「アタシ」のすすめ (ご)

第27期(2016年6月-7月)

”こんばんは。定時制の時間にこの学校へ通っている者です。あなたの家でも女の子のお股についているアレはおちょんちょん、というんですね。なぜ性器の名前というのは男女に限らず、こんなにも間抜けた名前に甘んじているのでしょうか。やっぱり何か、コレとアレが結合すると子が産まれる、という生命の根源的事象を秘めた一物は、名前をつけるにはあまりに神々しく真に迫り過ぎるために、名前だけでも茶化さねば股に抱えるのはしんどい、という結論から、道化の道が性器にあてがわれたのでしょうか。もうこの世界ではきっと、色んな出来ごとを茶化して、意味をぼやけさせなければ疲れてしまう、という終局の一端が見え始めているのではないかと推察いたしますに、列島全体におかれましては梅雨前線が活発化し、ますますのご発展をお祈り申し上げると共に、次々と雨雲が発達、太平洋側では明日朝から未明にかけて、局地的に雷を伴った非常に激しい雨が降ると発表されますれば、バールのようなものでこじ開けられた形跡があり、「金が欲しくてやった。」「ダッタン海峡を超えて蝶になるには仕方なかった。」など、意味不明の供述を繰り返しており、警視庁では、一刻も早い全容の解明と、被害者遺族への説明を急ぐ方針です。では次の曲、お聴きください。「月曜日は瀕死」   住所不貞無色 アタシ(17)”

”なんか面白い話しして。  生涯童貞無食 オレ(17)”

染まり切らない夜を湛えた群青は、もう19時にもなるのに窓に映し出されていて、夏を迎える季節の繰り返しを、人に教える優しさ。月曜日の憂鬱は夜も変わらずやって来てきて、教室はその停滞を、生徒が頬張るコンビニのパンからでる、無遠慮なガサガサした音で教師に伝え、チョークがぶつかるその音は、不真面目な生徒へ、抗議めいた響きで鳴る。落書きも捗らぬから、「概念くん」というオリジナルキャラクターも、ノートの端で所在なげにまんじりとする他ない、月曜日は瀕死。
はー眠い。数学は、アタシからもっとも遠い所にある。せめて、先生のスナオちゃんがもっと何か話してくれれば、落書きや無駄話も、サボっている、という意味を与えられて少しは張り合いがでるのに、ただチョークと黒板から音が出るだけで、そんな音楽は前途洋々(実際には多難)諸兄の心を動かさず、実質の自由時間、HRみたいで退屈、退屈。隣に座る早紀ちゃんは、意外と真面目に鉛筆を動かしているし、間を縫っては、アタシでなく後ろの、お饅頭がハンチングを被ったような女の子と話しをしている。今日の服も、青い青いオーバーオール。
アタシはノートの端に、『夏色コーデで梅雨なんか吹っ飛ばせ!』というキャッチコピーを書き、早紀ちゃんに見せると、二の腕を叩かれた。
ちゃっちいヤンキーみたいな、ニッカポッカを履いた、この学校ではむしろ没個性な生徒が、スナオちゃんに、「先生もっと喋ってくれな俺らアホやから分からへん」というこれまた真っ当な意見を投げかけるや、スナオちゃんは鬼の形相で振り返り、
「じゃあもっと真面目に先生の話聞きなさいよ!毎時間毎時間ムダ話しして、聞く耳もない癖に質問ばっかりして!これからちゃんと説明するから耳の穴かっぽじってよう聞け!」
教室が静まり返る、といった隙も与えずに因数分解の公式を捲し立て、もし、素直に耳の穴をかっぽじっていようものなら、言葉の洪水に穴は耐えられず、あわや難聴、この時かっぽじった耳の穴の容積を求めよ、といった勢い。
騒然とした教室の中を、やってられるか!という誰もが抱いていたであろう、声に出さない言葉が霊となって浮遊し始め、「やってられるか!」と実際に誰かが叫び、実体を得てスナオちゃんを襲う後には、クラスの肉体派が教壇へ詰め寄り、ひと騒動。他の先生も駆けつけ、終いは、スナオちゃんの謝罪でなんとか収束、月曜日の憂鬱は少し軽くなったのであった。

