雨音の中のデイドリーム・ネイション

第33期(2017年6月-7月)

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薄暗い部屋の中、僕はふいに目を覚した。
・・・というより頭が痛くてうまく眠れない。
きっと少し酒を飲み過ぎたのだろう。
首の後ろ、頭との付け根あたりにズンとくる感じの鈍い痛み。
こういう時は大抵目の奥の方からも痒いような痛いような感じがする。
そんな痛みに襲われながらも僕は目を開いて
こうやってその状況を文章に起こそうとiPhoneの画面を見つめている。
文章に起こしてみるといかに自分が現代文明に支配されているかが浮き彫りになったみたいでなんだか馬鹿みたいだ。

外からは雨の音が聞こえてくる。
雨粒がベランダや隣の塗炭屋根に落ちてはじける音がする。
時折、雨に濡れた道路の上を車が行き交う音がする。
いつもの夜のような酔っぱらいの歌声や話し声は全く聞こえない。
雨の中では静かにしているのか、そもそも雨の音に掻き消されているのか。
・・・静かだ。
ホワイトノイズみたいな音が聞こえてくる静けさではなく、そこは雨の音に支配された空間だった。

雨の音は好きだ。
特に部屋の中で聞く雨の音が最高だ。
雨の音の中ベッドに横たわりながら天井を眺めていると、まるで水の中に漂っているような
でも息はどこまでも深くできそうな、そんな妙だけれどとても落ち着いた場所が
僕の部屋に現れているように感じてとても心地よい。
カーテンから少し覗く薄暗い空の明かりが海底に差し込む光のようで、
僕は海を漂う魚にでもなったような気分になる。
そういえば僕は魚座だから水とか魚とかそういうものが好きだよな、なんて
僕が魚座であることなんて全くもって関係ないのに、
こんな風にこじつけたがるのは僕の性質なのか、人間の性質なのか、
そんなことを考えていたらいつのまにか頭痛のことも少し忘れて、
ただただその心地よい空間に漂うように微睡んでいた。

そういうときはいろんな、例えば過去の失敗のことを思い出しても
死んでしまいたいとか消えてなくなりたいとかは不思議とは思わないもので
ただただ淡々と、客観的に(いや、あくまでも主観的か)
そういった過去のことなどを思い出しながら思考を巡らせていた。
よくよく思い返せば僕は今までの人生、間違った選択肢ばかりを
選んできたんじゃないかと思うことが時折あるのだが、そのときはそのことを思っていた。

間違った選択肢というやつはどうにも正しい選択肢よりも魅力的なところがあって
僕は正しい選択肢のその正しさを検証したいという欲求からなのか間違ったものを最初に選択しがちなところがある。
その癖はやり直しが効かない状況の選択肢においても発揮されている気がするのだ。

眠る前、Amazonプライムで映画版のピンポンをひさしぶりに見ながら
僕は最終的に前陣速攻タイプのプレーヤーになったけれど、
耐え忍ぶことで勝利した経験が多かった僕にとってはやっぱり
カットマンの方が向いていたような気がするなあ、
・・・なんて別に今となってはどうでもいいことを思ったのが始まりなのだが。笑
そんな卓球の戦型の話くらいなものではなくて、
そうやって、もっと大きなものを取りこぼしてきているのだろうな
などと想い出とも空想とも言い難い妙な場所に思いを馳せていた。

あのとき、ああしていれば
あのとき、こうしなければ
あのとき、あれに出会わなければ
あのとき
あのとき
あのとき・・・

なーんて考えてみたところで何かが起こるわけでもないのだけれど、そうやって考えを巡らせているうちに
自分にとってはこれが大切だったんだな、とか、自分はこういうところをずっと気にしちゃうんだな、とか
そういう自分への「発見」が、それこそあふれ出すよう出てきて面白かったりもする。
まさに不思議発見。地球も宇宙も人間も生命体も不思議なわけだけれど、
実際のところ自分以上の不思議はない、と思えるくらい、自分の中に渦巻いているものは不思議な表情を見せる。
昨日一大事だったことが、今日になってみれば全然たいしたことのない事柄に変わってしまっている。
びっくりするくらいに華麗に変わり身する。
自分面白い。
だから自己分析は楽しい。

そうしているうちに完全に頭が痛かったことなど忘れて、
自己分析も思い出も妄想も空想も全てが入り乱れてグルグルと渦を巻きながら
その中からいつしか睡魔が顔を出して僕の意識を刈り取っていくのである。
そうやって、僕はまた夢の世界へと誘われていくわけだけれども
眠った後には、是非とも最高にハッピーでできればちょっと色っぽい夢が見れますようにと願うばかりなのである。

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