デモに抵抗があるのは、どうしてなのか

第30期(2016年12月-2017年1月)

 
 こんにちは、珈琲子です。最近もまだまだ寒くて、暖かいものが食べたくなりますね。ラーメンがより美味しく感じる季節だと思いますが、浅草にある「ゆきかげ」というラーメン屋さんがとても美味しかったので、浅草に行った際はぜひ行ってみてください。鶏白湯スープがとろとろしていて、醤油、塩、焦がしにんにくなど様々な味から選べます。つけ麺もあり、次に行く時、私はつけ麺に挑戦する予定です。ではでは本題です。

 「社会を変えるには」 小熊英二

 運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。 ー本文より抜粋

 社会学者の小熊英二さんが書かれた本です。2011年の東日本大震災のあと、脱原発デモが全国で起き、そして去年、集団的自衛権反対のデモが行われました。震災のあとから、社会を変えたいという「空気」が日本では高まりました。しかしその中で、社会を変える方法としてデモという運動を選ぶこと、また自分の周りの人間がデモに参加することに抵抗のある人は、沢山いると思います。
 私自身も反原発デモと集団的自衛権のデモを一回ずつ、永田町に見に行ったことがありますが、数えきれない人たちが、政治家を大声で、強い言葉で糾弾する姿には驚きと、恐ろしさを感じました。電車が遅れてもほとんどの人が文句を言わずに待ちつづけ、周りの空気を尊重して自分の意見を隠す、私が見ている普段の人々の姿とは、違うものだったからです。そしてこの「違うもの」と私が率直に感じた感覚が、デモへの抵抗と結びつきがあり、日本が今まで歩いてきた、日本人の生き延び方と繋がっているのだと思います。

 本当に現状を変えたい、社会を変えたいという気持ちが生まれた時にまず何をするべきなのか、そしてどうして日本にはまだデモという運動に抵抗のある人が多いのか。この本にはそういった疑問への、自分なりの解答へと導く情報が書かれていました。
 著者は、日本社会は変動期にあり社会を変えやすくなっていると本書で書いています。(本書初版発行2012年8月20日)今、日本が変動期にあるということは、毎日生活している中で、意識しなくても気付いている人がほとんどだと思います。以前よりもテレビは視聴率を取ることができなくなり、店頭に行き交っていた服はインターネットですぐに買うことができるようになりました。そして正社員として雇用され、30歳ごろまでに結婚し子供を作り家を買う。こういった、今まで普通だと思っていた道は、もう消えています。普通だと思っていた道が消えているように、今まで残っていた、もう変えなければいけないシステムも、今を生きている私たちが使いやすいように、変革しやすくなっているのだと思います。

 まず、私は社会を変えるのは「技術」だと思っていました。現にSNS、Twitterでデモに以前よりも簡単に沢山の人を集めることができるようになっています。しかし「技術」だけでは社会を変えることはできないようです。
 本書から少し逸れますが、Zeynep Tufekciという方のTedでのプレゼンテーション、「インターネットで社会運動が容易になっても、目的達成が難しいのはなぜか?」で、Twitterで沢山の人がデモに参加することができるようになったことが、変革を成功させることとイコールではないと伝えています。デモに関してTwitterで出来ることの役割は、「同じ気持ちを持った人間を同じ場所に集める」までで、そのあとの「政治を変える、既存の仕組みを変える」には至らないようです。
本当に変革させるまでリーチを伸ばすには、社会を変えたいと、同じ気持ちを持っている人たちと一緒に、どのように動いたから変わるのか考え、政治家も含め様々な人と対話をし、「デモに参加すること」から行動を進化させていくことだと伝えています。
沢山の人間が集まり大きく叫ばれる一つの意見よりも、仲の良い友人の一言のほうが、自分の意識を変えると思います。一人一人に働きかける、時間と手間のかかる方法ですが、変革を成功させるには地道なコミュニケーションが必要なのだと、このプレゼンテーションでは伝えています。

 このプレゼンテーションの言葉から考えると、今の日本で、デモという行動で社会を変えることの課題として、「デモに参加している人と、しない人との温度差」があると思います。政治の話をすること自体を避けたい人がいると私は思いますし、物事を変えようとする、他の人と違った行動をするのを面倒だと感じる人も沢山いると思います。人の意識を変えるのは難しいです。意思は本人が変えようと思わなければ変わらないから。
私自身もデモに参加することには抵抗を感じ、見るという外側の立場でしかその場に行くことができていません。そして、何か変革を起こすには、プレイヤーとならなければ、「当事者」にならなければ何も変えられないのだと実感しました。そして私がデモを見に行こうと思う理由は、臆さず「当事者」になっている人たちを見にいくためなのだと、今思い返すと思います。
 デモに抵抗にある人たちの考えとして、私は「デモでは変わらない」と思っている人と、「政治が良くない方向へと進んでいても、自分の生活が脅かされることはない」というものがあると思います。まず政治が変わっても、自分の生活が変わることを経験していない人がいると思います。私は今28歳ですが、今まで日本の政治によって自分の生活が激変した経験がありません。そういった人は多いと思います。そしてそのことが、投票率にもデモへの考え方にも全てではないですが、大きく作用していると私は思います。
 政治と生活が、日本では感覚として遠く離れていると、私は思います。だからこそ気付かない間にどんどん危険な方向へと、政治が変わるにつれて自分の生活も変わっていく恐れがあります。
何か分からないけれど不安を感じる。言葉にならない、「何となく」感じている不安を持っている人も今は沢山いると思います。
そしてなんとなくでもその不安は正しく、その不安の根拠を直視する勇気が、必要だと思います。まず現実を直視し、そして不安の直視の先の行動として、デモがあったり、デモだけではなくその人なりの表現が生まれると思います。そして、表現を通して、他者との深いコミュニケーションが生まれていくのだと思います。そして運動とコミュニケーションが作用しあい、それが大きな力となって影響力が伸び、社会が変わるのだと、思います。

 本書では戦後の日本の社会運動の歴史、民主主義について、人々を統治するさいの哲学など、今を生きている私たちへの、思考の補助となる情報が書かれています。ぶ厚い本ですが分かりやすい言葉で説明されているので、ぜひぜひ読んでみてくださいね。