「あれ問題になるかなあ。次の授業から違う先生になったりするかなあ。」
「多分大丈夫なんちゃう。そんな大層な学校ちゃうやろ。ここ。」
「うーん、まあ、確かに。」
「ボンちゃんタバコ、フィルターまで燃えてるで。」
すぐにタバコを溝に捨てた。驚くかも知れませんが、定時制の学校には成人も多いことから、校内ではないけれど喫煙所が併設されていて、次の授業が始まるまでの時間、混雑する。喫煙所といっても、外に灰皿が置かれてあるくらいだから、近隣住民から苦情が出ていて、近々撤去となる可能性がある。と、早紀ちゃんから教えてもらった。未成年者はタバコを消せといって、きまぐれに体育の先生が見回りにやって来るけど、形式だけで、本当に消している子を見たことがない。そんな喫煙所で短い一服をしたら、煙で白く濁った空気を可能な限り避けるよう、無駄な努力を演じて、次の英語のために移動。教室の数の関係かしら、英語と現代文は旧校舎の教室で行われるから、校門を入って右側、いつも蛇口が上を向いている手洗い場の方に進んで、今日も滞り無く全て上を向いているの見て、意味もなく安心し、砂の目の荒い道を進んで、スニーカー越しに、石ころの大きさを感じながら旧校舎を見上げると、あれ、何か、おかしい。一つも電気が点いた教室がない。なあ早紀ちゃん、あれ、いない。なんで。
いつも、趣きがあると思っていた旧校舎は、人の気配が無くなったと見るや、突然アタシの親しみを裏切り、ベートーベンの目は光り、人体模型の動き出す、恐怖の旧校舎へと様相を一変させていた。後ろを振り返って現校舎に戻りたいけど、振り返るのを躊躇させる圧が、古い建物には、ある。
「どこ行ってんのー、そっちと違うでー。」
と後ろから聞こえて、手洗い場の近くに早紀ちゃんが居た。あーよかった。安心した。背後から忍び寄って、突然右肩をぽん、と叩くようなマネをしなかった早紀ちゃんに、敬意を表したい気持ち。旧校舎からの圧も、突然弱くなった。
「ボンちゃんもしかして、旧校舎使われへんなるのしらんかったん。」
「え、それいつ決まったやつ。」
「いやだいぶ前ですけど。ほんまにびっくりするくらいボーっとしてんねんなあ。今週から使われへんねんで。老朽化が激しくて危ないからって。今までよお使ってたよなあ。」
まったく知らなかった。早紀ちゃんの言うところだと、もともと定時制の授業は、全て今の新しい方の校舎で行っていたらしいのだけど、アタシ達より何代か前に、全日制3年の生徒が教室に忘れた私物が、頻繁に無くなるという騒動があったらしく、確証もないのに、夜間の生徒が盗っているのではないかという話に発展して、それならばと、受験でピリピリしている3年の教室だけは使わずに、一部旧校舎で授業をするようになった、という歴史があって、旧校舎とはいっても外観はコンクリートなんだけど、さすがに危ないからと、急遽立ち入り禁止が決まったらしい。
早紀ちゃんはなぜか先生と仲が良いタイプの生徒で、なにかと事情通である。
もう入れなくなってしまった校舎は、野生化した動物みたいに、急速に態度を変えてしまい、アタシの親しみを受け付けなくなった。あとはこのまま、時間まかせに朽ちるだけ。人がそれを、許すまで。

