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2F/当番ノート

さよなら

当番ノート 第33期

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魔法の言葉が手に入ったと思ったのに
気づかぬ間に僕の手の端からこぼれ落ちて
いつの間にか灰色の抜け殻だけ
あの輝きがなんだったのか思い出せない

土曜日の商店街の雑踏の中
僕の目は君の姿を捉えたはずなのに
僕は目を逸らした
君は気づかぬまま僕の横を通り過ぎた
雑踏と僕は溶けて同じになった

千切れた思ひ出つなぎ合わせて
寂しさを噛み殺す
夢に堕ちようとする
手首に漂うジャズクラブの香り
嘘みたいな本当
本当みたいな嘘
僕は何もつかめずにいる

悪態ついて悪戯に笑う君
愛しい景色から僕は目を逸らした
つかんだって消えるわけもないのに
怖がって目を逸らした

片目を閉じて平らな世界を見る
灰色の世界
目を逸らした世界
悪戯に笑う君
さよならも言わず通り過ぎた

夜の風が通り抜ける
僕は目を逸らした
僕の中の灰色の世界から
さよなら

そして僕は笑う

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今回書いたのは、僕の中を渦巻くモヤモヤを題材とした詩みたいなものです。
もし僕に音楽ができるのならこの詩に最高に尖った音楽をのせてやりたい。

岩男 明文

岩男 明文

あいかわらず写真を撮っています。

Reviewed by
松渕さいこ

この気持ちがもしも音楽になるなら、うんと軽やかな音をつけよう。
と、かなしい気持ちを抱えている時ほど考える。音楽を作ったことはない。だけど想像してみているのだ。こんなに悲しいのだから、本当はそんな明るくは歌えないだろうと思うのだけど、だからこそ「軽やかな音」が必要なのだと信じている。

例えば宇多田ヒカルの「FINAL DISTANCE」と「DISTANCE」、安藤裕子の「のうぜんかつら リプライズ」と「のうぜんかつら」。前者はしっとりと、切なさをそのままストレートに感じられるけど、後者はあまりの軽やかさに悲しさが表面上、遠のく気がする。だけどそのギャップは心のなかに小さな違和感として棘のように降り注いで、ふつうには触れられない深さのところにまで届く気がするのだ。

からり、としているのはすっかりと渇いてしまったからだ。渇いてしまうのには時間が掛かる。そのぶんだけ悲しさはぎゅっと凝縮されて濃くなっているはずだ。だけどその頃にはもう、多くの場合に「なにが悲しいか」分からなくなっている。

だからからりと歌うしか、本当のところ選択肢がないんだろう。ボサノヴァみたいに。

悲しみは消えないけれど、湿度は蒸発してしまうものなのかもしれない。だからイワオさんのその詩も、そのとおり思い切り尖らせた音楽に乗っかったらいいんだろうなと思う。消えない気持ちは烏龍茶の葉みたいにたっぷりのお湯を注がれた瞬間とんでもない大きさに広がってしまう。せめてそれまでは、乾いた音にのせて海辺をただ漂うように何でもない顔をしていようよ。海を目の前に、前向きなのか悲観しているのか分からない私たちは。

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