板のネタとなっている。観衆が関西人ならそこで全員コケるのだろうが、ルーマニア人がどう反応したのかは知らない。きっとコケたと思う。

ルーマニアに行くことになったのは突然だった。僕は入社後もともとペット用品に関する仕事をしていて、夏季休暇を経て腑抜け状態で会社に戻ってきたら突然農業に関する別の部署に異動になった。新しい部長と面談をしたら「ルーマニアに行ってくれ」と言われた。青天の霹靂、まさにそんな感じだった。驚くやら嬉しいやら身が引き締まるやらの思いで帰路につき、駅前の本屋で取り敢えず地球の歩き方”ルーマニア/ブルガリア”を買ったのを覚えている。二国同巻なのにぺらぺらだった。

辞令はまだ公ではなかったので、業務後に人知れずルーマニア語を勉強する日々が続いた。なんとか見つけたネイティブ教師は日本に滞在して15年以上になるルーマニア人で、驚くほど日本語が完璧だった。二人して文法やら言語学やらの話で盛り上がり、はっきり言って勉強にはならなかった。彼は「ルーマニアにはマクドナルドとケバブ屋しか無い」と脅したが、実際のところ彼は10何年と国に帰っていないのだった。彼に聞かれた”繋ぐ”と”繋げる”の意味的文法的な差異は何か、という問いに対する答えは未だ見つかっていない。

ビザの手続が難航し、結局僕がルーマニアの地を踏んだのは数ヶ月遅れて年明けだった。「野犬が多い」「街は荒廃」「犯罪が盛ん」「マクドナルドとケバブ」と聞いていたイメージとは全く異なり、犬も全然おらず、クリスマスのイルミネーション残る美しい街だった。勿論、冬真っ只中で街は東欧的な寂しさに沈んでいるようにも見えたが、陰鬱な感じではなかった。寒い寒いと言っていると周りは「今年の冬は暖かいな」と言っており、ある週末豪雪となってレストランに数時間いる間に外のテーブルの上の雪が数十センチになっていたのを見て、「なるほど、これが冬というのものか」と腑に落ちたのをよく覚えている。その冬はそれっきり大した雪は降らなかった。ただ車が雪に完全に埋もれているのを見たのは初めてだった。

ルーマニアは美しい国だ。海(黒海)があり山(カルパティア山脈)があり河も多い(ドナウ川の流域面積は最大である)。自然豊かな農業国であり人々は食うに困らぬゆえの脳天気さと朗らかさを持っている。ローマ帝国以後他国に支配されたことはなく(いつも強国に挟まれながらも持ち前の長いものに巻かれろ根性でうまく乗り切った)、それゆえか他者に対してもオープンで大らかである。これまで幾度と無くルーマニア人の優しさに触れてきたものだ。まだ1年半ほどしか経っていないが、ルーマニア及びルーマニア人の良さも悪さも、悲喜交交も、美しさも醜さも、少しずつ分かってきたような気がする。ルーマニアは先述のように民族的、宗教的な大きなうねりの中にあり、地政学的に極めて不安定かつ重要な位置にあり続けた国だ。ルーマニア人に言わせれば”ルーマニアは戦わないことで生き延びてきた”ということになるのだが、なるほど処世術に長けた、人が良く見えてその実強かな人が多いと思う。なるべくしてなったルーマニア人のこの気質が、強国跋扈するこの地域の”クッション”になっていたと言っても強ち過言ではないと思っている。

ルーマニア語には”Asta e(ste)”という言葉がある。直訳すると「これが・・・だ」ということだが、「しょうがないよ」「そんなもんさ」というようなニュアンスで使われる。大国に囲まれ、いつも思うように物事が進むわけでなかったルーマニア人が、世界をあるがままに受け入れる為に編み出した態度なのだろう。この言葉に救われることもあり、苛立たさせられることもある日々である。

この連載ではルーマニアでのエキゾチックな体験を基軸に、僕自身の日々の取り留めもない思いを散りばめながら、ある人生のある期間におけるそれなりに面白くいつかそれなりに懐かしく思い出すであろう郷愁のようなものを仄かに描くことが出来ればと思っている。日々の連続の中で、たまに食べる異国料理のような、ちょっとしたエンターテイメントになれば幸いである。

Manastirea
スチャヴァの修道院にて。