「ボンちゃんに悲報です。これから英語の教室は3−Aになります。」
階段を上がる途中で、突然告げられた悲報が飲み込めず、けれどなにか引っかかりを感じ、少し考えて、ああ、3−Aは少しまえに、早紀ちゃんと忍び込んだ教室だった。
「あそこ入れるようになったんや。でも何が悲報なんか全然分かれへん。」
「もう。秘密の場所が人にバレたみたいで、なんか寂しいねんやんか。」
なにやら似つかわしくない、ロマンチックで可愛らしいことをアタシの目を見つめて言うから、場のごまかしの方に気持ちが傾いて、早紀ちゃんの大きいお尻を無言でなでると、
「あ、あかんで。あたし生理やから血つくで。」
と言いだし、丁度向かいから階段を降りて来たおとなしそうな男子生徒が、ぎょっと早紀ちゃんを見つめ、一段踏み外し、危うく滑落しそうだった。思春期と生理とは、相性が悪いのだ。きっと。
3−Aの教室に入れば、あの時感じた殺風景な光景はどこ吹く風か、先生と生徒がいるために、それそのまま、まったくもってただの教室で、ひそひそした声と、生温い体温が、教室をあるべき色に汚していた。
遅れて入って来た者のバツで、2人でカンタンに英語で会話してみなさいと、先生からお達しがあり、意外と緊張しいの早紀ちゃんは、早くも役に入り込み過ぎたのか、自分の胸にめり込むほど人差し指をぐっと突き立て、
「me!?」
と声が裏返ったために、発音、動作が確実にネイティブのそれで、突如現れた日系外国人に、少数ではあるが、笑いを獲得したのであった。2人で適当に、ハローだのグンナイだの、噛み合わぬ挨拶だけで会話をする様は、昔持っていた、リカちゃんと話ができる電話型のオモチャを思い出す感じ。それから、やっとそれぞれ席についたら、偶然、以前2人で与太話を咲かせた、あの席だったの。
ノートを広げる前に、すでに消しゴムカスが机にあったから手で払うと、払った手の下から、
”知ってるで。”
と書かれた文字があらわれて、ハッと気付いて、嬉しくなった。
それは、この間この机に残しておいた、”おちょんちょんって、なにか知ってる?”という書き置きに対する、返事だったのである。3年生の教室だから、多分全日制3年の子が書いてくれたものだろう。あれから結構日が経っているから、多分2、3週間はそのままにしていたはずで、待っていたのか忘れているのか、やっといまアタシの目に触れ、そういえば星の光が地球に遅れて届くことを、なんとなく思い出し、この姿の見えない宇宙人からの交信を、いじらしく感じたのだった。
もう授業は手に着かず、アタシは机に、せっせと返事をしたためる。急に机が暗くなり、見上げると、頭上には先生の顔。
「ハロー、ハロー、聞こえてんのか。名前呼んだら返事くらいせえ。テスト返してるから。」
先生からの交信だった。

次の日登校すると、英語の時間には一番乗りで教室に入り、自分の席を確保する。えらい張り切ってるなと早紀ちゃんにからかわれ、アタシは早紀ちゃんにも、秘密の交信のことは隠しておいた。だってバレると、面白がって、机の中にコンドームやら、生理用ナプキンやらを入れそうなんだもの。あくまで想像ですけど。
机を見やると、果たせるかな、返事が書いてあった。

”なんか面白い話して。  生涯童貞無食 オレ(17)”

どうやら舐められているようです。いえ、もしかすると、温度に差がありすぎたのかも知れない。アタシが書いた返事も、相当遊びを効かせたものだったし、コレは反省。字がきれいで気付かなかったけど、男の子、そして童貞だったみたい。そしてこの日から、コンスタントなやり取りが、始まったのでした。

”ハロー、ハロー。聞こえていますか。突然見も知らぬ相手に面白い話をねだるとは、あなたは不躾な宇宙人とお見受けいたします。生憎ではございますが、面白い話、というものは、別段持ち合わせておりません。代わりと言ってはなんですが、アタシは近頃いつも、告白をしたいと、思い悩んでおりますから、アタシが吐き散らかす告白という汚物の入れ物を、あらかじめ決めておきたく、あなたにも協力をお願い申し上げる次第でございます。重要なのは包装紙。なにがよいでしょうか。そごう伊勢丹、三越大丸。”

”お返事ありがとう。ごめんごめん。始めの返事が奇妙で面白かったから、何かまた、面白いことを書いてくれるのではと期待してしまいました。告白って、誰か好きな人でもいるの?それは汚物なんかな。俺にはよくわからないけど、多分汚くないよ。包装紙はなんか堅苦しいから、俺らみたいな高校生には無印の紙袋くらいがいいんじゃないかな。あ、それと君も今年卒業?名前は?俺はあきらです。好きな人がいるの?趣味とかある?質問ばっかりでごめん。”

”こちらこそ、お返事ありがとう。好きな人がいる訳ではないんです。ただアタシは何もないことが辛くて、汚くののしられてもいいから、心情を吐き出せば、思いもよらない自分がみつかる気がしているだけです。それを包むための包装紙だと思っていたけど、無印の紙袋というのはすごく良い案ですね。それとアタシの名前は伏せておきます。ごめんなさい。アタシは、アタシと呼んで下さい。学年は2年なので、あきら君は先輩になりますね。生涯童貞と書いてましたが、そうなんですか?”

”雨ばっかりで滅入るね。でも返事が嬉しくて、いつもより学校に来るのが楽しいです。そうそう、童貞。捨てられへん気がして自虐しただけ。誕生日が7/8で、七夕に一日遅れたから、彦星になりそこねたんかなーみたいな。笑 ひと学年下なんやね。アタシさんは、アタシというものにこだわってる感じやけど、なにかあるんですか?アタシさんの告白、聞いてみたいです。”

”今日は晴れましたね。楽しみにしているのが、アタシの一人よがりでないことを知って、嬉しいです。アタシが、アタシというのには理由があって、このアタシという一人称には何か、なんでも言わせる力があるというか、どんな言葉も横槍になるというか、そんな気配を感じてのこだわりです。また、そう書かれている文章を読みました。誕生日、もうすぐですね。忘れないうちに言っておきます。お誕生日おめでとう童貞。”

”いやいや、当日に言ってよ。それまで続けようよ。童貞っていうのはやめで。笑 特に祝ってもらえる予定もないから、当日アタシさんに祝って欲しいな。その、アタシっていう一人称が言葉を横槍にするっていうのは、実は全然わからないけど、最初に書いてもらった返事が勢いがあって面白くて、才能みたいなものを感じたよ。もしかして読書が趣味とかかな。実は俺作家志望で、大学も文学部に進んで、ゆくゆくは新人賞なんかに応募しようと思ってる。いまは受験で忙しくて全然書けてないけど、大学にあがったら絶対に書く。2年の時に書いた小説があるから読んでみて欲しい。アタシさんが読んだっていうその本も読んでみたいな。それでさ、言おうと思ってたんやけど、一回、会ってみない?会って話してみたいって最初から思ってた。急やけど、待ち合わせは閉鎖されてる旧校舎の前とかどうかな。あんまり人来ないし、なんかロマンがあって良くない?日付は出来たら、俺の誕生日で。誕生日にも予定のない俺を救ってほしい。笑 時期尚早ならごめん。見なかったことにして。別に変な意味はないから。”

白い机は、書いては消してを繰り返しているから、自然と消せない汚れができて、梅雨に曇った空の灰色に、丁度似通り、目線の下の空模様みたい。彼は宇宙人などでなく、たった一日のために伝説になり損ねた男らしい。月曜日から今日まで、アタシは本当に楽しくて、返事を机に書く時なんかは、心臓に幼虫でも這っていて、そのうち羽化してしまうのでは、と思える、落ち着き無くこそばゆい、かけがえない美しさ、といってもよかった。
が、会いたい、と率直に言われてしまうと、もちろんアタシも会ってみたいのはやまやま、夢が壊れるのが怖いというよりも、アタシのことを見て、どんな顔をされるのか、それがとにかく怖いのだった。
実はこの秘密の交信は、早紀ちゃんに早々にバレていて、なんか青春やなー、ええなーとからかわれていたのだけど、そこは大人の余裕か興味がないのか、内容の一切には言及せずにいてくれたのでした。「そんなん、アドレス書いたらいつでもやり取り出来んのに。」と興ざめなことは言われたけれど。
迷って迷って、授業が終わってしまう前に、教室を出る前に返事を書かなければ、今日は返事が出来なくなってしまう。考え考え、結局、どうせ、やっぱり、行く。アタシの妄想が投影された、都合のよい展開ばかりの蜃気楼を、信じようと思うのだ。
アタシはあの日とまるで同じに、筆入れから鉛筆を出し、落として、机に返事を残したら、終業チャイムの音と共に教室を出る早紀ちゃんの、冷蔵庫みたいな背中を追いかけた。

”たぶん、いきます。”
気の利かないことしか、言えなくなっていた。